3. 影たち

魔術研究棟

 一方、城では、ゲオルクがユンと同じように困っていた。古い塔の前に佇み、黙ってそれを見上げている。辺りは木々が多く、人もおらず、静かだ。


 昨日の出来事を思い出しながら、ゲオルクは塔の周辺を歩き回った。さすがに今日は竜には会わない。それに不穏な空気などというものも感じない。あのユンという若者の言うことは本当に真実だったのか? と思う。


 ゲオルクは塔に背を向けた。ここをぐるぐると歩いていても特に収穫はないだろうと思ったからだった。そして、魔術師たちが集まる研究棟を目指して歩いていく。王室付きの魔術師たちがそこで日々研究

に励んでいるのだ。


 その中の一人に、ゲオルクと親しいものがいる。彼に話を聞いてみようと思ったのだ。


 静かな棟内に入り、図書室を覗いた。本に囲まれ、机に向かって、その友人はいた。ゲオルクはそっと近づき、話したいことがあるのだが、と声をかける。友人はそれなら外で、と小さな声で答えた。


「いや、ずっと座りっぱなしだったから疲れたよ」


 図書室を出て、伸びをしながら、その友人、アントンは言う。黒い魔術師のロープをきて、そばかすの

ある顔をした、ゲオルクと同年代の男性だった。二人は研究棟のささやかな中庭へと向かった。庭の一隅にひっそりとある小さな池の縁に二人は腰を下ろした。


「一体、どうしたんだい」


 アントンが尋ねる。ゲオルクはどう切り出したものやら迷った。ルチアの言葉を考えると、昨日の出来事を赤裸々に語るのはまずいように思う。けれども嘘をつくのが苦手なゲオルクはつい率直に尋ねてしまった。


「塔のことなんだが。ほら、城内に、古くてもう使われていない塔があるだろう?」

「ああ、呪いの塔」

「おまえもそんなことを言うのか」

「みんな言ってることじゃないか」


 アントンがいたずらっ子のように笑う。そして真面目な顔になって言った。


「その塔がどうかしたのか?」

「うん……そうだな、撤去する予定はないのか? どうも、あれがあそこにあるというのが……」


 ゲオルクは呪いなど信じていない。魔術師とはいえ、悪魔を呼び出すことなどできるのだろうか、と思っているからだ。が、あの塔の陰気な雰囲気はあまり好きではなかった。好きではないのに、ルチアが周辺を散策するので、自分もそこへ行かなければならない。


 ゲオルクはアントンを見て言った。


「もう使ってないんだろう? それなのに何故あのままにしているんだろう」

「それは呪いが……おっと違うよ。そんな目で見るなよ。呪いじゃないな。ただ、壊すにはそれなりに費用も手間もいるということだ」

「中には何かあるのか?」

「何もない、と思う。鍵もかかってるし。ただ……」


 アントンが言葉を濁した。ゲオルクは興味を惹かれて、続きを促した。


「ただ、どうしたんだ」

「俺はあの塔の内部に入ったことはない。ただ、鍵は魔術師たちが管理しているんだ。だから、入ろうと思えば鍵を借りて入ることができる。実際に出入りしている奴らもいるんだ。俺は詳しくは知らないけど……」

「どういう奴らが、なんのために使ってるんだ?」

「なんのために、かは知らない。どういう奴らかは、多少は知っている。竜を嫌っている、憎んでいる奴らだ」

「一体、なんなんだ、それは」


 面食らいながら、そしてどきりとしながら、ゲオルクは言った。竜、という言葉が出てきた。もちろん、昨日会ったユンのことを思い出す。塔と竜。この件には何か、竜が関わっているのだろうか。


「なんなんだと言われても俺もよくは知らない。ただ、竜が嫌いなんだ。そう、俺たちにとっても竜というのは複雑な存在であるだろう。今のところは仲良くしている。けれども、彼らは異種族だ。仲違いして、我々人間との間に戦いが始まることもあるかもしれない。竜は友人であり敵だ。魔術師の間ではそういう認識だし、騎士だって、そうだろう?」


 アントンの言うことは当たっていた。竜はよき隣人である。が、それと同時に、騎士にとっては、想定する敵の一つでもある。実際、町中で竜が暴れれば(普段は人間の姿で暮らしている竜たちも元の姿に簡単に戻ることができるし、そういった竜が暴れる事件もないわけではない)、騎士たちが複数人で竜を抑え込むこととなる。


 先日、間近で竜を見て、ゲオルクはその大きさに圧倒された。竜を怖がり、その為、なるべくならば人間とは遠い世界で暮らしてほしいと思っている人たちは、魔術師や騎士に限らず少なくない数いる。その気持ちもわからなくもないのだ。


 アントンは続けた。


「彼らは竜に有効な兵器や、竜を弱体化させるための何か手段などないものかと研究を続けているらしい。うん、そういうことなら、騎士や魔術師だってやってるな。でもそれがある意味度を超しているというのか……」


 ゲオルクはユンのことを思った。彼は、竜の姿が保てなくなった、と言ったのだ。もし、強制的に竜を人間の姿にする方法があれば。あの巨体が、かぎづめが、炎を吐く口が、飛翔能力がなくなってしまえば、竜はずいぶんと扱いやすい存在になるだろう。


 話が上手くつながっていくように、ゲオルクは思えた。ユンは本当のことを言っていたのかもしれない。あの塔には何かがあって、そこを使っているのは竜を嫌うものたちで、そして、何らかの方法で竜の力を弱めるものがあって――。


「ずっと黙っているけど、何を考えているんだ」


 アントンがゲオルクを見て言った。ゲオルクははっと我に返り、答えた。


「いや、なんでもない。知らない世界の話を聞いて、少し驚いているだけだ」

「俺だって、別に詳しくないさ。――おや」


 アントンが何かを見つけた。庭を横切って、こちらに向かって歩いてくるものがある。背が高く、痩せた男だ。アントンと同じく、魔術師のローブを羽織っている。男は大股に近づいてきた。

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