謎は残る

 ユンはよい気分になった。顎を持ち上げ、自分の全身が綺麗に見えるように、少々動いてみる。とびあがらんばかりだったルチアは今ではぴょんぴょん飛び跳ねて、ユンを熱心に見つめた。


「なんて大きいの! なんて綺麗なの! うろこがまるで宝石みたい! 私、竜を間近で見てみたかったの……。ううん、違うわ、もっとこう……竜と触れ合ってみたかった。そう、私、竜にさらわれてみたかったの!」


 ユンは苦笑した。ルチアはゲオルクのほうを見ると、言った。


「そのときは、ゲオルク、あなたが私を助けに来てね」


 ルチアの言葉に、ユンは少し首を傾げる。


「そして姫君をさらった竜は、勇敢な騎士によって倒されるわけですね。あんまりよい役どころとはいえないなあ」

「――いえ、騎士が竜を倒せるでしょうか」


 やや硬い顔つきで、けれども笑みを浮かべて、ゲオルクが言った。「私は――自信がなくなってきました」


「まあ、何を言ってるの、ゲオルク! 昔からさらわれた姫を救いだすのは騎士の役目でしょ! あなたならできるわよ。あなたがとても強いって、私、知ってるもの」


 ユンは声をあげて笑いたくなった。どうやら、自分は人間の騎士を、強い騎士とやらを怖がらせているらしい。けれどもあからさまに笑ったりはしなかった。ルチアの冗談に合わせるふりをして、友好的な態度を崩さぬままに、穏やかに微笑むばかりであった。


「お二方のご親切に感謝いたします。では、私はこれで」


 ユンは翼を広げた。ルチアとゲオルクの表情から笑みが消え、わずかに後ろに下がる。翼をはためかすと、風が起こった。柔らかなルチアの金の髪が、風で乱される。


「もし、よければ、またお城に来てね!」


 飛び立つユンに、ルチアが大きく声をかける。「よろこんで」ユンは短くそう答えると、くるりと向きを変えて、二人に背を向けた。家のある方向へ、岩山のほうへとまっすぐ飛んでいく。途中振り返りたくて仕方がなかった。二人はどんな顔をしているだろう。きっと飛んでいく竜の姿を見て、感動し、畏敬の念に打たれているに違いない。なんといっても竜は飛んでいく姿がもっとも美しいのだから。


 けれどもユンは振り返らなかった。そういうことをするのは、どうにも見苦しいと思えたからだった。




――――




 ルチアとゲオルクはしばらくその場に動かず、ユンが去っていくのを見送った。二人とも何も言わなかった。二人それぞれに、様々な思いで頭がいっぱいだったのだ。


「……素敵。本当に竜って素敵だわ」


 ようやく、小さな声で、独り言のようにルチアが言った。ゲオルクも同じ思いだった。ただ、それと同時に恐怖もあった。あまり認めたくはないが、それはたしかに恐怖であった。


「ハンサムな人だったわね」


 ルチアの言葉に、ゲオルクは人間の姿のユンを思い浮かべた。生意気な顔をした若者だったが――整った美しい顔立ちをしていた。


「そうですね」

「って、違うわ。人じゃない。竜だわ。人間のときも、竜のときも綺麗だなんて、羨ましい話ね」

「――姫さま。あの者は。あの者の話は信じられるのでしょうか」


 ゲオルクはずっとそれが気になっていた。塔に不穏な空気があり、近づいたことによって竜の姿でいられなくなったというのだ。けれども本当なのだろうか。族長の息子というのもどうだろう。人間によからぬ感情を抱く竜が、こっそりと城内に忍び込んだのではなかろうか。


 もしそうだとすると、これは一大事だ。


「私は信じるわ」


 ルチアはあっさりと言った。「嘘をついているようには思えなかったもの」


「ですが……」

「証拠はないわね。――それとも私、相手の見た目のよさに惑わされているのかしら」


 ゲオルクは苦笑した。 ゲオルクは苦笑した。ならば、私はあの若者の見た目の良さに惑わされまい、と思う。惑わされずに彼の証言を吟味した結果――どうだろうか。実は自分も、彼が嘘を言っているとはあまり思えない。そういった嘘をつく者なら、もっと利発そうな、油断ならない雰囲気があると思うのだ。けれどもあえて愚かにふるまっているのだろうか。


「お父さまにこの一件を報告すべきだと思う?」


 ルチアがゲオルクに尋ねた。目が、きらりと光って、何かをゲオルクに訴えかけていた。察したゲオルクは、ルチアの意に沿うように答えた。


「いえ……。その必要はないかと」

「そうよね。ただの事故ですもの。お父さまに告げて事が大きくなったら、ユンだって困るでしょうし」


 ルチアの心は定まっているようだった。けれどもゲオルクには迷いがあった。しかし、ルチアを裏切るのも気がひける。この件はこちらでこっそりと調査を進めようと思った。


「竜の姿を保てなくなった原因はあの塔だと、あの若者は主張しておりましたが」


 ゲオルクの言葉にルチアは顔をしかめた。


「そうよ、あの塔よ。呪われた塔。悪い魔術師の呪いがユンの身に降りかかったんだわ」


 塔にまつわる伝説はゲオルクも知っていたが、あまり信じていない。ただの馬鹿馬鹿しい迷信だと思う。塔の周りはひっそりとして暗く、気味は悪い。けれどもそれは周辺を手入れしていないからで、なおかつ人が近づかないからだ。塔はもう長いこと使われておらず、今ではたまに気まぐれに使用人が訪れる程度だ。


 ルチアは塔の暗鬱な雰囲気を恐れつつも気に入っているようで、たまに散歩に訪れる。そのためゲオルクもときおり塔付近を警護する必要があるのだ。今日もそうだった。そして偶然、竜の若者に会ったのだ。


 ゲオルクは親しくしている魔術師の顔を思い浮かべた。王室付きの魔術師だ。彼なら何か知っているかもしれない、今度会ったときにそれとなく話を聞いてみよう、とゲオルクは思うのだった。

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