悪い魔術師

 綺麗、と言われて、ユンは悪くない気持ちになった。以前城に来たとき、人間たちの視線や言葉の端々から、自分が人間としては美しい部類に入るということを知ったのだ。この少女も、きっとこちらの美しさに心動かされているにちがいない。ユンはそう思うと、心持ち背筋を伸ばした。


「そういえば、自己紹介がまだだったわね」少女が明るい笑顔で言った。「私の名前はルチア。この国の王の娘よ。つまり、姫よ」


 少女、ルチアの瞳が輝く。顔が得意そうだ。が、すぐに自信なさそうにつけくわえた。


「でも8人きょうだいの末っ子だから……あまり世に知られてないかもしれないわね」


 ユンは記憶をたどった。前にこの城に来たときの記憶を。その際に、王の子どもたちを何人か紹介されたような気がする。たしかに、子だくさんであった。けれども、その中にこの少女はいただろうか。


「私は以前、国王陛下にお会いしたことがあるのです」


 ユンの言葉に、ルチアが喜んだ。


「まあ、お父さまに!?」

「はい。そのときに、ご子息の方たちにも」

「でも……私は覚えてないわ。それっていつのこと?」

「20年ほど前かと」

「ならば覚えてないのも道理だわ! 私、そのとき生まれてなかったもの。私は今年で16になるの」

「そうなのですか」

「あなたはいくつなの?」

「80ですよ」


 ルチアは目を丸くした。


「あなたって、ずいぶんおじいさんなのね!」


 これは予想外の言葉であった。おじいさん……たしかに人間からすればそうかもしれないが。けれども竜としては若いのだ。まだ成竜になってさえいないのだ。ユンは多少むっとしつつ話を続けた。


「80といっても竜の寿命は長いのです。人間の年齢に換算すれば、ちょうどあなたと同じくらいですよ」


 ルチアはたちまち申し訳なさそうな顔をして、謝った。


「ご、ごめんなさい……。80というから、びっくりしてしまって。でもたしかにおじいさんではないわ。若く見えるわ」


 若く見えるといった問題ではないのだが、とユンは思う。けれどもこんなことでいつまでもへそを曲げているのもどうかと思う。80歳と16歳。自分とこの少女は、若さという点では同じではあるが、けれども今まで生きてきた年月がずいぶん違うのだ。80歳のほうがよっぽど物を知ってるし、賢いというべきだろう。


 ユンはますます姿勢を正した。ここはこちらが80歳であるということを、相手によくわからさねばなるまい。80歳と16歳では前者のほうが当然偉くて、16歳は本当にひよっこ――竜であったら、赤ん坊も同然!――であるということを、きちんと意識してもらわねばならない。


 いかめしい顔になったユンに、構うことなくルチアは質問を続けた。


「それであなたはなんという名前なの?」

「ユンといいます。父は竜の一族の族長をしており、私はその跡取り息子なのです。つまりあなたと似たような立場ですよ」


 今度はユンが得意な顔をする番だった。


「そんなに似てないわ。私は8番目の子どもですもの。私がお父さまの跡を継ぐことってあるのかしら。まあでも、女王になりたいかと言われればさほどでもないから、そこはどうでもよいのだけれど。それはともかく――あなた、どうして空から落ちてきたの?」


 それはユンもききたいことであった。一体自分の身に何が起こったのだろう。わからぬままに、ユンはルチアに説明することにした。


「城の上を飛んでいたのです。そうしたら突然、肌かちりちりするような、異様な感覚に襲われて。その原因が城内にあるように思われて上から探ってみた結果、どうやらこの、私の近くにある塔がおかしい。そこで、近づいてみたところ、いきなり竜の姿を保っていられなくなったのです。人間の姿になってしまえば、空を飛ぶことはできませんから、やむなく地上に落ちてしまって」

「翼があるのに」

「飾りのようなものなのです。人間の姿のときには」

「――それにしても……。塔、塔って言ったわね。この塔でしょう?」


 ルチアは二人の横に立つ古い塔を見上げた。そしてユンの方を向くと、生真面目な顔で、声を低くして、とても真剣な眼差しで、こう告げた。


「この塔はね……呪われた塔なの」




――――




 ユンは戸惑った。呪われた塔? 呪いとは? どういうことなのだろう。


 たしかにこの古い塔にはえもいわれぬ陰気な、禍々しい雰囲気がある。昼日中の、明るい陽射しの中で見ても、どこか不吉だ。さらに、ユンを混乱させる、あの肌を指す感覚が、この塔の中からじわじわと漏れ出しているような気もする。 


 ユンは後ずさりして、塔から距離を置きたくなった。ただ、ルチアに怯えていると思われるのは嫌だったので、実際にはそのようなことはしなかった。


「呪いとは、どういうことなのですか?」


 ルチアの真面目くさった小さな顔を見て、ユンは尋ねた。


「昔々、ある魔術師がいたのよ。この塔に住んでいて、悪い魔術師だったの。人間を憎んでいて、彼らを滅ぼそうとした。魔界から悪魔を呼び出したの。でもね、魔術師は悪魔に食われてしまった。良い魔術師がやってきて悪魔たちを追い返したわ。けれども、この塔にはそのときに死んだ魔術師の怨念が残っているの。今もずっとね」


 ユンは黙った。荒唐無稽な話に思える。人間の中には魔術師と呼ばれる存在がいるのは知っている。占いをしたり、錬金術の研究をおこなったりするらしい。けれどもさほど力はないはずだ。ベルなどは小ばかにしている。魔界から悪魔を呼び出すなど、そんなことができるのだろうか。


「ですが――」


 ユンが言いかけたとき、左手のほうから、「姫さま!」という声と、こちらに向かってくる足音が聞こえた。ユンは言葉を切り、ルチアともども音のするほうを見た。そこにはまだ若い、20代ほどだと思われる長身の男性がいて、こちらに駆け寄ってくる。

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