古い塔
「そうかしら。でも彼らは私たちを嫌っているわよ。竜は野蛮だって。野蛮なのはどちらかしら。それに嘘つきよ。彼らの語る歴史の中では竜はいつも悪者にされてるじゃない。王女をさらって食べようとしたり……。本当に腹立たしいわよね。竜がそんなことすると思う? 人間なんてそんなおぞましいもの、食べるわけがないじゃない!」
ベルの言葉に熱が入ってきた。早々に退散するべきだ、とユンは思った。そこで適当に理由をつけると、素早く部屋を出たのであった。
廊下を歩いているとシーラに会った。上の姉だ。大きく色濃い竜が良いものならば、小さくて真っ白な竜であるシーラは竜の中では底辺に属するといってもいいだろう。だからベルもシーラに対しては言葉をにごすのだ。
けれどもユンは、引っ込み思案で心優しいこの姉が好きであった。
「お母さまと何の話をしていたの?」
シーラがきいた。ユンは少し肩をすくめた。
「特に大したことは。いつもの愚痴だよ」
「お母さまがあなたのことを心配してるわ。最近やや反抗的じゃないかしらって」
シーラは母親にべったりなのだった。ユンはこの姉が好きではあるが、いつもいつも「はい、お母さま」としか言わないのは、さすがにどうかと思うこともある。
「反抗はしてないよ」
「そうよね。でもあまりお母さまをわずらわせないでね」
ユンは苦笑した。どうやら、自分のことを真に理解してくれる家族はいないようだぞ、と冗談めかして、また若干、不貞腐れた気持ちで思いながら。
――――
少し心がくさくさしてしまった。ユンはしばらくその辺を飛び回ることに決めた。洞穴のすみかを出ると、秋の明るい光がユンを迎える。空は高く青く、すがすがしい陽気だ。
ユンは飛んだ。羽ばたき一つでぐいぐいと空を進んでいく。大きく力強い竜だからこそできることなのだ。ユンは得意な気持ちになった。自分が強い竜であることを、時には――しばしば――誇りに思う。
風を切って進んでいく。とても気持ちがいい。森を越えて野原を越えて、実り豊かな畑が点々と見えてくる。人間たちの畑もあるし、人間に変身した竜たちの畑もある。ユンの幼なじみも今は人間の姿で農業をやっている。久しぶりに訪ねてみようか、と思って、けれどもやめた。それよりももっと遠くへ行ってみたかったのだ。
ユンはスピードを上げた。地上の光景が素早く流れていく。次第に目指すものがみえてきた。人間たちの暮らす町だ。人間たちの国の、その王都だ。壁に囲まれて、こまごまと家が並んでいる。
町の上空までやってきた。降りるわけにはいかなかった。竜の姿で町に足を踏み入れることは禁止されている。人間たちが怯えるし、そもそも、人間の世界は竜にとっては何もかもが小さすぎるのだ。窮屈で身動き一つも気をつかう。そこでユンはそのまま飛び続けた。町には王の住む城がある。それがどんどんと近づいてきた。
白い壁が輝き、塔が林立する城だ。ユンはぐるぐるとその上空を回った。あまり近づいてはいけない。城に暮らすものが不快に思うだろうから。しかしそれにしても――。ユンはふと違和感を覚えた。
何やら、身がちりちりとするのだ。うろこの上を何か嫌なものが這いずり回っているような、そんな感覚がある。虫でもいるのだろうかと我が身を見ても、何も見つからない。ユンは城に視線を向けた。城に何かがある、ような気がする。この違和感の正体が、もっと何か不吉なものが、城のどこかに隠れているような気がする。
ユンは城の周りを巡り、そしてその出所と思しきものを見つけた。古い塔であった。周りの建物から離されて一つぽつんと、木々の間に立つ塔。そこに近づくと、さらにちりちり、ぴりぴりとした感覚がユンを襲った。近づいてはいけない、と本能的にユンは思った。けれども――気になってしまう。一体なんなのだろう、これは。前に来たときにこんなことはなかったのに。
これまで城の上を飛ぶことは何度かあった。けれどもこんなことになったのは初めてだ。城の内部に入ったこともある。あれは20年ほど前のことだった。父親に連れられて王やその家族に会ったのだ。そのときも、特に何事も起こらなかった。それなのに、今回はどうしたことだろう。
不安を抱きながら、しかし好奇心にそそのかされて、ユンは次第に塔へと近づいていった。ところどころ朽ちた壁が、年月を感じさせる暗い色の屋根が、壁を伝う蔓植物が、近づくにつれ徐々に大きくなっていく。と、ユンは身動きがとれなくなった。何か捕まった! と瞬時に思った。けれどもその「何か」はわからない。姿も形も見えないものが、巨大な力で、ぎゅっとユンを掴んだのだ。
次の瞬間、驚くべきことが起こった。竜の姿を保てなくなったのだ。強制的に、ユンは人間の姿となった。人間の身となっても、その背中に翼はつくが、空を楽々と飛べるほどではない。わずかに多少浮かび上がることができるくらいで――つまり、ユンは空に居続けることができなくなってしまった。飛べないもののさだめとして、身体が、地面へと急降下していく。
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