竜たちと人間たち
原ねずみ
1. 竜の一族
竜の一族
彼は竜であった。これは比喩ではない。確かに本当に竜なのだ。
エメラルドの緑色をした竜で、名前をユンと言った。年の頃は80ほど。竜は人間の5倍長生きなので、これは人間にすると16歳辺りとなる。
そのユンは現在困っていた。というよりうんざりしていた。岩山に穴を開けて作られた竜のすみかの中で、その一室で、ユンは疲れた気持ちで話に耳を傾けていた。目の前にはユンの母親のベルがいて、さきほどからずっと、しゃべり続けていた。
「だからね、本当に最近の若い竜は駄目だと思うの」
ベルは赤い竜であった。ルビーのように輝く赤。きちんと手入れされたうろこが全身を覆っている。背に生えた羽も頭の角も、文句のつけどころもなく立派で美しい。ベルはかぎ爪を頬にあててため息をついた。
「昔の、古い時代の竜が持っていた、あの尊さ、気高さというものがないのね。なんていうのかしら、軟弱で自分勝手なの。あなたのお嫁さんのことも心配だわ。よい竜が見つかるかしら」
「結婚のことはまだ考えていませんよ」
結婚が話題になるのは、これが初めてのことではなかった。ユンが75を超えた辺りから、ベルはしばしばこのことを口にした。そしてそのたびにユンはくたびれるのだった。
なんといってもまだ80歳なので。嫁をもらうのは当分先でよいのではないか。
「いいえ! 駄目ですよ!」ユンの心の声を聞いたかのように、ベルは否定した。「あなたは族長の息子なのよ! ひとり息子なの! いずれ跡を継ぐ身なのよ。その伴侶がどうしようもない竜では困るでしょう?」
竜たちは一族で群れを作る。直系の男子が族長となり群れを統率する。ユンの父親が現在の族長なので、長男であるユンは次の族長なのだ。けれども父親のセオはまだまだ元気だし、それは遠い先のことではないかとユンは思っている。もっとも、ベルとしては、ユンに早く息子を作ってもらって、その先々まで安心したいのだろう。
ユンには二匹の姉がいる。シーラとリーだ。それぞれ120歳と110歳。小柄で全身が真っ白なシーラと、輝くレモン色のリー。ベルの話はその二匹へと移っていった。
「私には確かに他にも子どもがいますよ。でもどちらも女の子だし……。ユン、あなたとは違うのよ。それにしても――一体、リーはどうしたのかしら」
下の姉のリーは、最近このすみかに姿を見せない。シーラが言うには友達のところへ行っているらしい。が、シーラの様子がどうもおかしいのだ。内気なシーラは隠し事が下手だ。何かを隠しているのがありありとわかるのだ。
ベルは顔をしかめた。「ほんとにリーったら、昔から手の付けられないはねっかえりで。どこを遊びまわっているのかしら。あの子には家の大事な事は任せられないわ。それにシーラも……。ええと、まあ、そうね……」
ベルは言葉をにごした。そしてきっとしてユンを見ると、力強く言った。
「だからね、あなたが重要なの。一族の繁栄のためにも。幸いにもあなたは大きくて色の濃い竜だし、きっと立派な族長になれるわ」
竜にとって身体が大きいというのはとても大切なことだ。小さいと力が弱い。力が弱いことは竜の世界では致命的なことだった。上手く飛ぶこともできないし、大きな火を吹くこともできない。また体色の濃さが大きさにも比例する。族長は色濃く大きい竜でないとなることはできないし、ユンは確かにその二つの要素を満たしていた。
ベルもそうであった。室内にはわずかな灯りがあり(竜は洞穴で暮らす生き物なので、多少暗くても周りが見えるのだ)、その光にベルの濃い赤が映えていた。
「昔の竜たちの伝説は知っているでしょう? そう大昔、人間などがいないときにこの地に君臨していた賢く力強く誇り高い竜たち――。私はあなたにはそんな竜になってほしいの」
竜の世界には様々な伝説がある。現在、この地上には竜の他に人間たちもいて、こちらも栄えてはいるが、昔は竜だけだったというのだ。竜は孤高の存在であった。群れず、一匹で岩山に暮らす。嫁を探すのに苦労したのではないかとユンは思ったが、そのようなことは言わない。
また、古き竜は自分がどう見えるかということにも構わなかった。なので、その身体にはしばしば苔が生えていたそうだ。そこからすると、ベルは自分の身なりを気にしすぎでは、と、ピカピカに手入れされたうろこを見てユンは思ったが、やはりそのようなことは言わないのだった。
ベルはうっとりとした表情をしていた。きっと竜にとっての栄光の古き時代を思い描き、息子が古き良き竜に匹敵する存在となることを夢見ているのだろう。
「あの時代はきっと素晴らしい時代だったわね。人間たちがまだいない時代。ああほんとに、人間たちときたら! 数ばかり多くて愚鈍で役立たずで醜いのよ。こずるいし卑怯だし……。あなたも私も、人間じゃなくてよかったわね」
ベルは人間が嫌いなのだった。もっともさほど人間と交流することはないのだが。族長であるセオは時折近くの王家の人間と面会をする。竜たちの暮らす世界のすぐ近くに、人間たちの王国があるのだ。竜と人間はここ何百年も平和な関係を維持していた。ユンも一度、セオに連れられて、人間の住む城へ行ったことがある。
「人間も面白い存在ですよ」
ユンは言った。ただ、ユン自身もあまり人間と会ったことがない。竜は人間の姿になることも可能なので(それでも背中の翼と太い尻尾と頭の角は残るのだった)、人間の姿で農業をやったり職人として働いたり、時には人間たちの町で暮らすものもいるにはいた。ただ、そういった竜は竜の中で変わりものであったし、ベルが言うには落伍者なのであった。
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