【川柳】新古今わかのうらにも第三波

【読み】

しんこきんわかのうらにもだいさんぱ


【語釈】

わかのうら(和歌浦)――和歌山市、紀ノ川旧河道の和歌川下流右岸、和歌浦(わかうら)湾北岸の景勝地。片男波(かたおなみ)と呼ばれる砂嘴(さし)に囲まれた入り江。古歌によまれる名勝。玉津島神社・不老橋などがある。

[精選版 日本国語大辞典]


【大意】

新古今集の時代が第三の波となって和歌の浦にうち寄せるのであった。


【付記】

さるウイルスの流行が第何波と報じられるようになってもう数年になる。それと似たような話しで、さるお笑い芸人らがお笑い第何世代と一部で喧伝されるなどしているようである。近年の世相に目配せしつつ、悠久の和歌史を統括してみたわけである。「うら(浦)」と「波」の縁はあらためて言うまでもあるまい。


さて、和歌の歴史をひもとくと、万葉、古今、新古今の3つの時代に最盛期をむかえたようである。そのうち直近のものがいまから約800年前のものであってみれば、悠久の歴史を持つとはいえど盛りが過ぎてひさしくみえる。しかるに、江戸時代になると庶民文化が花ひらいて狂歌がさかんによまれたり、国学が興って歌道の再興が図られたりしたようで、わたしのためには第四の波である。


和歌の浦や和歌山は、最初の和歌によまれたという出雲や、歌道の別名をなす磯城島(敷島)とともにその聖地のようなものだと思う。


なお、表題の句は無季の俳句ではなく川柳だと自分では認識している(上手下手は別次元の問題としてあるが)。それはわたしが少なからぬ俳句や川柳を閲してきた経験による。わたしくらいの世代でわたしくらい多くそれらに目を通してきたひとは、よほどの俳句・川柳通ないし日本文学通にちがいない。


ときに、「寒波」などから類推して「第三波」はダイサンと読むものと漠然と思っていたが、ダイサンと読むひとが多いかもしれない。検証すれば地域(国外をふくむ)や世代によって傾向に差がありそうだと思う。


【例歌】

和歌の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさしてたづ鳴き渡る 山部赤人

若の浦に白波立ちて沖つ風寒き夕は大和し思ほゆ 藤原ふじわらの房前ふささき

はるばるといづち行くらむ和歌の浦の波路に消ゆるあまの釣舟 藤原清輔

よし玉はひろはぬまでも和歌の浦の蛍をだにもとらんとぞおもふ 樋口一葉


古へのあらすき返せ言の葉の道は狭くもなりにけるかな 戸田とだ茂睡もすい

敷島の歌のあらす田荒れにけりあらすきかへせ歌の荒樔田あらすだ 香川かがわ景樹かげき


【例句】

行春ゆくはるにわかの浦にて追付たり 芭蕉

田鶴たづの音にとしどし暮ぬ和歌の浦 月居げっきょ

涼しさや蚊帳かやの中より和歌の浦 夏目漱石

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