言霊遣い ザムトは奮闘する(4)

 

『ミツ……ケタ』


 それは地面から響いてくるようなほどに低く低く、まるで先ほどの獣の唸り声の中から辛うじて聞こえるかのような音だった。聞いた瞬間にぞわっと背筋が泡立つ。音を聞くだけでもこれが異質だとわかるようなそれであった。


『アノ、オン、ナ……ニオイ』


 あの女?その言葉を理解した瞬間に不思議なことが起きた。今まで真っ暗で赤い光しか見えなかったというのにいきなり見たこともない光景が目の前に広がったのだ。自分がそこにいるかのように自分を中心にふわっと広がるこれは一体どこであろうか……いや、遠目に見えるぷかぷか浮かぶ城に見覚えがある。


 そう、そこは先日までいた城下町が遠目に見える高台だった。自分の目の高さにある城はまだ炎上する前か、煙一つもなく呑気にぷかぷかと浮いていて、青空の下では蜥蜴がのびのびと空を飛んでいる。そんな平和な風景がひろがっていたはずなのに、目の前には血まみれで倒れるゴブリン達。そしてその中心で犯人ですと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべたイザラさんが仁王立ちしていた。さらに奥には同じように人の姿をとった竜族らしき人影も見える。


「小鬼って取るに足りないものだと思ってたけども、こういう時は役に立つものね」


 そんな声とともに視界が揺れ、目の前が赤く染まる。まるで自分が切られたような衝撃に慌てて目を瞑った……が何も自分に起きることはなかった。変わったと言えばまた視界が別の赤色、こちらとゼロ距離の物理的アイコンタクトを測るそれの眼前の色に戻るったくらいか。でも……うん?あれ?なんだか引っかかるのだ。



 さっきあの女って言ってたのといい、この映像といい。もしかして、これもらい事故なんじゃね?



 そう思った瞬間に恐怖心も何もかもがスンと収まってしまった。俺に対してじゃなくて、まさかのイザラさんに殺された恨み?そして俺を狙う理由がニオイって言っている以上の情報を俺はソレから得てはいない。たぶんというか十中八九イザラさんの関係者として狙われている、もうそれは自分の中で確信となっていた。なんだ、勇者の次は魔王に間違えられるのか、俺は。


 よくよく考えてみろ。自分がこのゴブリン達を引き寄せるときに取った手段を。強い風で死んだ獣の臭いを運んだではないか。その時に自分についているというイザラさんの臭いを一緒に飛ばしてしまっていたとしたら、どうだろう。恨みのある相手の臭いのするものが近くにいるのだ。出張らないわけがない。


 そしてその目的の先にいるのが俺だったとしたら納得も行く。まあ間違いなく理不尽ではあるのだけども。次に合った時にはもらい事故に対して苦情を申し立てても許されるはずである。


 

 しかし、理由が分かったとしても八方ふさがりなのは何も変わらない。永遠に超至近距離にらめっこが続くのかと思いきや、突然何を思ったのかそれは身をスッと引いた。そして、布のようなものが肌を掠めるような感覚とともにそれが自分の首元に巻き付いていく。ここから考えられるのはあれだ。こう、きゅっと締められるかここを軸にしてばきっとへし折られるか、さてまたこうすぱぁんと切り落とされるのか。


 あ、そうですか。ゆっくりと絞殺ですか。


 少しずつ締め付けてくるそれに対して自分ができることなどほぼない。体をなんとか動かして抵抗しようとするも、どうやら自分が動けない理由は全身をそれが戒めているからだろう。呼吸は許されているだけまだましだったようであり、今からそれも制限されるときた。半ばどうしようもないと人間投げやりになるもので。恐怖心も臨界を超えて麻痺してくる。


 ギリギリとだんだんと閉まってくると同時に息苦しく、そしてだんだんと顔が熱くなってくる。目の裏に血が溜まっているかのようにチカチカとしてくるし、口を開けて大きく息を吸おうとするも口はそれの所為で開かないしで意識もだんだんと薄らとしてくる。あ、これまじでやばい。


 せめて口だけでもまともに開いてくれれば、袋の中にいる鼠が猫を噛めるのだが……


 と、その時だった。真っ黒な空間に白い光が煌々と輝いたのだ。


 先ほどあたり一面を照らし出していた魔法の明かりにどこか似ている。そしてこの空間に反響するそれのすさまじい悲鳴とともに喉元や体を戒めていた何かが緩まった。よし、これで動ける。多少むせこみながらも大きく息を吸い俺は叫んだ。


「爆ぜろ!」


 次の瞬間俺は真っ暗な空間からはじき出されるようにして外に飛び出していた。地上3メートルくらいか、勢いよくポーンと飛んでいくかと思えばガシッと足に黒い帯が絡みつく。逃がしてたまるかと言わんばかりにそれに思わず顔をしかめるも視界の端から白い何かがすっ飛んでくるではないか。


「ざむぅ!」


 フェリが竜の姿でぐっと身を逸らし、そして自分の何倍もの大きさのある白い炎が口から放たれた。その炎は俺の足をチリっと焦がしつつも帯を炙り、俺の足を自由にしてくれる。フェリありがとう!と心の中で叫んだ。だが、ほっとする時間も許されなかった。それに対してカウンターのように帯がフェリに向ったのだ。多少乱暴で怒られるのもやむを得ない。ガシッとフェリのしっぽをつかんで引っ張り抱きかかえた。


「飛べ!」


 叫ぶと同時に俺はすさまじい勢いで上昇した。単純なワードでは精緻なコントロールができないのは仕方ない。突然標的を失ったそれは一瞬自分たちを探すようにまごついていたが、再び角度を変えて襲い掛かってくる。はじめは二本ほどだったというのに本体のほうから4本ほど追加され、今では系6本。いい加減あきらめてはくれないかと思ったものの、そんなつもりはないようで。帯を言霊を使った結界ではじき返しながら俺はせめてフェリだけでも卸すために地面に降り立てる場所がないかと視線を下に向けた。


「ざむぅ、しっぽ引っ張るのやぁ」


「ごめんよ。あとさっきは助けてくれてありがとう。し……命を救われたよ」


「んふー」


 死ぬかと思った、と言いかけて俺は慌てて口を閉じた。下手なこと何があるか分かったものではない。俺の腕の中で満足げに笑っているフェリを何度か撫でて現実逃避したくもなったが今はそのような状態ではない。しかしこの帯のしつこいことしつこいこと。大樹の幹、遺跡だったものがあった場所まで飛んでかなり距離をとったはずなのにいまだにしつこく自分たちを捕まえようと器用にうねうねと追いかけてくる。挙句の果てには先ほど拠点にいたはずのアイツまでこちらに飛んでくる始末。イザラさん恨み買いすぎでは?


「どうしてざむぅ追われる?」


「どうやらアイツを殺したのがイザラさんらしくってね。俺からイザラさんのにおいがするって怒ってんだよ」


「におい……ざむぅくちゃい?」


 うぐっ。俺は次の街についたら即体を洗うことを心に決めた。ずっと馬車の旅で風呂など入ってないのだけどもしょうがないじゃないか。いや、ここは言霊先生に匂い消しを願うしか……後でそっとやっておくしかない。うん。


 夜に見る大樹の大きく広がる葉の海をウミネコのように飛び回り、後ろから飛んでくるそれをなんとかかんとかよけたり跳ねのけていく。初めての予備知識のないフライトの割には案外うまくやっているような気がする。っとごめんなさい調子乗って。顔の横に貼ってある結界の外ではこっちにすっとんできた本体の鋭い爪と結界が甲高い音とともに衝突し火花を散らしているではないか。ひぃ、と思わず声にならない悲鳴が口から洩れた。アイツさっき結構細切れな肉片になる程度には爆発四散していた気がするのにもう回復しているとか、本当にどうなんだろう。


 それだけでは終わらない。次々と爪でひっかくような攻撃がこちらに向かってきて、俺は後ろに飛ぶことと言霊で再度強化しなおした結界で防ぐなりしているのが限界。ここから先何をするかと考える余裕すらない。ガァンガァンガァンと何度となくぶつかったとおもえば、ギリギリギリという音とともに結界に先端が突き刺さる。それを食らったら間違いなく俺なんて一撃で死ぬ。間違いない。勇者の冒険はここでおしまい、チャンチャン。となってしまうこと間違いなしであろう。



「フェリ!何とかフェリだけでも逃がしたいのだけども」


「や」


 話の途中に真顔で拒否られた。


「こ、ここはあb、危k……物騒だから、ね」


「うん」


 うん、じゃなくてほらっ、フェリだけなら送り届けられそうだから逃げてほしいなぁという心の叫びを聞いているだろうに。もしも人型だったら口をとがらせてジト目でこちらを見ているに違いない。えっと、どうしよう、ええっととりあえず吹き飛ばして距離を離して、えっと。だめだ思考が回らない。家でやるFPSのゲームとは違うのだ。判断できたとしても指一本動かすのと体と口を動かすのは差が大きすぎる。


「ざむぅ」


「吹き飛べ!あっ、なにフェリ!!」


「ディアが、向こうの用意できたけどかえってこない、って言ってるって」


 おそらくはジルさんたちのそれだろう。吹き飛ばしたというのに伸ばしたゴムのようにビュンと戻ってくるあの黒いやつを地面に縛り付けるための鎖。あれに唯一対抗できる手段。さすがにこれだけ離れていると心見は聞こえないが、ディアとフェリなら距離関係なしに意思疎通ができるらしい。さすが双子。


「フェリ、ディアにディアが10数えたら戻るって伝えて」


 向こうとこちらの意思疎通は諮るべきである。ちょうどいいところに二人がいるのだからお手伝いをしてもらうに越したことはない。10秒数えてもらったタイミングで自分があちらに飛んでいく。そしてそのまま穴でも掘って結界の中に引きこもればにその上で先ほどのようにうろうろするのではないだろうか。そして自分以外のものは興味を示したりもしない。そうなれば後は鎖で縛りつけるだけである。自分の言霊で捕獲補佐とか必要だろうか。


「ディア10無理。5まで」


 が、思わぬ弊害。そうだよな、うん。まだ1歳も行ってないっていってたもんな。こちらの配慮が足りなかった、うん。


「じゃあ今すぐ戻る!って伝えて大きな声でそれを回りに言ってほしいって」


「んー、伝えた」


「よし、はやく終わらせてみんなで早い朝飯にしよう」


 

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召喚勇者は弱音が吐けない 跡野 マツリ @maturi2173

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