キミは私のママのこと好きすぎ

有霞くるり

第1話 こうして三角関係(?)に

「――月夜つきよさん、あなたを愛しています」


 ――どうして。


 どうしてこうなったの?


「そんな、私みたいな、おばさんにそんなこと言うのは、困るわ……」


 だが、言葉に反して彼女――月夜は『おばさん』というには瑞々しすぎる女性ひとだった。

 整った美しい容姿。烏の濡れ羽色の豊かな髪。

 学生には出せない色気を、否応なしににじませる豊満な身体。

 だが、柔和さを見せる瞳は優しさに溢れており、身体のセクシーさを打ち消すほどの母性を見るものに感じさせる。


「おばさんなんて言わないでください」


 今しがた告白の言葉を放ったのは、月夜の前で膝を折り、その手を握る青年。

 学ランを着て眼鏡をかけているが、無骨な武士めいた雰囲気のある美丈夫。


「えっと……それじゃ、紅葉くれはちゃんのお母さん?」

「それは事実ですが、今はそうではありません」


 紅葉は、月夜の娘の名前だ。

 向き合っている『彼』は直矢なおやといい、紅葉の同級生。

 そして当の紅葉は、母と同級生を見て、かたわらでワナワナと震えている。


「その……お姉さん?」


 律儀に月夜――紅葉にとっては母親――『ママ』が照れつつ問いかける。


「違います」


 だが、直矢はその言葉も否定する。


「え、おばあちゃん……?」


 首を傾げながら月夜は戸惑った声を上げる。

 そんな動きも、大人の女性ながらしっくりくる可愛らしさがあった。


「まさか! そんなはずないでしょう」

「それじゃ――」


 直矢が顔を上げる、メガネを奥の凛々しい瞳がキラリと輝いたようだった。


「――あなたは僕の『愛』、そのものです」


(とんでもないこと言ったーーー!!)


 母親と同級生の色恋沙汰の一部始終。

 それを隣で見る羽目になっていた紅葉は、心の中で大絶叫をしていた。



   ◇


 ――話は、一時間ほど前に遡る。


 ことの次第を説明するためには、紅葉と直矢の関係と、ここに至るまでの経緯を語らねばなるまい。


 米出こめで高校にて才色兼備さいしょくけんび眉目秀麗びもくしゅうれい明眸皓歯めいぼうこうしといえば2年3組の才女、飯川いいかわ紅葉の名があがる。

 大和撫子然とした飛び抜けた美貌と、涼しげな瞳。母親譲りの黒髪は長い絹糸のようで、彼女のトレードマーク。


 成績は常にトップ。運動神経も抜群。

 さらに、クールな物腰ながら面倒見の良い性格。

 完璧という言葉を形にすればこうだ――というのは、彼女の信奉者たちの言葉を借りた表現となる。


 淑女のイメージ通り、目立つことを良しとせず文芸部において静かに読書にふける姿は、深窓の令嬢の名をほしいままにしている。

 高貴な姿ゆえに、多くの学生は彼女を遠巻きに見た。

 天才の孤独というものだろうか。

 文芸部に入部するものは『ただ一人』を除いていなかった。


 そのもう一人の男の名は真城ましろ直矢という。


 偏見を承知で形容するなら、メガネをかけた文芸部らしい男子学生。

 だが、『らしい』というには、彼も常識からは飛び抜けていた。


 180cmを越す長身。

 その上、肉体は引き締まっており、一年の時、体育祭のクラスリレーにて、文化部でありながら並み居る運動部たちの猛者をごぼう抜きにしたほどの伝説を持つ。

 その姿に、普段は寡黙だが、心には熱いものをもっていると多くの学生が認めた。

 そんな豪傑なエピソードに反して、その容姿は甘いマスク。

 整ってはいるが『優男』という表現が似合わない無骨さのある美男子。

 それが直矢である。


 二人が並べば、似合いの美男美女カップルとして校内で知らないものはいない。

 当然、二人の関係についても生徒たちは想像を巡らせ、常々話題にのぼる。

 だが、その問いかけをした時、必ず紅葉はそっけなくこう返していた。


「真城くんとは、いい友達よ」


 同じく直矢に聞いてみると、静かにこう答える。


「飯川さんは尊敬できる人だ」


 それが二人の見解だ。


 だが今日、二人が並んで校門を出たことで、多くの生徒たちに激震が走る。

 二人の関係に変化があったのでは? ――そう囁きあうのだった。



   ◇


「ありがとう。真城くん」

「なに、気にすることはない」


 二人のいる場所は――なんと紅葉の家。

 3LDKのマンションのリビングである。

 直矢がその長身を生かして、電気の交換をしていた。


「ごめんなさい。うちは男手がないからこういう時、助かるわ」

「母子家庭と言ってたな」

「ええ、今、仕事で出かけてるけど」

「高い場所は難しいものだ。僕にできることがあるなら、いつでも言ってくれ」


 電気交換のために、男手を必要としたから直矢に手伝いを頼んだ。


 ――無論、建前。


 親のいない家に、若い男女が二人きり。

 直矢が手伝いをしにきた日に、そんな偶然が起こりうるだろうか。


 否!


 そこには必然というものがある。


(今日こそ、大好きな真城くんとの関係を変える――!)


 そう。


 どれほど大人びて見えていても、紅葉は多感な高校2年生。

 人並みに恋に憧れ、また異性に興味のあるお年頃。

 紅葉から言わせれば、才色兼備、眉目秀麗、明眸皓歯の名は、この真城直矢こそふさわしい。


 恋人関係になるために今日、彼を家に招き入れたのだ。

 二人で校門を出たのも、生徒たちが囁き合い既成事実ができることを見越してのこと。


 だが、それを差し置いても今の状況は紅葉にとって実に美味しい。


(LED蛍光灯を取り替える、真城くんの横顔、真剣で素敵……尊すぎ♪)


 電灯に光が点いていなくても、その秀麗は顔は輝いているように見える。


(カッコいい……もう良すぎて! もっとずっと見てたいなぁ……)


 そんなよこしまな想いとは裏腹に、紅葉の表情は普段と変わらないクールなもの。

 この一年、直矢を見てニヤけそうになるたびに、表情筋を必死で抑えてきた。

 それが彼女の『クールビューティ』の秘訣である。


「よし、これで付け替えは終わりだ」

「ありがとう、お礼といってはなんだけど、お茶でも飲んでいって」

「これしきのことでお礼だなんて面映おもはゆい。気にしないでくれ」


(この、お礼を求めない利他の心も、クールで好き……)


 この恐縮した顔を撮ってスマホの待ち受け画面にしたいが、今は見とれている場合ではない。


「そんなこと言わずに……ね? 受けた恩を返せないだなんて悲しいわ。私を助けると思って」

「む。そう言わせてしまっては、受けるしかないな」

「ええ、そう言ってくれると思って言ったわ」

「ふふ……飯川さんにはかなわないな」


(微笑んだ! 微笑みもらった! 私だけの笑顔! やったー!!)


 そんな乙女の叫びも、クールな表情からは読み取れない。

 思考がどんなにお花畑でも行動はあくまで冷静に。これが彼女の強さだった。



   ◇


「想いを寄せる女性がいるんだ」

「…………………………はい?」


 アールグレイの香りが室内を満たしている。

 明るくなった灯りの下で、ティータイム。

 リビングテーブルには、真っ白なティーカップに入った深紅の紅茶が二つと、お茶請けにフルーツケーキが用意されている。


(ソファに並んで座れたし、後は肩を触れさせて真城くんをドキドキさせて――)


 そんな策謀を練っていた紅葉に『相談に乗ってくれないか』と語った直矢は開口一番、そんな言葉いちげきを食らわせてきた。


「え、えっと……学校の?」


 表情筋をフルに駆使して、何もないフリを装いつつ問いかけるが、その声はわずかに震えている。

 焦ってはいけない。

 『高校の誰か』ならば、自分である可能性だってある。


「いや、年上の女性ひとだ」


 その言葉は、紅葉のわずかな希望をやすやすと打ち砕く。


「少し前に、地域の河川清掃があって、その時に出会ってね。

 とても……笑顔が美しく、掃除も一生懸命な人だった。

 泥まみれでも、その素晴らしさは色あせることがなかった。

 まさしく、泥中の蓮……そう形容するにふさわしい女性ひとだった」


 切々と、ただ事実を話す行為。

 だが、ここまで多弁な直矢を紅葉は見たことがない。

 そしてこの誠実な青年が、ここまで他人を語ることも、かつてないことだ。


「その時から僕のまぶたの裏に、あの人の笑顔が焼き付いてしまった。

 寝ても覚めても……あの笑顔と、優しい声が忘れられない。

 会えたのはあの一度きりだというのに。

 また逢いたいが、それを理由に河川清掃に参加しようと思う自分は、ひどく汚れている。

 そんな僕が、あの人に会ってどうしようというのか……」


 真面目だ。もはや生真面目と言ってしまっていい。

 でも、その杓子定規しゃくしじょうぎさも、直矢の魅力だと紅葉は思っている。

 今どき、こんなに裏切らないと思える男もいないだろう。


 だが、想い人にここまで惚れた女への思いの丈をぶつけられたのだ。

 紅葉の心はオーバーキル状態。


「……そうだったの」


 だが、彼女もバカではない。


「だったら、その人と向き合えるように、私も協力するわ」

「なっ、いいのか。こんな悩みを聞いてくれただけでも、望外のことだというのに」

「もちろん、友達が悩んでいるのを見捨てておくだなんて、それこそ情がないでしょう?」

「すまない……だが、ありがとう。やはり飯川さんに話して正解だった」


 素早く頭を回転させて、紅葉は自身の最適の立ち位置を見つけ出す。

 一度会っただけの相手。しかも会う条件も絞られている。

 再会する前に直矢の相談に乗りながら、その心をこちらに向けてしまえばいい。


『飯川さん……君は僕の悩みをずっと聞いてくれた。

 なのにすまない、もう僕はあの人の顔を思い出せない。

 今、僕の瞼の裏にいるのは……君だ。

 本当にいちばん大事なものを僕は見落としていた。

 大切なものはすぐそばにあったんだ……思い出の人よりも、君が大切だ』


(なんてね……ふふふふふ……♪)


 表情は冷静に。だが、心の中は熱く謀略を練り続ける。


「それじゃ、これからのことを話すために私の部屋で作戦会議――」


「ただいまー」


 新たな行動に移るべく腰を浮かした瞬間、意外な声が二人の耳朶に届く。


「えっ、ママ?」


 想像以上に早く、母――月夜が帰ってきた。

 いつもなら、あと二時間は帰ってこないはずなのに。


「いつもより、早く終わってねー……あら?」


 リビングのドアを開き入ってきた紅葉によく似た女性。

 だが、雰囲気はまるで違う。

 紅葉が月ならば、彼女は太陽だろう。


「お友達?」

「ええ、同級生の真城直矢くん。いつも良くしてもらっているの」


 部屋に連れ込めないのは残念だが、家族に挨拶をする機会にしてしまえばいい。

 母親の月夜から見ても、直矢と紅葉の関係は気になるだろうし、あわよくば公認の間柄になってしまえば――


「あ、あなたは――」


 直矢が立ち上がり、シャンと背を伸ばす。


「ええ、紅葉ちゃんの母の月夜です。いつも娘がお世話になっています」

「……つきよ。そうでしたか」

「んん?」


 なんだろう。何かがおかしい。

 直矢は礼儀正しい人間だから、月夜の前では普通に挨拶するはず。

 なのに直立不動のまま、なにやら呟いている。


「あの、真城くん――」

「――月夜さん」


 月夜の前に立った直矢が膝を折りひざまずくと、彼女の手を取る。

 それはあたかも、騎士が貴婦人への愛を誓うような姿だった。


「え……あ、あの……」


 突然のことに戸惑う月夜。

 だが、その戸惑いを過去にするほど衝撃の言葉を直矢は紡ぐ。


「――月夜さん、あなたを愛しています」



   ◇


「――あなたは僕の『愛』、そのものです」


 そう、こうして冒頭のシーンに至るわけである。


(僕の愛って……愛って……! そんな恥ずかしいこと言うなんて!!)


 あまりの出来事に紅葉は混乱している。


 ドン引きだ。

 恥ずかしすぎて百年の恋も冷めてしまう。


 ――だが、もし自分に言われたら? そう紅葉は考える。


『紅葉さん、あなたは僕の『愛』そのものだ』


「…………」


(ふぁぁあああっ!! そんなに言われたら嬉しすぎるでしょー!!

 真城くんの『愛』になっちゃう! 百年の恋なんてメじゃないわ!

 むしろ、永遠の愛を誓わせてーーっ!!)


「だ、ダメよ。年だって離れているのに……急に言うのは……めっ」


 放心状態になった紅葉の前で、頬を染めながらも月夜は、しっかりと拒否する。

 だが、ドン引きとはほど遠い反応であり、嬉しさを隠しきれていない。


(私のママなんだから……そりゃ、考えることも一緒よね。

 ドキドキするに決まってる)


 月夜は早くに夫と死別してから、紅葉を育てることにすべての情熱をかけてくれた。若くして寡婦となりながら、紅葉に絶え間ない愛情を与えてくれた。

 そう、月夜は愛を与えることがあっても、もらうことは長らくなかった。


 そんな中、見目麗しく、心も誠実な青年から愛をぶつけられたのだ。


 紅葉は知っている。

 母と自分の好みが極めて近いことを――となれば、月夜は今、紅葉と同じ想いを抱いているに相違ない。


 ――まずい。

 このままでは、母親と大好きな人のカップルが誕生してしまう!


「……そうですね。まだお互いのことを知らないのに、出過ぎた真似をしました」


 だが、直矢は押しのけるほど暴力的な男ではない。あくまで紳士だ。

 繋いでいた手を離すと一礼して立ち上がる。


「ですが月夜さん、必ず貴方の心を奪いに来ます。どうか僕の愛を信じて、覚えていてください」

「はうぅっ!?」


 最後の言葉に含まれるこれ以上ない情熱に、母娘ともども真っ赤になって固まってしまう。


「今日は御暇させてもらいます。それでは、月夜さん、飯川さん。お邪魔しました」


 もう一度丁寧に一礼すると、その場を去っていく。


「ま、待って!」


 衝撃からいち早く、解放されたのは普段から直矢を見ている紅葉だった。

 マンションから出たところの直矢に追いつく。


「今日は……その、電気交換してくれて、ありがとう」


 言葉が見つからず、紅葉はそんなことしか言えない。


「飯川さん。お礼をいうのは僕の方だ。ありがとう。

 君のおかげで、僕は運命の人に再会できた。

 まだまだ認められるにはほど遠いだろう。

 だが、どうか、また月夜さんに会うことを許して欲しい」


 お礼は嬉しいが、内容はかなり問題だ。

 このままだと、早晩に母の心を直矢は得てしまうかもしれない。


 だが、月夜に会うということはすなわち、また直矢が家に来るということ。

 それは、大いなるチャンスではないか?

 母は仕事で不在の日もあるし、直矢と二人きりの日も増える可能性が――


「――まだその。恋とか愛とか言われてもわからないけど……」


 刹那に決断した紅葉は、恋愛についての不器用さを演出する。

 あたかも『これから、恋愛を互いに学んでいこう』と言うように。


「でも、ママや『私』の話し相手になって欲しいから、また来てね……♪」


 はにかみながら、欲望に忠実にな紅葉だった。

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