サヨナラ、小さな罪◇◇◇文芸部
八重垣ケイシ
『サヨナラ、小さな罪』
「さようなら、俺の小さな罪……」
「なんだいきなり中二病か? オマエはダークファンタジーの主人公か? いったい何を犠牲にして世界を救ったんだ?」
「ちげーよ、文芸部の今度のお題だよ。『サヨナラ、小さな罪』っていうのが」
「なるほど、これはタイトルからは暗い話になるのか? 罪って字が入るとネガティブになりそうだ。で、オマエはどんな罪を犯したんだ?」
「なんで俺が何かやらかしたようになってるんだ?」
「洗いざらい言ってしまえ、自白すれば情状酌量もある。カツ丼食うか?」
「取り調べ室か! しかも古いぞ! 今どきカツ丼出して自白させる刑事とかいるのか?」
「まあ、お約束というか定番というか。しかし、『サヨナラ、小さな罪』か、また無人島では使いにくいか?」
「無人島には法律は無さそうだから、罪ってのは無いのか?」
「罪を犯すと書いて犯罪なわけだが、無法地帯でも罪はある。いや、犯罪では無く罪悪感と言うのが正しいか」
「あー、違法じゃ無くとも人としてどうか、というのに人は罪悪感を感じるものか」
「そうだな、無人島なら海亀のスープ、とかになるか」
「いきなりカニバリズム!」
「人食いも非常時においては罪にならない、が、罪悪感を感じた船乗りは真実を知って自殺してしまった。これも人の心の機微というものだ。合法でも罪を感じることもあれば、違法でも何の罪悪感も感じない、と人の感受性は実に様々。世の中には何も悪いことをしていなくとも罪の意識に苛まれる人もいる」
「何も悪いことをしてなければ、罪の意識なんて無いハズだろ」
「そうでも無いぞ。親から虐待を受けた子供は親からの暴力に理由をこじつけたりする。自分が悪い子だから親から殴られるのだ、なんていうふうに」
「それはまた酷い話だ」
「消防車が赤いのも、郵便ポストが赤いのも、自分が不幸なのもお前のせいだ、と子供を殴ってストレス解消する親とか」
「デタラメ過ぎないか? その親」
「ストレス発散する親にとっては殴る理由なんてなんでもいい。しかし、子供とは経験も少なく論理の組み立ても未熟で、素直な子なんてのは親の言うがままになる。未熟な思考から殴られるという結果を受けて、そこに自分の親の暴力を正当化しようと理由をこじつければ、自分が悪いから殴られるのだ、という結論を作ってしまう」
「過程と結論が逆転してないか? 理が通らないだろ」
「人の思考は逆転しがちなものだ。そして環境が人を作る。結論ありきで考えてしまったなら、この子供は殴られたその経験から生きているだけでも自分が悪いと感じるし、息をしてることにすら罪悪感を覚える、ということになったりする」
「悲惨な洗脳じゃないか。生きているだけで罪人だなんてずいぶんと生きづらそうだ」
「人格障害の原因に幼少期のトラウマがあるのはこういうケース。逆に甘やかされて育った場合や、他人に共感できないサイコパスは、人を殴る蹴るといった暴力を振るっても罪悪感はまるで感じなかったりする。人によって差が大きいもんだ、罪の意識というのは」
「それでも人なら共通になる考え方とか、社会には法律とかあるだろ。ものを盗んではいけません。あなたが盗まれないために。人を殺してはいけません。あなたが殺されないために」
「amazarashiの性善説か。それに近いものは、人を撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、というのもある」
「反逆のギアス!」
「だが、えてして他人の人生を壊している人というのは、壊される人の気持ちというのが一生理解できない。だからこそやれてしまう」
「それだと、罪の意識の無い人の方が好き勝手やれて幸せそうだな。なにかムカつくが」
「そうしてムカつかれて人が離れていくことになり、孤独な生涯を送るんじゃないか?」
「ということは、罪の意識とは人が群れる社会で生きていくことに必要になるのか?」
「罪というのはテーマとして深い。その上、洋の東西を問わず全人類に共通のもの。古典の名作には罪の意識に言及するものがある。羅生門は一人の男が盗みをしないと生きていけないと、盗人になる覚悟を決めたりするし、罪と罰では、社会の役に立たない老婆は殺しても良し、むしろ殺した方が社会の為だ、という思想から老婆を殺したり」
「小さな罪のハズがなんだか大きくなってきたな」
「罪の大小と罪の意識の大小は比例するのか? 一人殺せば殺人犯だが、百人殺せば英雄だ、なんてのもあるか。この場合、一人を殺したことと百人を殺したこと、比べてどちらの罪が大きいのか?」
「そりゃ、百人殺した方が重罪だろ。百人分と一人分を比べたら百倍違う」
「罪悪感、罪の意識ではどうだろうな? 百人も殺せば慣れてしまってるんじゃないか? 最初の一人に思うことはあっても百人目あたりでは鈍くなって、罪の意識はどれ程感じているのやら?」
「そりゃ、どっか麻痺してるか、鈍いか、頭か心がおかしくなってないと百人も殺せないだろ」
「死刑執行人は社会正義の為に殺人をしているぞ」
「あ、そういう職業もあったか」
「人が人に人を殺せ、というのが死刑のひとつの問題で、だから刑務官はなりたくない職業の上位で今も人手不足が深刻だ」
「うーん、だけど日本は死刑のある国だから。死刑という極刑があること前提で、世界第8位の治安のいい国だから」
「そして価値観の多様化なんて言い出すと、猫を苛めるような人でなしは殺しても良し、なんていう人の命よりも猫の命が大事、といった主張にもなりそうだ」
「そりゃまた随分と気合いの入った動物愛護精神だこと」
「人間というものを知れば知る程に、飼っている猫が可愛く思える、とか言った詩人がいたか」
「その人、よっぽど碌でもない人達に囲まれてたんだな」
「ところで、犬や猫を殺すのは可哀想、だけど焼き鳥は旨いしトンカツは美味しいし、だからニワトリと豚は殺してもいいよな?」
「おい、ちょっと待て? 何かおかしくなってきてないか?」
「特におかしくも無い。原始人のように自分で食べる肉は自分で狩っていれば悩むことも無い問題なんだが。命を奪う、という自分がやりたくないことを金で他人にやらせているうちに、動物を殺してはいけません、と言いながら焼き肉おいしー、と食べる人達が増えた。これが都市型生活者の命に対する感覚のズレなんじゃないか?」
「いや、まあ、スーパーやコンビニに行けばそこでお肉は売っているし。自分で狩猟する人の方が少数派だろ」
「都市型生活者に菜食主義が増えるのは、動物の死に直接関わらない、生物の死を身近に直接見ない人が増えたのも要因なんじゃないかな?」
「あー、死と向き合い、命の重み、を自ら実感する機会は近代化と共に失われていく、か。現代日本に暮らしていれば、専門家以外、死体を見る機会も少ないものな」
「自分で釣った魚を自分でさばいて食べる経験があるだけでもかなり違うもの、なんだがな。命を奪う罪を越えて日々の糧を得る。しかし、そんな小さな罪も死と死体から遠ざかり、毎日を清潔に、気分の悪くなるもは目にしないようにしようと暮らしていくのが近代化。そこで命に対する考え方は昔より大きく変化している」
「そんなに変わるものか?」
「昔は葬式があれば近所の者が手伝うなどして、まだ死体を見る経験はあったんだろうが。死を目にする機会が減ったことで人はより死を恐れるようになったんじゃないかな? 現代に生きる我々は、病院関係者でも無ければ誰もが死から遠ざけられる。美味しい肉を食べるには動物を殺す必要があるが、今では多くの人がその現場を見ずに肉が食べられるようになった。誰もが命を奪うという小さな罪を忘れて生きていける時代。まさしく、サヨナラ、小さな罪、というところだ」
「そこに持って行くのか。いや、いただきます、と、ごちそうさま、は感謝と贖罪の儀礼か?」
「食前食後の儀式としては残っているか」
「だけど、罪って言うともっとこう、人に対してしてはならないこと、というものが出てきそうなんだが?」
「そっちの方がドラマとしてやりやすいだろう。浮気や不倫といった欲と愛と誠実さの葛藤とか、そこで起きる人の対立とか。浮気男のざまあにメシウマ展開希望、とか」
「いきなり俗っぽくなった。でも、小さな罪、ってそういう感じじゃないか? 大きくないから犯罪としては裁かれ無いが、本人にとっては、してはならないことをしてしまったとか、裏切ってしまったとか、いつまでも小さな引っ掛かりとして心に残りそうな」
「裁かれ無いとなれば決着もつかず、誠実な人ならいつまでも引き摺りそうだ。その後悔にひとまずのケリを着ける物語、というのが今回のお題で多そうだ」
「忘れかけていた昔の小さな罪を思い出してしまったりとかもな。そしてサヨナラ、と入っているということは、その小さな罪との出会いと別れの物語でもある、というところか」
「過去の小さな罪との再会に、納得するか、納得できないままに抱えていくことを決意するか。ふむ、このタイトルからだと、大人向けのしんみりしたものが多くなるのか? サヨナラ、小さな罪、をお題にしてコメディやギャグは難しいか」
「それが、な」
「なんだ? 微妙な顔して?」
「実は、後輩から頼まれていたことがあって」
「後輩って、文芸部のお前の後輩の女の子か? あの思い込みの激しそうな」
「お前があいつにおかしなことを吹き込んだせいで、俺のファーストキスが……」
「あ? あのあと捕まったのか? オマエ、女に押されると弱いのな」
「うるせえ、それはともかく、その後輩から書いた小説を見直してくれ、と頼まれてんだ」
「おまえが? なんで?」
「あの後輩も俺と同じく、部長の出したお題で小説を書いているんだが、後輩の書いた物を見て部長がいつも微妙な顔になる。感想もなにか気をつかったような奥歯にものが挟まったような。それに不満な後輩が『どうしたら先輩みたいに部長がニヨニヨするものが書けるんですか?』と相談された」
「……いや、オマエと文芸部部長の場合はな。オマエが心のうちをさらけ出して書いたものに、文芸部部長がニヨニヨしながらムチを打つ、という精神的にハイレベルなSMプレイであって、小説の内容は二の次なんだが」
「俺が頑張って書いたものをおかしなプレイにすんな。文芸部をSM同好会みたいに言うな」
「芸術家ってマゾ気質かサド気質が無いとできないと思うんだが。で、その後輩の相談というのは、オマエに部長好みの小説の書き方を教えてくれ、というものか?」
「いや、今回のお題で書いたものを渡された。これを添削してくれ、と」
「オマエが後輩に短編小説の書き方を教えるのか。まるで先輩のようだ」
「一応、俺は文芸部の中であいつの先輩だ。で、コレが後輩の書いた『サヨナラ、小さな罪』なんだが……」
◇◇◇◇◇
雨よ降れ、どしゃ降りの雨となり俺の罪を洗い流してくれ。
雷よ落ちよ、この身を稲妻で罪と共に焼き尽くしてくれ。
夜の雨の中を傘も無く、ずぶ濡れになり走る。足がもつれ水溜まりに倒れる。
この夜が雨で良かった。嘆きを雨のカーテンが隠してくれるから。
妹よ、妹よ、この愚かな兄を許してくれ。
瞼の裏には妹の泣き顔が浮かぶ。最愛の妹がこの兄を見る目は、裏切り者を断罪する目。軽蔑が込もったその眼差しに、全身を針に刺されるような思いから逃れるために家を出た。
夜の町は暗く、ザアザアと降る雨の音しか聞こえない。だが雨の中に逃げても妹の目が忘れられない。俺の罪を許さないと涙の浮かぶ眼差しが、いつまでも俺を責め苛む。
あぁ、妹に嫌われた。憎まれても仕方が無いことをした。なぜ、あんなことをしてしまったのか。
いや、原因を、理由を探ったところで俺の犯した罪が消えるわけでは無い。
責められて罪を自覚する。一度そこに在ると確認した罪は、いつまでも影のようにつきまとう。まるで、身体を腐らせようと侵食するカビのようだ。
だが、いかなる罰があればこの罪が
おお人よ、お前の大きな罪を嘆くがよい。
彼は人と神の仲立ちをしようとされ、死者たちに命を与え、すべての病を除かれた。
しかし時は押し迫り、彼は私たちのために生け贄を捧げられ、私たちの罪という重い荷を背負わされた。
マタイの受難曲ではそう唄う。だが俺の犯した罪を代わりに背負う救世主は、俺の側にはいない。
ならば俺はどうすればこの胸を焼く罪悪感から逃れることができるのか? いかなる罰を受ければこの罪と決別できるのか? 神よ、いるなら答えてくれ。
すまない、我が最愛の妹よ。お前の可愛い顔に悲嘆と不信の影を落としてしまった。お前が嘆くとき、空気は凍てつき明かりは薄暗く、まるで天照大御神が天の岩戸に隠れたかのようだ。お前が再びあの暖かな笑顔をその顔に取り戻すことができるなら、俺は裸踊りでもなんでもしよう。
時は戻らず、犯した罪を消すことはできず、ならば如何なる贖罪を果たせば良いのか。
すまない、俺の最愛の妹よ。どうか許してくれないか。
冷蔵庫に在った最後のプリンを食べてしまったこの兄を――
◇◇◇◇◇
「……、」
「この小説をどう直せっていうんだ? 俺はこの兄は、さっさとコンビニに行ってプリンを買って妹に謝ればいいと思うんだが。ここからどうタイトルの『サヨナラ、小さな罪』になるのか」
「……あの文芸部の新人、天才か?」
サヨナラ、小さな罪◇◇◇文芸部 八重垣ケイシ @NOMAR
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