六兆年と一夜物語

nogino

第1話

これは、名も無い時代、ある集落に住んでいた名も無い幼い少年が巡り合った、他の誰も知らない「おとぎばなし」である。


少年は産まれついた時から、忌み子だ、鬼の子だ、とその幼い身に余る程の罰を受けていた。


だが、少年にとって悲しい事は何も無かった。


嫌われるのが当たり前であり、日常であり、自分自身の運命だと受け入れていたのだ。


ある日、少年は夕焼け小焼けの赤く染まった空を眺めていた。


その日は村の汚れ仕事が思いのほか早く終わり時間が余っていたのだ。


と、突然少女が近づいてきて、少年の手を握った。


少年は、一瞬何が起きているのか分からずかたまったが、すぐに手を振りほどこうとした。


それは突然現れた少女を警戒したわけではない。


ただ、汚れ仕事を終えたばかりで手が汚れていたから、少女がそんな汚い自分の手を握ることに対して申し訳なく思ったからだった。


だが少女は笑顔で少年を見つめたまま手を放そうとしなかった。


流石の少年も、とうとう観念して手を振りほどくのを諦めた。


そして、少女に手を引かれるまま村の近くの森まで駆け出していた…。


少女と別れて村にある自分の寝床へ戻ったあと、少年は今日の出来事を振り返った。


「知らない!知らない!僕は何も知らない!」


そう思わずにはいられなかった。


少年は、叱られた後のやさしさも、雨上がりの手の温もりも、何も知らなかった。


「でも本当は… 本当は本当は本当に、『寒いんだ』」


それは少年が生まれて初めて感じた感情だった。


そして少年の胸には、もしかしたら何か変わるんじゃないか、という淡い期待が宿っていた。


だが現実は何も変わらなかった。


毎日、村人から蔑まれ、汚れ仕事を押し付けられた。


「死なない、死なない。僕は何で死なない?」


現実を知れば知る程、少年はそう嘆かずにはいられなかった。


「夢のひとつも見れないくせに。何で僕は…」


誰も知らないおとぎばなしは、赤い赤い夕焼けの中に吸い込まれて、誰にも知られないまま消えていった…。





だが、吐き出されるように振るわれる暴力と、まるでゴミくずを見るような、そんな蔑んだ目に囲まれた毎日の中、少年の心の中に、「君」はいつしか立っていた。


時折現れては自分の手を引いてくれる少女が、少年にとっては唯一の希望のように思えていた。


だが、少女は決して自ら自分のことを話そうとはしなかった。


少年も、少女に直接聞こうとはしなかった。


少女も何かを抱えて生きているのではないか。


そう思うと、自分のような汚い人間が触れていいような事ではないように少年には思えていたのだ。


だがある日、そんなこと話かけちゃだめなはずなのに、それを少年は分かっていたはずなのに、


「君の名前が知りたいな」


少年はそう呟いてしまった。


少女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻ると、「ごめんね、名前も舌も無いんだ」と言って微笑んだ。


「僕の居場所なんか何処にも無いのに。無いはずだったのに…」


それでも「一緒に帰ろう」と言ってくれる人が少年には出来ていた。


そのことが、少年にとっては果てしなく嬉しく思えて、少年はその日も少女に手を引かれて森へと駆け出した。


「知らない、知らない、僕は何も知らない!」


少年は、少女について、少女と過ごす幸せな時間について、もっともっと知りたいと願うようになっていた。


そのくらい、少年は少女について何も知らなかった。


「君」はもう子供じゃないんだってことも少年は知らなかった。


それでも、慣れない他人の手の温もりは、ただ…


「本当に、本当に、本当に、本当のことだった」


少年は自分の手を見つめながら、そう呟いた。


それと同時に、少年は少女のことを気にかけるようになっていた。


「やめない、やめない、君は何でやめない?」


見つかれば殺されちゃうくせに、そんなこと少女が知らないはずがないのに。


少年は、雨が降る中、村の汚れ仕事をしながら考え続けた。


だが、何も知らない少年が答えを見つけ出せるはずもなく、雨がどんどん弱くなるばかりだった。


雨上がり、少女はいつものように少年の手を握って森へと走り出した。


その時、少年の頭の中にあった仕事中考えていた疑問は消え去り、ただただこの限りある時間を楽しもうという気持ちだけが残っていた。


忌み子がふたり、夕焼けの中に吸い込まれて消えていった。





日が暮れて、夜が明けて、遊び疲れて捕まって、少年は早朝の日の出を浴びながら、


「こんな世界、僕と君以外、皆いなくなればいいのにな」


と言った。


「皆いなくなればいいのにな」


少女も、その少年の言葉を繰り返した。


と、少年も少女も知らない、知らない声が聞こえてきた。


「nyu:dw3:@.」


少年も少女もその言葉の意味を理解できなかった。


その言葉はまるでこの世のものではないもの、神話の世界に出てくるような、そういったもののように思えた。


すると、村人たちが起きてきた。


少年は咄嗟に少女の身を隠そうとするが、間に合わない。


「忌み子と一緒にいる奴は誰だ?」

「あんな汚い奴と一緒にいるなんて。あの糞餓鬼を殺そう」

「ああ、朝から汚いものを見てしまったわ。最悪の目覚めね」


村人たちはいつものように、口々に罵詈雑言を浴びせてくる。


少年は少女のことだけは守ろうと、必死に抗おうと村人達を見返した。


だが、最初見た時よりも、村人の数が減っているような、そんな気が少年はした。


そして、その疑念の答えが目の前で起こると、少年の疑念は確信に変わった。


村人達が次々に消えていく。


男も、女も、若いのも、年寄りも、みんなみんな消えていく…。


どれ程時間が経っただろうか、空は真っ赤に染まっていた。


そして全員が消えたとき、少年は、先ほどの声の主が自分達の願いを叶えてくれたんだと気づいた。


「僕と君以外の全人類、抗う間もなく、あの人に手を引かれて消えていったんだ」


その少年の言葉に少女も、


「夕焼けの中に吸い込まれて消えていったね」


と、笑って返す。


(知らない、知らない、僕は何も知らない。


これからのことも君の名も、僕は全く分からない。


だけど、今は、今は、これでいいんだと、ただ、本当に、本当に本当に、本当に思うんだ。)


少年は心の中でそう呟いた。


少年の中に残っていた、知らない、知らないあの耳鳴りも、夕焼けの中に吸い込まれて消えていった。


ただ赤い空の下には、忌み子がふたり、夕焼けの中に佇んでいた。

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