第11話 円環の因果の話 前編
サナは巨大なキツネの姿になると、窓ガラスを突き破り室内に飛び込んだ。
「やめろー!」
サナはそのままコンに包丁を突き刺し続ける男の子に体当たりをし、跳ね飛ばす。
「コン、コン、大丈夫か? 助けに来たぞ」
サナはコンに顔を近付ける。
「もう、大丈夫だからな」
「あ、ああ、あ、ああああ」
コンは虚ろな目で空を見ながら、声にならない声を発する。
「コン、コン」
サナはさらに声をかける。
「あ、あ、あー!」
突然、コンは叫ぶ。
それに応えるように、コンの周囲に広がっていた血だまりから、真っ黒な、人間の手のようなものが無数に出てくる。
腕はサナの体に絡みつき、その体を持ち上る。
「なんだ、はなせ!」
サナはもがくが、抜け出せない。
そして、腕はサナを壁にむかって投げる。
壁にぶつかったサナは、うずくまり、人間の姿に戻る。
「サナ、逃げるよ」
ラクは駆け寄ってくると、サナの肩を担ぎ、外に出た。
「ああ、あー!」
サナはその間際に見た。叫ぶコンと、その周囲でうごめく大量の腕を。
ラクの家へと逃げ帰ると、三人はリビングの床にへたりこんだ。
「サナ、怪我してへん?」
ラクが尋ねる。
「大丈夫だ。キョウコは大丈夫か? イヤなもの、見せちゃったな」
「平気。でもあれ、なんなん?」
平気といいつつ、キョウコの表情には恐怖が残っていた。
「あれが、呪いだよ」
サナは静かに語る。
「ヒトが抱く嫉妬、怒り、憎しみ、悲しみ。そういったものが、濃縮され、目に見える形として現れたもの。いわばヒトの想いの集合体。魂を持つ者は皆、アレを生みだしてしまう可能性はあるよ。私も、キョウコも」
そのとき、ラクがガラスコップに水を入れて持ってきた。
「でも、あんなに強い呪い、はじめて見た」
ラクはコップをサナに渡しながらそういったあと、更にこう続ける。
「もうこれは、私たちでは対処できへんと思う。専門の神獣に連絡しようと思うけど、いいよな、サナ」
ラクはそういいながらスマートフォンを取り出す。
「ラク、それで、コンを助けられるかな?」
サナはすがるようにラクを見た。
「うん。大丈夫。知ってるやろ? あのヒトらはそれが専門やから」
日が暮れて、暗い部屋。サナの自室だった部屋。
サナはそこに、一人でいた。
キョウコは帰宅し、ラクは直接“呪い”についての説明を求められたとのことで、母親と大社にむかった。
かつて使っていた勉強机。
天板には黒いインクの染みがいたるところについている。
照明を消した暗い部屋。それでもサナには机の様子がよく見えていた。
ゆっくりと椅子に腰かけ、机の引き出しを開ける。
中に入っていたのは、漫画の原稿だった。
かつて、サナが描いていた漫画。
サナはゆっくりと、丁寧に、一枚ずつ、原稿に目を通す。
「なぁ、サクラ。この頃の漫画、哀しいな」
独り言のように、サナはつぶやく。
「上手くいかなかった話、失敗した話、傷付いた話。そんなのばっかり描いてた。だけどな、最近はちょっとだけ、前をむいていた。私、自分で気づいていなかったけど、最近の漫画は、前よりちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、前向きな話が増えてた」
サナは原稿の上を、そっと手でなでる。
「コンと出会ってからなんだ。それから、全部、変わっていったんだ」
サナの後ろに、一人の少女が現れた。
それは、漫画の登場人物、若葉サクラだった。
サクラはそっと、サナの肩に手をのせる。
サナは、ゆっくりと口を開く。
「こんなに大切な、大事な、コンのことなのに、私にはもうなにもできないんだな。私はまだまだ無力だ。委ねることしかできない」
「作品は心の鏡。そこにうつるあなたの姿が私でなくなることが、私には嬉しかった」
サクラの姿は、サナそっくりに変化し、そして空気に融けるように消えていった。
いつの間にか、眠っていた。
目を覚ますと、朝だった。
横に、ラクが立っていた。
「ラク、コンのこと、どうなった?」
サナは飛び起きる。
「調査と会議はまだ続いてる。とりあえず、これがわかったから」
ラクはそういって、サナに一枚の紙きれを渡した。
そこには、ある住所と、××という一人の男性名が書かれていた。
「呪い対策班が特定した、あの男の子の家と名前」
「いいのか? 私は、あの男の子を噛み殺しにいくかもしれないぞ」
「サナはそんなことしいひん。そう思ってる」
サナは、ラクから紙を受け取った。
午後から、サナは出かけた。
紙に書かれた住所は、すぐ近所だった。
サナは歩いてその家へとやってきた。
ごくごく普通の、ありふれた家だった。
サナは、チャイムを押した。
しばらくして、老婆が出てきた。
「あら、いらっしゃい。どうしたの?」
「あの、私、××くんのクラスメイトで」
サナは例の男の子の友達だと名乗った。
サナはリビングに通された。
ソファに座っていると、さっきの老婆は、お茶を出してくれた。
「ごめんね。あの子、今出掛けてるの。すぐに帰ってくると思うわ」
サナは一口、お茶を飲む。
「××はね、私の孫なの。学校では、どんな感じ?」
「え、えっと、とっても楽しそうです」
サナの返事、これはもちろん出まかせだ。
「あの、いくつか尋ねたいことがあるんですが、いいですか?」
サナがそう切り出すと、テーブルを挟んで正面に座る老婆はゆっくりとうなずく。
「八重垣コン、というヒトを知っていますか?」
老婆は、一瞬、驚きの表情を浮かべたが、すぐに冷静さを取り戻したようだ。
「あなたは直接、八重垣さんと会ったことあるの?」
サナはゆっくりと首を縦に振った。
「どんな関係だったか、訊いていい?」
「同じ家で暮らしていました。姉妹ではありませんが、単純に友達というのも少し違うかなって、思っています」
「家族、ということね」
「これを家族と呼ぶなら、そうだと思います」
サナはそういってから、お茶を飲んだ。
「ねえ、あなた。本当は××と特別仲がいいわけじゃない。そうでしょ?」
続いて老婆は、そんなことを尋ねた。
「はい。ウソをつきました」
それに対して、サナは素直にこたえた。
「本当は、コンと××の関係を知りたかったから、ここに来たんです。教えてもらえませんか?」
老婆は少し考え、語りはじめた。
「八重垣さんを殺したのは、××の両親よ。八重垣さんが××を殺そうとした。だから八重垣さんを包丁で刺した。だから、正当防衛だった」
「嘘だ!」
サナは思わず声をあげ、立ち上がる。
確か、男の子がコンのつくった料理に××が漂白剤を入れ、それが原因で二人はもみ合いの喧嘩になり、そこでコンは××の母親に包丁で刺殺された。
その後、コンは××の父親によって、山中に埋められたが事件は発覚し、数か月後に遺体も掘り出された。
少なくともサナはそう聞かされていた。
老婆は座るようジェスチャーを送り、サナもそれに従った。
「落ち着いて。私だって、それが正しいとは思っていないし、実際に裁判で正当防衛が認められることはなかったわ。ただ、××はそれが真実だと思ってる。あなたには受け入れられないかのしれないけど、××は、八重垣さんを恨んでいる」
サナの脳裏に、景色が浮かんだ。
昨日見た、××がコンを包丁でめった刺しにする様子。
老婆の話はまだ続く。
「直接八重垣さんを殺した××の母親。遺体を山中に捨てた父親。二人とも刑務所で服役中よ。事件の後、××はいくつかの親戚の家をいくつかたらいまわしにされて、結局私が引き取ることになったわ。学校では両親がヒトを殺めたという噂がながれ、あの子はイジメられた。だから、学校も、転校させた」
老婆はそこで一度、言葉を切ると、サナの顔を見ながらこんなことをいった。
「あなたは、本当に八重垣さんと仲がよかったのね」
「わかるんですか?」
「その顔を見ればね。恐い顔してるわ」
サナは一度、老婆から目をそらし、一度頬を叩くと再び前をむいた。
「××は毎日のように前に暮らしていた家へいっているわ。今、売家になっているのだけど、事故物件だからなかなか売れないみたいね。鍵すら取り替えていなくて、前の鍵で毎日家に入り込んでる。なにをしているのかは知らないけど、寂しがっているのよ。両親と離れ離れになったから。残念だけど、私には救ってあげられないわ」
サナは立ち上がった。
「ありがとうございました。帰ります」
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