第6話 小さかった者たちの話 前編

 夕空はれて 秋風ふき

 つきかげ落ちて 鈴虫鳴く

 思えば遠し 故郷の空

 ああわが父母 いかにおわす


 すみゆく水に 秋萩たれ

 玉なす露は すすきにみつ

 おもえば似たり 故郷の野辺

 ああわが兄妹 たれと遊ぶ


 保健室。

 養護教員の三木橋チエミは歌を口ずさみながら事務仕事をこなす。

 そのとき、ドアをノックする音が聞こえた。

「いらっしゃい。珍しいね」

 三木橋チエミはドアを見ないで。

 ドアを開けたのは、サナだった。

「ちょっと、指を切ってしまったんです」

 サナは左手の指先をハンカチで押さえていた。

 ハンカチには微かに血がにじんでいる。

「うん。じゃあ絆創膏はってあげる。そこ座って」

 サナはチエミの前の丸椅子に座る。

「見せて」

「家庭科の調理実習で、包丁使ってって切っちゃって」

 サナはチエミに傷口を見せる。

「珍しいね、サナちゃん」

 チエミはそういいながら、ガーゼに消毒液を染みこませ、傷口にあてる。一瞬、サナの表情が痛みに歪んだ。

「それで、なにか私に用があったんでしょ?」

 サナはチエミから目を逸らした。

「どうして、わかるんですか?」

「だって、サナちゃんはこのくらいの傷、自分でなめて治しているでしょ?」

 サナは小さくうなずく。

「切ったのは、ワザとじゃないです。うっかりしてました。でも、ちょっと、イチキシマヒメ様に相談したいことがあるんです」

 チエミは消毒に使ったガーゼを捨てると、絆創膏を取り出した。

「なんにもなくても来たらいいのよ。あと、イマの私はチエミよ」

 サナはそっと、チエミに視線をむけた。

「チエミ先生は、神様の会議にいかなくていいんですか?」

「いいのよ。お姉さまと妹がいってくれてるから。別にお母様やオオクニヌシ様に会いたい理由もないしね」

 チエミは絆創膏をサナの指に巻いた。

「それで、相談したいことっていうのはコンちゃんのこと?」

 サナはうなずいた。

「はい」

 続いてサナは自分の指の絆創膏を見ながら話しはじめた。

「コンが、京都にいるらしいんです。前に私が通っていた小学校の男の子と一緒にいたらしいんです。ラクっていう、前に友達だったキツネが、調べてくれているんです」

 チエミは「そっか」といってうなずく。

「それで、私も京都にいきたいなって、思うんです。ラクのこと信用してない訳じゃないんです。とっても優秀なキツネだと思ってます。でも、私、コンの力になりたくて。今まで沢山助けてもらった分、助けてあげたくて……」

 サナはうつむき「でも」と言葉を繋ぐ。

「怖いんです。また京都にいって、また上手くいかなくて、またいろんなものを失くしてしまったらどうしようって。失敗して、私が傷付くのが、恐いんです。痛いのが恐いんです」

 サナはスカートを握りしめ、肩を震わす。

 その肩に、チエミはそっと手を乗せた。

「サナちゃん、最近、ちょっと背伸びたんじゃない? 成長期だしね」

「そう……かな?」

「そうだよ。とっても緩やかな成長だから、昨日と比べて大きくなったな、って感じることはないかもしれないけど、毎日大きくなってるんだよ。一度さ、確認してみて。前には手が届かなかった高い場所にも、手が届くようになってるはずだか」

 チエミは一度、息を吸いなおす。

「未来がどうなるのか。私たち神にもわからないわ。でも、私は祈ってる。サナちゃんが望む結果にたどり着けることを。だから、イチキシマヒメノミコトの名において、長尾サナに命じます。京都へむかい、八重垣コンの魂を連れ戻すのです」

「はい」

 サナはうなずいた。

「学校のことは、私が上手くごまかしておくから、サナちゃんは気にしないで、いっておいで」


 その日、サナが家に帰ると母は畳に正座してアイロンがけをしていた。

「お帰り、サナ」

 アイロン台の上のそれは、京都の学校の制服だった。サナの部屋の押入れに段ボール箱に入れて置いてあったはずだ。

「お母さん、それ……」

「うん。いってくるんでしょ? サナ」

「……ごめん」

「もう、謝ることじゃないって。私もね、コンのこと心配なのよ」

 そういってアイロンを服の上からよけると、母は自分の横の畳を叩く。サナはそこに座った。

「二年生のとき、あなたが京都にいくことになってね、正直、私は嬉しかった。自慢の娘がウカ様に認められて、京都に呼ばれる。とても嬉しかった。だから、あのときは言ってあげられなかった」

 母は、サナを抱き寄せた。

「サナ、嫌なことがあったら、いつでも帰ってくるのよ。いつ帰ってきてもいいのよ。ここは、サナのお家だから。私は、サナがどんなキツネでも娘だと思ってる」

「ありがと。お母さん。でも、私はコンと一緒に帰ってくるから」


 次の日の朝早く、サナは家を出た。

 母は若桜駅まで見送りに来てくれた。

「じゃあ、いってくる」

 サナはそういって列車に乗り込む。

「うん。いってらっしゃい」

 母は笑顔で手を振る。

 鋭い笛。ドアが閉じる。

 列車は走り出す。

 母はずっと手を振っていた。


 若桜鉄道の終点の郡家駅で列車を降りた。

 ほどなく、同じホームに青い特急列車が滑り込んでくる。

 サナは一度深呼吸して、列車に乗り込んだ。

 すぐに扉が閉まり、列車は走り出す。

 サナは自分の席に座った。

 車窓にうつる山々は飛ぶようなはやさで過ぎ去り、列車は山陰から山陽へ。

 淡路島、明石海峡大橋を望みながら海辺を駆け抜け神戸、大阪のビルの合間をかいくぐり、到着したのは京都だ。

 サナはプラットホームに降り立つと、短く息を吐いた。


 次の日の朝。

 京都市内のある私立小学校。

 そこにサナはやって来た。

 おおよそ一年前まで通っていた学校。

 もう一度、来ることになるとは思っていなかった。

 この学校の制服。学校の鞄。そして、眼鏡をかけてマスクをしている。顔を知っているヒトがここには沢山いる。

 同じ制服を着たヒト達が、ぞろぞろと校門をくぐっていく。

 サナは周囲の様子が気になったし、心臓はバクバクと音をたてている。

 しかしそれでも、周囲のヒトたちに不審だと思われないように、毎日こうして通ってますよって顔をするように心掛けた。

「おはようごっざいまーす」

 校舎の入り口で、登校してくる子供たちに挨拶しているのは校長先生ともう一人、サナがこの学校に通っていた頃に担任だった男性の先生だった。

 サナは目をそらしながら、横を通りすぎる。

「おはよう」

「おはよう、ございます」

 挨拶も小さな声でかえして、足早に立ちさろうとしたときだ。

「ちょっと待って」

 先生に声をかけられた。

 眼鏡とマスクという姿。サナだとはわからないはずだ。自分にそういい聞かせる。

「元気ないみたいだけど大丈夫? マスクもしてるし、風邪? 体調悪いなら、ボクから担任の先生にいっておくよ。クラスと名前教えて」

「えっと、四年三組、八重垣コンです。でもこれ予防なので、大丈夫です」

 サナはそうこたえる。

 コンと関係のあるヒトを探しているから、コンの名前を出しておけば探しているヒトがむこうから来てくれる可能性もある。と、チエミ先生がいっていた。

「気分悪くなったら、すぐに先生にいうんだよ」

 先生にいわれて、サナは小さくうなずき校舎に入っていった。

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