第5話 ラクというキツネの話 後編

 歩いていくうちに、遠くに見えていた京都タワーが徐々に近付いてくる。

 それと同時に、街をゆくヒトは多くなる。

「もうちょっとですよ」

 ラクはそういった。

「イマ、あれ」

 突然、ミキが声をあげた。

 ミキが指差す先、バスが行き交う大通りをはさんだむこうがわ、いきかう人々の中にコンの姿を見つけた。

 クリンクリンのくせ毛、頬の火傷の跡。

 まぎれもなくコンだった。

 虚ろな眼差しで、小学校高学年くらいの男の子と並んで歩いていく。

 男の子は、ラクと同じ学校の制服を着ている。

「コンさん!」

 イマは叫んだ。

 すると、ラクも事態に気付いたようだ。

「コンさん? あのヒトが……追いかけましょう」

 いい終わる前にラクは走り出した。

 イマとミキもすぐさまそれを追いかける。

 ラクはビックリするような速さで、右へ左へヒトを避けながら走っていく。

 イマとミキは必死にラクの後を追うが、その距離は離される一方だ。

 そして、ラクは信号が変わりかけの横断歩道をギリギリのタイミングで走り抜ける。

 一方、イマとミキは同じ横断歩道で足止めされた。

 車の通行量が多く、信号無視で強行することもできそうにない。

 ミキは膝に手をつき、荒い呼吸をする。

「先輩、大丈夫ですか?」

 イマは心配そうに声をかける。

「このぐらい平気よ。でも、アタシたちは追いつけそうにないわね」

 ミキは息をきらせながらいった。

「そうですね」

 イマは小さな声でいった。

 通行量の多い道で、信号が変わるまでかなり時間がかかった。ラクも、コンも、完全に見えなくなっていた。

 信号がかわり、横断歩道を渡ると、正面からラクが歩いてくるのが見えた。

「ごめんなさい。見失いました」

 ラクはうつむきいった。

「ううん。ありがとう」

 イマは首を横に振った。

「まあ、アレは間違いなくコンだったし、それが京都にいるってわかっただけでも大きな進歩よ」

 ミキがいった。

「私も、もう少し調べてみます。一緒にいたあの男の子の制服。あれウチの学校のものですし」

 イマはうなずく。

「うん。お願い」


 ラクの案内で、京都駅に到着した。

 中央改札のところに、同じ班の二人、セリカとカノンがいた。

「もー、イマちゃん。心配したんだよ」

 カノンは口を尖らせた。

「ごめんね。道に迷って、スマホもバッテリー切れちゃって」

 イマは照れたように笑った。

「じゃあ、私はこれで」

 ラクはそういって、立ち去る。

「ありがとね」

 ミキがいうと、ラクは無言でうなずいた。


 ホテルは各部屋にある風呂とは別に、共同の浴場がある。

 イマたちの班はこの共同浴場に入ることにした。

「ああー、生き返るー」

 カノンは浴槽につかりながら、そんなことをいった。

 セリカはバスチェアに座り、体を洗っている。

 イマはセリカの横のバスチェアに座る。

 蛇口を捻り、シャワーから出るお湯で髪を濡らす。

 物心ついたときからずっと長髪だったが、数カ月前にバッサリと切ってもらって、以降ずっと短髪を維持している。洗いやすい。

「ねぇ、セリカちゃん。今日、コンさんを見かけたの」

 シャワーを浴びながら、イマはそう切り出した。

「どこで?」

 セリカは驚くと思っていた。しかし、予想外に落ち着いた様子だった。

「街の中を歩いているのを見たの。知らない男の子と一緒だった」

 セリカはイマの声を聞きながら、体の石鹸を流していく。

「私を京都駅まで連れて来てくれたあの女の子、ラクちゃんっていうおキツネさんなんだって。ラクちゃんも、色々調べてみるって、いってくれてた」

「そっか」

 セリカは短くこたえると、洗面器に湯をためる。

「セリカちゃん?」

 イマは、あまりにも素っ気ないセリカの態度が不思議だった。

「なにかしてあげたい。でも、私にできることが、なんにもない」

 セリカは静かにいうと、洗面器の湯を頭からかぶった。


 数日後。

 鳥取県若桜町。

『和食処 若櫻』の店内。

 セリカはカウンター席に座る。

 カウンターの内側に立っているのは、コン、のはずがなく、サナだった。

 店自体はお休みにしているが、サナは毎日ここに来ていた。

「セリカ、なにか飲むか?」

 サナは冷蔵庫をのぞきながら尋ねる。

「うん。なんでも、できる物をおねがい」

「冷たいのでいいか?」

 サナは窓の外に目をむけたのに合わせて、セリカも窓を見る。秋風は吹き抜ける屋外は少し肌寒さを感じる季節になっている。

「猫舌だから。サナちゃんは」

 セリカはいった。

 サナは二つマグカップを取り出すと、それぞれに少量の牛乳を注ぎ、電子レンジで温める。そして、そこにココアパウダーを入れて、かき混ぜて溶かすと、カップいっぱいになるまで冷たい牛乳を注ぐ。

「はい、どうぞ」

 そして、片方のマグカップをコンに差し出した。

「ありがと」

 セリカはココアを一口飲んだ。

「京都はどうだった?」

 サナは尋ねる。

「いいところだと、私は思った」

 セリカは慎重に言葉を選びながらこたえた。

「そっか。楽しめたなら、よかった。せっかくの、修学旅行だからな」

 サナは目を逸らし、そういってからココアに口をつけた。

「ねえ、サナちゃん。ラクちゃん? っていうおキツネさん、知ってる?」

 サナはセリカを見た。口についたココアの滴が、床に落ちた。

「逆に、どうしてお前がラクのことを知ってるんだよ」

 驚くサナに、セリカはゆっくりと話しはじめた。

「あのね、イマちゃんがね、京都で道に迷ったの。そこで助けてくれたのがラクちゃんだった。それでね、案内してもらってるとき、コンさんを見かけたんだって」

 サナの視線が、右へ左へせわしなく動く。

「コンさん、ラクちゃんと同じ学校の男の子と一緒だったんだって」

 サナはゆっくりと、慎重に尋ねる。

「セリカ。どうして、私にそれを教えてくれたんだ?」

 セリカはココアを一口飲んだ。

「私にできることは、これだけだから。サナちゃん。コンさんはね、サナちゃんのお友達だけど、私のお姉ちゃんなんだよ」


 その日の夜。

 サナは自分の部屋の押入れを開けた。

 だくさんの段ボール箱が積まれている。迷うことなくその中の一つを取り出し、床に置くと開封した。

 入っていたのは、サナが京都で暮らしていたときに通っていた学校の制服。

 赤いリボンが巻かれた制帽に、紺色のブレザー。校章入りのカッターシャツ、灰色のスカートだ。

 ブレザーを取り出し、広げる。

 元々このブレザーは予備として持っていたもだから、数回しか着ることはなかった。

 毎日着ていた方は、友達のキョウコに貸したきりになっている。

 誰かが部屋に近付いてくる足音が聞こえた。

 サナは慌ててブレザーを片付け、段ボールの蓋を閉めた。

 部屋に来たのは母だった。

「サナ、ごはんできたよ」

 母はちらりと段ボールを見ると、そういった。

「うん。わかった」

 サナはうなずくき、部屋を出た。

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