第3話 コンが怒った話 後編

 次の日、コンが学校から帰ってくると、自分の部屋にランドセルを置いた。

 本来は二人部屋だが、同室の女の子は先週もとの家に帰っていった。

 ドアをノックする音。

「はい」

 コンはドアを開けた。ユーコだった。

「ええっと、八重垣さん?」

「あ、はい。八重垣コンです」

「みんなと仲良くなりたくて、こうして一人ずつ声をかけているの。コンちゃんはここに来て長いんだっけ?」

 コンはちょっと考える。

「四歳のときの冬だったので……6年、もうすぐ七年目です」

「虐待、されちゃったんだっけ? 女の子なのに、かわいそうにね。目立つところに火傷が残っちゃって。学校でイジメられたりしてない?」

 コンはそっと、手で頬の火傷の跡を隠した。

「一年生の頃は、そういう時期もありました。でも今は、助けてくれる友達がいます」

 コンだそういうのと同時に、玄関からタマキの声が聞こえた。


 本当にたった一晩でタマキは脚本を書きあげてきた。

 原稿用紙に丁寧な文字で書かれており、漢字には全てふりがなが振られている。

 昨日同様、食堂にみんなが集まる。

 コンはそれをコピーして、劇に出る全員に渡した。

「じゃあ、配役を決めんで」

 コンはホワイトボードに役名を書き出していく。

「主役のキツネだけど、コンがいいと思う」

 すかさず、一人の女xの子がいった。コンより年上、中学生の女の子だった。

 すると、次々と「それがいい」と声が上がる。

「決まりやね」

 タマキはそういって、ホワイトボードのキツネの下に『八重垣 紺』と書いた。


 それから、順に役を決めていった。実際に舞台に上がるヒトだけでなく、大道具や小道具、衣装担当まで特にもめ事なく決まっていった。

 タマキは施設の子供でないが、監督という訳職に収まった。その点についても、特に不満は出なかった。


 こうして劇の練習ははじまった。

 食堂でやった。

 並行して、小道具や衣装も出来上がっていく。

「コンちゃん、これつけて」

 タマキが衣装担当から借りてきたそれを、コンにつけた。

 カチューシャのように頭につける、キツネの耳だった。

「それで、このポーズ。コンコンってして」

 タマキは指でキツネをつくり、小首をかしげる。

「え、そんな、恥ずかしいって……」

「ええから、ええから」

「こ、こう?」

 コンは顔を真っ赤にして照れながら、同じポーズをとった。

 タマキはポケットから小型のデジカメを取り出し、コンの写真を撮る。

「タマちゃん、辞めてよ。恥ずかしい」

「コンちゃん、かわええよ。自信もって」

 タマキはカメラの液晶画面を見ながらいった。

「調子はどう?」

 そのとき、ユーコがやって来た。

「あ、先生。見てください。コンちゃんかわいいですよ」

 タマキがいった。

「えっと、それはキツネ?」

 そういえば、園長には劇の脚本を渡したが、他の先生には渡していない。

「はい、私、キツネの役で」

 コンはちょっとはにかみながらいった。

「……そう」

 ユーコは怪訝そうな表情を浮かべながら、出ていった。

「どうしはったんやろなぁ」

「さあ」

 タマキとコンは顔を見合わせる。


 それから準備はどんどん進み、本番の日を迎えた。

「みんな、どうして来てくれたの?」

 公民館の舞台の上で、キツネの耳をつけたコンがいった。

「キツネさん、一緒に外に出てみましょう。本当のキツネさんを知ってもらいましょう」

 ウサギの耳をつけた男の子がいった。

 こんな感じで、劇は順調に進む。

「こうして、キツネはまた、動物たちと仲良く暮らすようになりました。おしまい」

 ナレーションが読みあげられると、大きな拍手が巻き起こった。


 劇を見にきたヒトたちが帰った後、施設のみんなで後片付けをした。タマキはここまで手伝ってくれた。

「ありがとうな。こんなとこまで手伝ってくれて」

 コンがそういうと、タマキは首を横に振る。

「私も、楽しかったからええねん」

「でも、おおきに」

 そこへ、ユーコがやって来た。

「タマキさん、ちょっといい?」

 ユーコは手招きする。

「あ、はい」

 タマキはユーコに連れられて、物陰に消えていった。

 コンはその様子が気になったが、今は片付けに徹することにした。

 やがて、片付けは終わった。

 タマキが戻ってくることはなかった。

「タマちゃん、どこいったんやろ?」

 コンがつぶやいたそのときだ。

「コンちゃん、コンちゃん」

 やって来たのは、施設で暮らす中学生の女の子だった。

「タマキちゃん、なにかあったの? さっき泣きそうな顔で走っていったけど……」

 女の子の言葉を聞いた途端、コンは走った。


 公民館を飛び出し、夕日が差す道を走る。

 どこへむかっているのか、コン自身もわからない。それでもコンは走り続ける。

「タマちゃーん」

 見つけた。

 公園のブランコに、タマキはブランコに座っていた。虚ろな目をしていた。

 コンは駆け寄る。

「タマちゃん、どしたん」

「コンちゃん、劇、嫌やった? ホンマはやりたくなかった?」

 タマキはうつむき、力なくいった。

「そんなことないよ。やってて楽しかった。どしたん? 急に」

「さっきな、ユーコ先生にいわれてん。コンちゃんをイジメないでって、いわれて」

「私、いじめられてない。そんなことなかった。ユーコ先生、なんでそんなこといったんやろ」

 コンはタマキの横のブランコに座る。

「ユーコ先生、劇のあの脚本はコンちゃんをイジメていることになるって、コンってキツネみたいな名前やのに、その子をキツネのバケモノって呼ぶのはイジメだって」

「私がコンって名前やから、キツネのみたいな名前やから、私が劇の中でキツネのバケモノって呼ばれるのはイジメやってこと?」

 コンの言葉に、タマキはうなずく。

「わかった」

 コンは勢いをつけて、ブランコから飛び降りた。

「コンちゃん、怒ってる?」

 タマキは不安そうな視線をむける。

「うん、怒ってる。すぐ終わるから、ちょっと待っててな」

 コンは走り出した。


 コンは施設に戻ってきた。

「あ、コンちゃん。お帰り」

 施設の子供が声をかけてきたが、コンは返事をせずに職員室へむかった。

「ユーコ先生、どういうことですか?」

 コンは低く、うなるような声でいった。

「えっと、なにかな?」

 ユーコは不思議そうな表情をコンにむけた。

「タマちゃんのことです。なんであんなことゆうたんですか?」

「コンちゃん。あなたは嫌な想いを上手く伝えられないタイプだと思うの。だから、代わりに私が守ってあげるから」

「私は、嫌な想いをしていません。とっても、楽しかったです」

 コンは、静かにいった。

「コンちゃん、今はそう思うかもしれない。でも、もっと大きくなったとき、あのタマキって子が何をしたか思い出して、傷付くことになる。コンちゃん、あなたみたいなかわいそうな子が、これ以上傷付く必要はないわ」



 コンは、近くの椅子を蹴り飛ばした。


 大きな音がして、職員室にいた全員の視線が集まる。

「あなたに私のなにがわかるんですか? あなたは私のなにを知っているんですか? タマちゃんは大切な友達です!」

 コンは早口で、怒鳴った。

 ユーコは、脅えた目でコンを見つめた。

「でも、私は可愛そうなあなたの為に……あなたを救ってあげたくて……」

「私は、自分のことをかわいそうやとは思いたくありません」

 コンはそういい残して職員室を飛び出し、そのまま靴も履かずに表へ。

 施設の門のところに、タマキがいた。

「コンちゃん、おおきに」

「……タマちゃん」

 コンは、タマキに抱きついた。

「タマちゃん、タマちゃん」

 コンは何度もそういいながら、タマキをギュッと抱きしめた。


「――ってことがあったなぁ」

 コンは長い回想を終えて、ゆっくりと息を吐いた。

「それで、それからどうなったんだ?」

 コンに抱かれたキツネの姿のサナが尋ねる。

「その日は、タマちゃんの家に泊めてもらった。規則で外泊は駄目やってんけど、特別にって。ユーコ先生は、すぐに辞めるはった」

「その先生、なにがしたかったんだろうな?」

「施設で暮らす子供はこういう子や、って思い込み。それを助けてあげる私はいいヒト、っていう自己満足」

「勝手なイメージでいいヒトを演じてたんだな」

「劇だけにな」

 コンとサナは笑いあった。

「でも、そんなヒト多かった」

 笑い終えると、コンはそういった。

「私を引き取ろうとしてたヒトらも、そのときは気付かんかったけど、今思うとそうやった」

「それって、コンを殺したヒト達?」

 コンは無言でうなずく。

 コンの里親になろうとしていた夫婦。コンを殺した夫婦。

 コンのつくった蕎麦に漂白剤が入っていて、それでコンがその夫婦の息子を殺そうとしたと勘違いされて、子供を助ける為に、という口実でコンは殺された。

「あのヒトたちも、私じゃなくて施設で育った子の幻を見てた」

 コンはサナを抱く腕の力を緩めた。

「タマちゃん、久しぶりに会いたいな」

 コンは独り言のようにいった。

「コン、あのね……」

 サナはなにかをいいかけたが、途中でやめた。

 コンの、安らかな寝息が聞こえてきた。


 次の日の朝、サナが目を覚ますと同じベットで眠っていたはずのコンがいなくなっていた。眠っている間にキツネの姿から人間の姿になっていた。

「コン? コン!」

 サナはベットを飛び降り、部屋を出て、階段を駆け下りる。

 台所に飛び込むと、そこにコンがいた。サナの母親と並んで朝食をつくっていた。

「おはよう、サナちゃん。ごはんもうすぐできるしな」

 コンはサナを見ながら、笑顔を浮かべた。


 朝食を済ませたサナは、着替えて、学校へむかう準備をする。

「サナちゃん、お弁当」

 コンはサナに小さな弁当箱を差し出す。

「ありがと、コン」

 サナは受け取り、給食袋に入れるとランドセルの横の金具に止めた。

「私もお店いくから、途中まで一緒にいこ」

 コンがいうと、サナは笑顔でうなずく。

「いってきます」


 コンとサナは二人一緒に家を出た。

「いい天気やな」

 家の前の道で、コンは大きくのびをする。

「そうだな。いい天気だ」

 サナの瞳に、紅葉に色付く山々がうつる。

 サナとコンは歩き出した。

 しかし、すぐにコンは足を止める。

「コン、どうしたんだ」

 サナもコンの様子に気付いた。

「サナちゃん、これ……」

 コンの足元に、黒い影のようなものが広がっている。

 その影は、はじめは円形だったがうごめくようにかたちを変える。

 それは、ヒトのかたちだった。

「逃げろコン!」

 サナが叫ぶ。

 影は腕を伸ばし飛び出しコンの足首を掴むと、一気に引きずり込む。

 そして、瞬く間に影は消え去り、はじめから波もなかったかのように、なんの変哲もない地面となった。

「コン……コンー!」

 サナの叫び声が響いた。

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