第2話 コンが怒った話 前編

 深夜。

 サナは音をたてないようにそっと部屋を出た。

 廊下を歩き、やって来たのはコンの部屋の前だった。

「なあ、コン。まだおきてる?」

 ドアの前で、サナは小さな声でいった。

「サナちゃん?」

 微かに開いて、コンが顔をのぞかせる。

「眠れへんの? ココアでも飲む?」

 コンの問いに対して、サナは首を横に振った。

「一緒に寝ていい?」

 サナはコンの顔を見上げながらいった。

「うん、ええよ」

 コンはドアを大きく開け、サナを部屋に入れた。

「どしたん? なんか恐い夢見た?」

 ドアを閉めると、コンは優しい口調で尋ねた。しかし、サナは首を横に振る。

「あのね、心配で。コンのことが」

「私?」

 不思議そうな顔のコンにサナはうなずく。

「家に帰ってくるとき、コン、急に泣き出したでしょ。あれが、心配で……」

「ああ、あれ。ごめんな、心配さして。ちょっと、哀しい気分になってしもて……でも、もう大丈夫やから」

 コンは照れたようにはにかむ。

「コン、私、なんにも出来ないかもしれないけど、助けてあげられることよりも、助けてもらうことの方が多いかもしれないけど、私がいるよ」

 コンは、はじめは驚いたような表情を、すぐに嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「ありがと、サナちゃん」


 コンとサナ。二人で一つのベットに入る。

 一つのベットに十一歳のサナと、十三歳のコン。二人だと窮屈に感じる。

「ちょっとせまいな」

 サナはそういうと掛け布団に潜り込む。

「サナちゃん?」

 サナは布団の中でキツネの姿に変化した。

「これで、少し広くなったな」

 掛け布団から顔だけ出して、そういった。

「モフモフって抱いていいぞ」

 コンはサナの体に手をまわし、そっと抱きしめた。

「コン……この傷」

 サナはつぶやく。コンの右腕に傷跡を見つけた。それは以前、サナがコンに負わせた傷だった。

「気にせんといて。痛くもないし、ちゃんと動くし」

「ごめんな。つい、怒っちゃってそれで……」

「ええんやで。あの状況やと、サナちゃんが怒るのもしゃあないって」

「コンはさ、怒ったことって、あるの?」

 おもむろに、サナは尋ねる。

「へ?」

「コンってめったに怒らないけど、本当は怒りたいこととか、いっぱいあるんじゃないの? なにか、我慢してるんじゃないの?」

 サナを抱くコンの手に力が入る。

「あんで、怒ったこと」

 コンはゆっくり語りはじめる。


 三年前。

 京都市内のある公立小学校。

 朝、続々と子供たちが登校してくる。

 その五年生の教室で、コンんは声をあげた。

「あー、どうしよー」

 コンところへ、一人の女の子が、苦笑いを浮かべてやってくる。

「コンちゃん、朝からどしたん?」

 この少女の名はタマキ。コンとは一年生のときからずっと同じクラスだ。

「タマちゃ~ん、助けてぇ~」

 コンは甘えるような、なさけない声を出す。

「はいはい、助けてあげますよー。で、今日は何で困ってるん?」

 タマキは適当に近くにあった椅子に座った。

「実はな、今度、地域とヒトとの交流会があってな、そこで劇をすることになったんやけど、シナリオがなぁ、みんなで相談したんやけど、なかなか決まらへんねん」

 コンがそこまでいうと、タマキは「あー、なるほどね」とうなずく。

「で、なぁんにも思いつかないから困ってるわけかぁ」

 タマキはのんびりといった。『もみじの家』というのは、コンが暮らす児童養護施設である。コンはそこでは古参の部類に入る。

「私が脚本書こか? 私そういうの得意やし」

 コンは素早い動きでタマキの手を掴んだ。

「いいの? おおきに、タマちゃん」

「うん。まかせて」


 タマキは授業中はぼんやりとなにかを考えていたかと思うと、休み時間には自由帳を広げ、一心不乱になにかを書きはじめた。

 帰りの会の後、タマキはコンの元へやってくる。

「コンちゃん、でけたよ。こんなんで」

 タマキはコンに自由帳を見せた。そこには文字とイラストで物語のあらすじが説明されていた。

「もし、コンちゃんが嫌やったら、また別のん考えるけど」

 タマキは不安そうだが、コンは首を横に振る。

「ありがとう。これでやってみよ」

 コンの言葉に、タマキは笑顔でうなずいた。

「ねえ、コン。後で『もみじの家』いっていい?」

「うん。ええよ」


 児童養護施設であっても、子供にとっては家。そこに友達を呼ぶのは普通のことだ。という園長の方針で、もみじの家では友達を呼ぶことが認められている。

 しかし、実際に施設に頻繁に出入りするのはタマキくらいだ。

 タマキは一度家に帰り、ランドセルを置くとすぐに施設にやって来た。

「こんにちは~」

 タマキが入り口で挨拶すると、一人の男の子と、一人の女の子がやって来た。どちらも小学校低学年くらいに見える。

「タマおね~ちゃん、いらっしゃい」

「ヨシキくん膝の怪我、治ってんな。よかったな」

「タマさん、こんにちは」

「あ、キミコちゃん、いよいよお母さん来週、退院やな」

 タマキはのんびりした口調で声をかけていった。


 食堂に子供たち全員、十数人が集まった。

 そこで、タマキはみんなに劇のあらすじを説明する。

 それはこんなものだった。


 動物たちの暮らす森の中に、キツネがいました。

 キツネは、他の動物や、色々なものに化けることができる能力を持っていて、その力でみんなを助けます。

 例えば、コイヌが森で迷子になり泣いていたときは、お母さん犬に化けてお家まで送り届けてあげました。

 冬眠中に目を覚ましてしまったコグマには、クマのぬいぐるみに変身して子守唄を歌ってあげました。

 キツネはみんなの役に立ちたいと思っていましたし、事実、キツネに助けてもらった動物は沢山いました。

 しかし、誰もそのことを知りません。

 だってキツネは変身しているのですから、誰もその正体に気付いていないのです。

 ある日、キツネは森でトラにイジメられているウサギを見かけます。

 ウサギを助けるため、キツネは巨大なバケモノに姿を変えます。ライオンはびっくりして逃げていきました。

 その後、動物たちの中で噂が流れはじめます。森にバケモノが住んでいると。

 そして、誰かがいいました。

 バケモノの正体はキツネだと。

 動物たちはキツネを怖がり、次第に誰も近寄らなくなりました。

 キツネのバケモノ。その言葉が独り歩きし、キツネはとてつもなく恐ろしいもの、ということにされてしまっていました。

 キツネは独りぼっち。

 毎日、寂しい日々。

 キツネは家からほとんど出掛けなくなりました。

 すると、噂はどんどん大きくなっていきます。キツネはさらに家から出づらくなっていきました。

 ある日、キツネの家に一匹の動物がやってきます。

 それは、ライオンにイジメられていたあのウサギでした。

 ウサギだけではありません。

 コイヌや、コグマなど、キツネが今までに助けた動物がみんな来ていました。

 実は、いままでキツネが助けてきた動物たちは、その正体に気付いていたのです。

 ウサギはいいました。「外に出よう。恐くないから」と。

 キツネははじめは嫌がっていましたが、ウサギの熱心な説得もあり、キツネは表に出ました。

 そして出かけたキツネ。見かけたヒトはみんな、目をそらします。キツネは悲しくなりました。

 しかし、ウサギはみんなに声をかけていきます。

「キツネさんは恐くないんだよ」「とっても優しいんだよ」

 やがて、少しづつ、みんなはキツネに近寄ってくるようになりました。

 キツネも、みんなと仲良くしようと努力します。

 とっても面白い見た目のお化けに変身して、みんなを笑わせます。

「キツネさんは面白いね」「キツネさんは優しいね」

 動物たちは口々にそういいました。

 こうして、キツネと動物たちは前よりずっと仲良くなりました。

 おしまい。


 タマキが長い説明を終えると、最後に「こんなんでええかな?」と尋ねた。

「うん、いいよ」

 子供の一人がいいました。

 他の子供も、次々とうなずく。

「じゃあ、ちゃんとした脚本、明日までに書いてくるわ」

 タマキは嬉しそうに笑った。

「みんな、ちょっといい」

 食堂に二人の女性が入ってきた。一人はこの施設の園長先生で、もう一人はコンの知らない、若い女性だった。

「明日から新しい先生が加わります」

 園長がそういうと、隣の女性が頭を下げた。

「橋本ユーコです。よろしくお願いします」


 園長はユーコを残して、職員室に戻っていった。

 みなはそれぞれに、自己紹介をする。

 施設の先生は入れ替わりがある。様々な事情で去っていくこともあれば、こうして新たにやってくるということもある。

「八重垣コンです。よろしくお願いします」

 コンはそういって頭を下げる。

「ええ、よろしくね」

 ユーコはそういって笑った。

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