第21話 ともだちの話 その1

 サナが『和食処 若櫻』で巨大なキツネの姿になった一件から数日たった。

 あの後、すぐにウカがやってきて、コンの傷を治療してくれた。

「普通はね、幽霊は怪我をすることはないの。でも、サナちゃんは神獣だから、その牙は霊にも傷を与えられる。本当は、悪霊からヒトを守る為の力なんだけどね」

 コンの右腕にはギプスがはめられ、首から包帯で吊り下げた。当分、利き手は使えそうにない。

「サナちゃんの牙には、穢れを祓う力もあるから、コンちゃんは大丈夫だと思うけど、もしもなにか異変があったらすぐにいってね」

 ウカはそんなことをいっていた。

 テーブルや椅子が散乱していた店内はウカや、サナのきょうだい、サクラの手伝いで片付いた。しかし、床には焦げた跡がそのまま残っていた。

 気を失っていたサナはすぐに目を覚ましたが、自室にこもって、人目を避けるようにトイレや、シャワーへいくだけで、コンやサクラにさえ顔を見ることができていない。ドアの外から声をかけても、返事はない。もちろん、学校も休んでいた。


 夕方。

「ただいまです」

 ランドセルを背負ったサクラが店にやってきた。

「お帰り。コーヒー飲む?」

「自分でやります」

 サクラはカウンターの内側に入ってくると、コーヒーメーカーを用意する。

「学校、どうやった?」

 コンは尋ねた。

「リンコに、キャンプに誘われていたのですが、断ろうと思います」

 サクラとサナは、クラスメイトのリンコからキャンプにいこうと誘われていた。サクラは乗り気だったが、サナは保留にしていた。

「いってきても、ええと思うで」

「なんか、サナがあんなのなので、なんか遊びにいきづらくって」

「いつまでも落ち込んでてもしょうがないし、サナちゃんのことは私にまかせて、サクラちゃんは自分が楽しいと思うことをしてればいいと思うで」

 サクラは、戸惑いがちにうなずいた。


 数日後、土曜日。

 サクラは、ワンボックスカーに乗っていた。

 車の中には、サクラとリンコ、二人のクラスメイトのアカリ、それからリンコの両親と大量のキャンプ道具が乗っていた。

 運転するのは、リンコの父親だ。

「サクラ、元気ないね。やっぱ、サナのこと?」

 アカリがいうと、サクラは小さくうなずく。

「体は大丈夫……だと思うのですが、ずっと部屋にこもって出てこないのです」

「サナちゃん、そんなに調子悪いの?」

 リンコが不安げに尋ねた。

「京都にいたときに、とっても仲のよかったお友達がいたのですけど、そのヒトとケンカ別れ……ではないのですが、それに近い、距離が離れたまま別れてしまって、サナはずっとそのことを引きずってしまっていて……」

 その話を聞いた途端、リンコはポケットからスマートフォンを取り出し、画面を確認する。

「どしたの? リンコ」

 アカリが尋ねる。

「あ、ごめん。ちょっと連絡、友達から。ごめんね。サクラちゃんが喋ってたのに」

 リンコは慌てた様子でスマートフォンをポケットに入れた。

 アカリは少し考えるような表情のあと、こういった。

「いつかさ、またキャンプに来るときは、四人で来ようっていっといてよ。いつになってもいいからさ」

「はい。確かに伝えておきます」

 サナは、さっきより明るい表情になっていた。


 キャンプ場に着いた。

 テントは二つ設営することになった。

 片方はリンコの両親が設営する。

 もう片方は子供だけで設営することになった。

「それを、地面に刺して」「そっち、引っ張って」「あ、引っ張りすぎ」

 リンコはてきぱきと指示を出す。

 そして、無事、テントが建てられて。

「すごいじゃん、リンコ」

 額の汗を拭いながら、アカリはいった。

「うん。よくキャンプするから」

 リンコははにかみながらいった。


 テントの設営が終わってからは、三人、芝生の上で遊んだ。走り回って、ボールを追いかけて、汗だくになった。

 サナのことを忘れたわけではない。でも、サクラはちょっぴり楽しい気分になれた。

 いつの間にか、夕日が遠くの雲を赤く染める。

 そして、夕食はバーベキューだった。

 リンコの両親は手際よく準備をして、苦労することなく木炭に火を点け、肉と野菜を焼きはじめた。

「どう、サクラちゃん?」

 リンコが尋ねる。

「ホイヒーです」

 おいしいです、とサクラは口いっぱいに肉を頬張りながらいった。

「なにいってるかわかんないよ、サクラ」

 アカリが冷静にいった。

「おいしいです」

 口の中のものを飲み込んで、サクラはいいなおした。

 そのとき、サクラの鼻先に水滴が落ちてきた。

「なんでしょう?」

 夜空を照らしていた満月が、いつの間にか見えなくなっていた。

「雨だ」

 アカリが、つぶやくようにいった。


 瞬く間に雨脚は強くなり、サクラたちは慌ててバーベキューの用意を片付け、テントに入った。サクラ、リンコ、アカリで一つのテント。

 ビニール製のテントを叩く雨粒の音。

 ゆれるランタン。

「雨、止みそうにないね」

 アカリがいった。

「春の嵐、というやつでしょうか?」

 サクラはそっと、入り口をめくって外を見た。

 月も星も、雲に隠されたキャンプ場は、微かに雨粒が光るだけで、他にはなにも見えなかった。


 同じ頃、サナの家。

 お店から帰ってきたコンは、サナの部屋の前へいった。

 ドアは、硬く閉じられている。

 コンはそっと、三度ノックした。返事はない。

「なぁ、サナちゃん」

 コンは、ドアにむかって語り掛ける。

「今日はサクラちゃん、学校のお友達とキャンプにいくだって。

 返事はない。“あの日”から、毎日こうしてコンは返事がないドアにむかって語りかけている。

「でも、雨降ってきたな。テントから出られヘんかもしれんな」

 コンはさらに話題を探したが、なにも見つからない。

「食べたいもんあったらゆうてな。私、なんでもつくるし」

 そういいながら、コンはギプスのはまった自分の右手を見た。

 コンは部屋の前を立ち去った。

 キッチンへいくと、サナの母が夕食の用意をしていた。

「手伝います」

 コンは母の横に立った。

「いつもありがとね、コンちゃん。でもいいのよ。そんな腕なんだし、無理しないで」

 コンは目をつむって、小さく首を横に振った。

「私、ここに置いてもらっていて、これしかできませんから。」

「そっか。ありがと。でもね、今はここがコンちゃんの“家”なの。少なくとも私はコンちゃんのことをお手伝いさんじゃなくて、この家の一員だと思ってる。だから、泣いても、わがままをいっても、泣いても、怒っても、いいのよ。必ず何かの役に立たなきゃ、なんて思わなくてもいいのよ」

 母はさらに、こう付け足した。

「だから、今はゆっくりしてて」

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