第20話 神の使いをやめた話 後編

 日が暮れ、窓の外は暗くなる。

 サナ、サクラ、ウイの三人で一つのテーブルを囲む。

「……そう。そのお友達とは?」

 サナの長い話を聞き終わったウイは、そう尋ねた。

「キョウコとは、あの日以来全く会っていません。あの日のことはよく覚えていない、といっているらしいですが……」

 サナは視線を手元におとした。

「それで、サナちゃんは眷属を外れたいって、思ったのね」

 サナはうつむいたまま小さくうなずく。

「ねえ、サナちゃん。マンガを描くのが好きっていってたよね。スケッチブックと鉛筆ある?」

 サナはうなずき、店のすみに置いていたスケッチブックと鉛筆を渡す。

「似顔絵、描かせてくれない?」

 サナは、怪訝そうな顔を浮かべつつも、スケッチブックを渡した。

「手で描くの久しぶりだから、下手くそになったらごめんね」

 ウイとサナはむかい合わせに椅子をならべ、それぞれ座る。

 ウイは、頁をめくり、鉛筆を走らせる。

「あのね、サナちゃん」

 視線はスケッチブックにむけたまま、ウイは語る。

「サナちゃんは少し、勘違いしてるんじゃないかなァ」

「勘違い?」

「そう。確かにキョウコちゃん? だっけ。そのお友達が、サナちゃんのキツネ火を恐がっちゃったのも、サナちゃんがニワトリを食べてそのお友達を助けたのも、確かに全部、サナちゃんがおキツネさんだったからなんだけどね」

 サナは小さくうなずく。

「でも、もし今からサナちゃんが御稲荷様の眷属を外れて、力を封印して、人間として生きていことしても、昔のことがなかったことになるわけではないのよ」

「……はい」

「それに、もし仮にサナちゃんが人間になったら、ヒトを傷つけること、ヒトに傷つけられることがなくなるのかといえば、そうでもない」

「……じゃあ、私はどうすればいいんですか?」

 スケッチブックの上、鉛筆の走る音がする。

「キョウコちゃんの、電話番号か、メールアドレス、SNSのアカウント、住所。なにか知らない? 一度、連絡してみたらいいと思う」

「なにをはなしたらいいか、わかりません」

「久しぶり。元気? ってそれだけでいいわ。一度、連絡してみて。絶対に、悪いようにはならないから」

 サナは、小さくうなずいた。

「それをしても、やっぱり眷属を外れたいと思ったら、私にもいってね。できることはするから」

 サナは、また小さくうなずいた。

「サナちゃん、笑って。笑顔のサナちゃんが描きたいな」


 厨房では、コンとエーコが夕食をつくっていた。

「コンちゃん、すごい手際がいいね。慣れてる」

 エーコがいった。

「はい。料理、大好きですから」

 コンははにかみながらこたえた。

「ねぇ、コンちゃん。辛くない?」

 エーコはおもむろにいった。

「なにがですか?」

 コンは首をかしげた。

「その……サナちゃんと一緒に暮らすの辛くない? ほら、神獣って私たちには見えないものが見えたり、感じないことを感じたりしてるみたいで、たまにわけわからないこというでしょ?」

 コンはちょっと考える。

「確かに、サナちゃんも何ゆうてんねやろ、って思うときはありますね」

「でしょ?」

「でも、きっとサナちゃんも、サクラちゃんも、みんなそれぞれ同じやと思います」

「どういうこと?」

「私、ちっちゃいときに児童養護施設に預けられて、ずっとそこで暮らしてたんです。大人はみんな親じゃなくて先生やったし、子供たちだってある日突然やってきて、ある日突然いなくなる。それが日常やった」

 エーコは驚きの表情を浮かべながら、小さくうなずく。

「例えば、サナちゃんやサクラちゃんに私の経験を話しても、理解はしてもらえるかもしれんけど、絶対に共感はしてもらえへん」

 最後に、コンはこういった。

「みんなそれぞれに、そういう部分があると思ってます」

 エーコがなにかいいかけた、そのときだ。

「コンさーん」

 厨房に、サクラがやって来た。その手には、サクラを描いた絵が握られていた。サナにそっくりだけど、ちょっとした表情や仕草でちゃんとサクラだとわかる絵だった。

「ウイさんが、絵を描いてくださるそうですよ」

 その途端、エーコが笑顔をうかべた。

「せっかくだから、描いてもらってきたら? 後は、私がやっておくから」

 コンはつくりかけの料理を見た。

「それじゃあ……ごめんなさい、お願いします」

 コンはウイの方へむかった。


 壁に、三枚の絵が飾れている。サナ、サクラ、コン。すべて、鉛筆一本で描かれたものだ。

「久しぶりに腱鞘炎になっちゃいそうね」

 ウイは満足げに、手首を回しながらいった。

 テーブルの上には、豪華な食事が並んでいた。肉や魚を使った料理もあったが、大半がサラダなどの野菜中心のメニューだった。

「あと、これもつくったの」

 最後に、エーコは野菜スープを持ってきた。皿に盛り分けれていて、エーコはそれぞれの前においていく。

「あれ? 今日の献立には……」

 コンはエーコを見た。

「コンちゃんがウイちゃんに絵を描いてもらっている間、私がつくったの。食べて」

「エーコちゃんの料理、大好きよ。ありがとう」

 ウイはそういった。

 それから、みんなで「いただきます」をして、食べはじめた。

 ウイは、真っ先にエーコのつくったスープに手をつける。

「エーコちゃん、これっ!」

 その瞬間、大きな声をあげた。

「ウイさん?」

 サナをはじめ、その場の全員がウイを見た。

 ウイの体は、半透明になっていた。

「これって……」

 コンは慌てて立ち上がると、厨房をのぞき込んだ。

 死者をヨモツクニへ送るときに使うかまど。そこに鍋がかけられ、湯気を吐き出していた。

「私を……ヨモツクニへ……どうして」

 ウイは持っていたスプーンを落とす。

「ずっと、死んでくれないかなって、思ってた」

 静かに、しかしはっきりと、エーコはいった。

「エーコちゃん……」

「毎日毎日、あなたにご飯を食べさせて、下の世話もして、どこへいくにも付いていかないといけなくて!」

 エーコは立ち上がり叫んだ。

「エーコちゃん、私、エーコちゃんには感謝してる。助けてくれた恩返しをしたいと思ってる」

 ウイの体は、もうほとんど見えない。

「急死した画家、ということで話題になる。未発表の絵を売れば、私は一生暮らしていける。あなたの残したものが、一番の恩返しよ」

 エーコは、冷たくいった。

「ウイさん!」

 サナは立ち上がり、ウイに手を伸ばす。

「エーコちゃん、私ね……」

 サナの手が届く前に、ウイがいいきる前に、その体は消えてなくなった。

「……なんてことを」

 コンは呆然と、湯気のあがるかまどを見つめた。

 サナの視界に、壁に飾った絵がはいってきた。

 コンの顔。サクラの顔。笑顔のサナの顔。

 サナの目に、涙が浮かぶ。

「これでやっと、私は解放された。これで体に戻れば、私は自由になれる」

 エーコは心底嬉しそうだった。

「……ウイさん……ウイさん」

 サナはうつむいたまま、つぶやく。その瞬間、頭に三角形の耳が生える。

「サナ、駄目です!」

 サクラは叫んだが、サナの耳には届かなかった。

 巨大な動物の、遠吠えのような声が響いた。

 店内のテーブルが、椅子が、料理が、一斉に壁にむかって吹き飛ばされる。

 コンとサクラは身をかがめる。

 エーコは飛んできた椅子にあたり、倒れた。

「なにが……」

 エーコが起き上がると、目の前に馬ほどの大きさのある巨大なキツネがいた。金色の毛と、金色の瞳を持ち、四肢からは炎が噴き出していた。床が焼かれ、焦げる。

「お前など、現世へも、ヨモツクニへも、いかせない。今ここで噛み砕いて、消滅させてやる」

 キツネは地響きのような声でいいながら、姿勢を低くする。

「やだ……助けて」

 エーコは、小さな声でいった。

 キツネは、エーコに飛びかかる。

「やめてっ!」

 そのとき、キツネとエーコの間に割って入ったヒトがいた。

 コンだった。

 キツネは勢いのままにコンを押し倒し、その右手に噛みつく。

「コンちゃん、こんなんらしくないで。やめよ」

 キツネの下敷きになり、腕に噛みつかれているにも関わるず、コンはいつもの優しい笑顔をうかべていた。

 コンは左手で、キツネの、いや、サナの頬をなでた。

 サナは、コンの体の上で人間の姿に戻った。

「コン、血の味がする」

 サナは、顔をクシャクシャにしていた。

「ありがとう。サナちゃん」

 コンは、左手でサナの頬をなで続ける。右手からは血が出ていた。

「……ごめん、ごめんコン。その怪我、すぐ、治す……から……」

 サナは、気を失った。


 結局、エーコは元の体に返した。

 エーコは病院で目を覚ましたが、ウイは死亡したとのことだった。

 サクラが、家にサナの母を呼びにいった。

 サナの母は、驚いた様子だったが「ウカ様に連絡するわ」といって、気を失っているサナを背負って、帰っていった。

 コンは店内を見回す。

 散乱したテーブルや椅子。そして夕食になるはずだった料理。

「コン、大丈夫ですか?」

 サクラが心配そうな表情を浮かべながら、近付いてきた。

 コンは、自分の手を見た。手首から肘にかけて、鋭い牙で貫かれた跡があり、血が出ていた。

「うん。大丈夫。幽霊やから、死ぬこともないし」

 コンは、サクラを見ないでいった。

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