第19話 神の使いをやめた話 前編

 若桜町の小学校。

 ある日の朝。

「サナちゃん、サクラちゃん。今度ね、キャンプにいくんだけど、一緒にこない?」

 そういったのは、クラスメイトのリンコだった。

「いいですね。どこにいくんですか?」

 サクラが目を輝かせる。

「場所自体は、すぐ近くだけど、テントで一泊しようって、パパが」

 町の近くの山の中腹に、キャンプ場があった。

「いきたいです。サナはどうします?」

 サクラはサナを見た。

「どうしよう、かな」

 サナは迷っているようだった。

「ちなみに、私もいくから」

 そういったのは、同じくクラスメートのアカリだった。

「しかし、どうして急にキャンプに? それも近場で」

 サクラが尋ねる。

「パパもママもね、ハイキングとか、キャンプとかそういうのが好きなの。この町に引っ越してきたのも、自然豊かな場所で暮らしたほうがいいっていいだしたからなの」

「へー、リンコが転校してきたのって、そんな理由だったんだ」

 サナやサクラより以前からリンコと交流のあるアカリも、今はじめて転校してきた理由を知ったようだった。

「まあ、サナちゃんも、考えといて。急に人数変わっても、大丈夫だから」

 リンコの言葉に、サナはうなずいた。


 その日、サナたち五年生は少し特別な授業があった。

 女性画家、松風ウイ。

 彼女は四肢が不自由で、車椅子で暮らしており、口で絵を描く。絵、そのものも国内外を問わず人気があるが、彼女自身のことも頻繁に話題にあがる。

 そんなウイが、小学校に来て、五年生相手に講演会をするのだという。

 サナは講演会が開かれるということを聞くまで、このウイという画家のことを知らなかった。

 しかし、漫画を描くことを趣味とするサナにとって、画家の講演会というのは興味がある話だった。だから、実は内心、楽しみにしていた。

「サナ、嬉しそうですね」

 気持ちが表情に出ていたのか、サクラがそういった。

「うん。ちょっとだけ」

 サナは短くそうこたえた。

 チャイムが鳴る。

 そして、担任のマサヒコ先生、その後から、介助の女性に車椅子を押してもらいながら入ってきた、真っ白な髪と真っ白な肌、そして赤い目の女性。松風ウイは笑顔を浮かべていた。

 ウイは教室の中をぐるりと見渡し、一瞬、本当にごくわずかな時間だったが、驚きの表情を浮かべた。

 サクラは、その一瞬を見逃さなかった。

 どうしたのだろう、と考えていると、横の席のサナも驚いた顔をしていることに気がついた。

「あれは……あのヒトは」

「サナ、どうしたのですか?」

 小さな声で尋ねたが、返事はなかった。


 ウイは終始、落ち着きのある穏やかな口調で話した。

 講演会が終わり、クラス全員でお礼をいった。

 講演会の後は給食の時間だった。

 サクラは講演会のときの表情について尋ねようと思ったが、周囲に他のヒトもいたのでやめておいた。

 そして昼休み。

 保健室の三木橋チエミ先生が五年生の教室にやって来た。

「サナちゃん、ちょっといい?」

 チエミ先生は教室から手招きする。

「なんかやったのですか?」

 サクラが尋ねる。

「なんだろう」

 サナは首をかしげた。


 チエミ先生に連れられてやって来たのは、職員室の横の応接室だった。

 そこにいたのは、ウイと、その介助の女性だった。

「教室に入ったとき、ビックリしたわ。少し、お話してみたかった。せっかくの休み時間なのにごめんなさい。私のわがままをゆるして」

 ウイは最後に「座って」と付け足した。

 サナは、ソファーにならんで座った。

「長尾さん、だっけ? あなたは、神獣よね。御稲荷様のキツネ」

 ウイは、ゆっくりとした口調でいった。

 サナは応接室のドアを見た。しっかりと閉っていた。

「はい、私はウカノミタマノカミ様にお仕えしている、神獣のキツネです。そういうあなたは、ウサギですね」

 ウイは小さくうなずく。

「そう。私は神獣のウサギ。かつては、白兎神様にお仕えしていたわ」

「かつては?」

「神獣として神様にお仕えしていたのだけど、十年くらい前に眷属を外れたの。今の私は神獣ではなく、ただの人間の形をした獣ね」

「眷属を外れる、そんなことができるのですか? 私、神獣として生まれた者は、一生神様にお仕えしなければならないとばかり……」

 サナは、驚きの表情を浮かべる。

「うん。めったにないけど、でも不可能ではないわ」

 そして、ウイは語りはじめた。


 当時、十六歳のウイは高校に通いながら、神の使いとしてお役目を果たしていた。当時は今と違い、体に障害もなかった。

 しかし、ウサギの姿は、神獣のうちでも美しいと評判だった。

 白兎神は縁結びの神である。その使いであるウイも、学校の生徒たちを中心に恋愛成就に奮闘していた。

 そんなある日、ウイは車に轢かれた。

 お役目の最中のことだった。

 男の子に告白するという女の子を応援しようと、ウサギの姿でこっそり後ろをついていった。

 お役目とか、神の使いであるとか、そんなことを無視して、純粋に応援している娘だった。術を使ってでも、恋愛を成就させてあげようと思っていた。

 しかし、隠れやすいようにとウサギの姿で尾行していたことが仇となり、子供に「宇佐ちゃんかわいいね」といって捕まってしまったのだ。

 ウイにはやらねばならないことがある。

 子供の腕の中で必死にもがき、その結果、子供の腕からは脱出できたが、同時に道路に飛び出してしまった。

 そして、自動車にはねられた。

 子供は、泣きながら走っていった。

 ウイは全身のどこにも力が入らなかった。もう、死ぬのだと思った。

 そして、目を閉じた。


 気がつくと、見知らぬ場所で、布団に寝かされていた。

 手足に、全く力が入らなかった。しかし、どうやら自分が人間の姿であるらしいということはわかった。

「おはようございます。あの、あなたに聞きたいことは沢山あるんですけど、まずは、気分は

どうですか?」

 枕元には、少女がいた。ウイと同い年くらい、高校生に見えた。

「体に力が入らないです。痛いとか、そういうのはないです。ここ、どこなんですか?」

 少女は神妙な面持ちでうなずいた。

 それから少女は、自分の名前をエーコと名乗った。


 路上で倒れていたウサギ――ウイを助けたのは、エーコだった。

 エーコの家は獣医であり、彼女は迷うことなくウイを自宅に連れて帰り、彼女の父親はウイを治療した。

 しかし、それから不思議なことがおこった。

 ウサギの体はどんどん変化していき、人間の姿になったのだった。

 もちろん、エーコもその家族も驚いた。

 だが、結局ウイの目が覚めるまで様子をみようということで落ち着いた。


「そして、私は話したわ。自分が神の使いで、お役目を持っていたこと」

 ウイの話を、サナは相づちをうちながら聞いていた。

「それと、いくつか気がついた。気が付いたの。私は“力”を失っていたし、ウサギの姿になれない、でも、色を持った人間の姿にもなれなくなっていた。手も足も、ほとんど動かなくなっていた」

「それで、どうなったんですか?」

「エーコも、エーコのお父さんとお母さんも、とっても優しくしてくれたわ。ううん。今でも、優しくしてくれている」

 ウイは首を動かし、介助の女性を見た。この女性が、エーコらしい。

「それで、そのまま人間としてくらしているのですか?」

 サナが尋ねると、ウイはうなずいた。

「手も足も動かない。術も使えない。私はもはや神獣としてお役目を果たすことはできない。でも、せっかく助けてもらった命、どうかエーコと、エーコの家族のために使わせてください。そういって、眷属を外れさせてもらったの。もっとも、眷属を外れてからも白兎神様にはいろいろと助けていただいてるわ」

 眷属を外れる。

 サナには思いもよらない、そして、魅力的な言葉だった。

 ヒトを助けるために術を使い、結果助けたヒトから恐れられる。ヒトの願いを叶えるため生きたニワトリを喰らい、食事のたびにその感触を思い出す。

 そのような苦痛を、二度と味わうことが

「私は、筆を咥えて、絵を描く。それしかできないわ。エーコちゃん達には本当に迷惑をかけてると思ってるし、感謝もしてる」

 ウイはチラリとエーコを見た。

「幸せですか?」

 サナは尋ねた。

「うん。とっても」

 ウイはこたえた。


 昼休みが終わる直前に、サナは教室に戻った。

「なんだったの?」

 サクラが心配そうに尋ねる。

「なあ、サクラ。私がウカ様の眷属を外れるっていったら、どうする?」

 サクラは驚くだろう。サナはそう思っていた。だけど予想外。サクラはいつもと変わらない表情だった。

「サナが望むなら、いいえ、以前から望んでいたことだから。それでもいいと私は思います。サナが、本当に願ったことなら」

 サクラはそういって、次の授業の準備をはじめた。

 次の授業の間、サナはぼんやりと窓の外を見ていた。

 救急車の、サイレンの音が聞こえた。


「ただいまー」

「ただいまです」

 サナとサクラは学校の帰りにそのまま『和食処 若桜』へやって来た。

「お帰り、なんかサイレンいっぱい鳴ってたけど、大丈夫やった?」

 厨房のコンは食器を洗いながらいった。

「そうなんですか? 気が付きませんでした」

 サクラはカウンター席に座った。サナもその横の定位置に座る。

「なァ、コン。ちょっと聞いてほしい話があんだけど」

 サナはおもむろにそう切り出した。

 神の使いをやめる話。一度、コンに話してみようと思った。

「ん、なに?」

 コンはサナを見ない。しかし、声は優しかった。

「あのな……」

 サナが口を開きかけた、その瞬間。


 カラン。


 店の入り口につけていたベルが鳴った。

 一斉に、視線が集まる。

 そこにいたのは、ウイと、そしてエーコだった。

「ウイさん!」

 サナは思わず驚きの声をあげた。

「ここは」

 ウイもエーコも、キョロキョロと周囲の様子をうかがう。

「ウイさん……どうして、ここに」

 サナは驚きの表情を浮かべている。

「サナちゃんの知り合い?」

 コンが小声で尋ねた。

「今日、学校に来たヒトです。画家さんだそうです」

 サクラが小声でこたえた。

「ここは、神様の結界の中……私たち、霊体に……」

 ウイはつぶやくようにいった。

「ここは、死んだヒトが来るお店なんです。そこの窯でつくった料理を食べたヒトは、この世との繋がりを断ち切り、ヨモツクニへ送られます」

 コンがいった。

 エーコは厨房の奥にある窯を見る。

 その途端、ウイは「なるほど」といった。

「エーコちゃん、ちょっとだけ、車椅子押さえておいてくれる?」

 ウイがいうと、エーコは「え、あ、うん」といって、いわれた通りにする。

「十年ぶりだけど、感覚残ってるかな?」

 ウイは、車いすに体重を預けながら、ゆっくりと立ち上がった。そう、立ち上がったのだった。

「ウイちゃん、なんで立てるの」

 エーコは驚いたような顔をしていた。

「ここにいる私たちは、魂だけの存在。平たくいえば、自分が思っている自分の姿。だから、自分のイメージである程度、体があるとできないこともできるの」

 ウイはそういいながら、確かめるように手足を動かす。

「私たち、まだ体につながってる。まだちゃんと生きてるよ。死んでないみたいね」

 それを聞いて、エーコの表情が変わった。

「思い出した。私だ。私が、ウイちゃんを乗せて車を運転してて、うっかり、電柱にぶつかって……ごめんなさい。私のせいで……ごめんなさい」

 エーコの手は、微かに震えていた。その手を、ウイは握る。

「いいのよ。気にしないで」

「さっき、救急車のサイレンが聞こえました。きっとその事故だったんですね」

 コンがいった。

「そう。じゃあ、私たちの体は病院に運ばれているはずね。私たち、このまま戻っても

いいのよね」

 ウイは、サナを見た。

「はい。戻り方、わかりますよね」

「うん。大丈夫。ごめんね、いきなりおじゃましちゃって」

 ウイが店を出ようとしたときだ。

「待って」

 エーコが声をあげた。

「待って。もうしばらく、このままでいられないかな?」

「どうして? エーコちゃん」

 ウイは不思議そうにエーコを見た。

「だって……だって、ウイちゃんが十年ぶりに立って、歩けたから、もう少し、このままで」

 エーコは言葉を慎重に選んでいるようだった。

「ありがとう。エーコちゃん。そうだね。こうして、私がエーコちゃんの手を握ってあげられるのも、今だけだもんね」

 ウイは、エーコの手を握りなおした。

「サナちゃん、ちょっと、わがままいっていいかな?」

 サナはうなずいた。

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