第18話 小さき者たちの話 その4
次の日、ラクの母は学校を休むようにいったが、サナは学校へいくといって半ば強引に家を出た。
ラクは、もう家を出た後だった。
この時間だと、朝のホームルームには遅刻するだろう。
ぼんやりと、線路を見つめる。
キツネとして生きるのは辛い。
人間として生きられたら、幸せだろうな。
みんなと同じ、人間という存在。
仲の良い友達と、感覚を共有できる、人間という存在。
そのとき、特急が通過するとのアナウンスが流れた。
ちょうどいいタイミング。
死んでいい。そう、いわれた気がした。
サナは一歩、踏み出した。
その瞬間、
「おはよう。久しぶりやな」
後ろから、声をかけられた。優しい声だった。
振り返ると、そこには中学生くらいのお姉さんがいた。頬には大きな火傷の跡のあるその顔は、サナは見覚えがあった。
「その火傷……おねえさん、いなり寿司の……」
以前、大社でいなり寿司が振舞われるイベントがあった。そのとき、いなり寿司をつくってきてくれたのが、このお姉さんだった。
サナも食べたが、あれは今まで口にしたことのあるものの中で、間違いなく一番おいしかった。
お姉さんはニコニコと笑顔を浮かべている。
突然、サナの目から涙がこぼれた。
心の中に溜まっていたものが、あふれ出てくるような、そんな感じがした。
お姉さんはサナをベンチに座らせた。
ひとしきり泣いた。
涙は心に溜まっていたなにかだったようで、少しスッキリした気分になった。
「どう? 落ち着いた?」
お姉さんが尋ねると、サナは小さくうなずき「ごめんなさい」といった。
「なんかイヤなことでもあったん?」
サナは口ごもった。
お姉さんに、洗いざらい全部、話してしまいたかった。
だけど、ほとんど関わりのなかったこのヒトに話を聞いてもらうのは、迷惑じゃないだろうかという気もした。
グゥー。
そのとき、音がなった。サナのお腹の音だった。
ピィちゃんを食べてからはじめて、サナは空腹を覚えた。それも、今までほとんどなにも食べていなかったから、強烈な空腹感だった。
すると、お姉さんはリュックサックからタッパーを取り出した。
「朝から作ったんやけど、食べる?」
膝の上でタッパーを開く。ぎっしりと詰まったきつね色がお目見えする。そう、いなり寿司だ。今まで口にしたものの中で最も美味しかったものが、目の前にあった。
食べたい。
だけど、給食のときのように、吐いてしまっては嫌だ。
「ごめんなさい。いらないです」
「お腹、すいてへんの?」
サナは首を横にふる。本当は、今すぐにだって食べたかった。
「食べても……すぐに吐いちゃうんです。だから、ごめんなさい」
「拒食症、やっけ。そういうやつ?」
「ううん。ちがうんです」
サナは首を横に振った。
「食べちゃいけないものを食べちゃって、それから、なにかを食べるたびにとても悪いことをしているような気分になって、気分が悪くなっちゃうんです」
ニワトリを生で食べた、などといえるわけがない。
「でも、お腹すいてるんやろ? 食べんと元気出えへんで」
食べてみても、いいのかな?
サナはそっと、手を伸ばす。だけどまだ、決断できない。
「無理せんと、しんどかったら残しても、吐いてもいいからな」
お姉さんの声は、優しかった。
食べてみよう。
サナはいなり寿司を一個、手にとり口に運ぶ。
「おいしい……おいしいです」
予想通りの味だった。おいしかった。
サナはゆっくりと、時間をかけていなり寿司を一個だけ食べた。
お姉さんなら、ゆっくり話を聞いてくれるかな? 食べているうちにそんな気がしてした。
「……もう、生きたくないんです」
食べ終えたサナは、ゆっくりと口を開いた。
「イジメられてるとか?」
サナは首を振って否定する。キョウコの件はあったが、少なくともサナ自身はイジメられてはいない。
「みんな仲良し、ではないですけど、私はイジメられていないです」
準急電車が到着し、ドアが開くと多くの人が降りてくる。電車が発車し、ヒトの波が去った。
「ここで電車に飛び込んだら、生まれ変われるかなって、ふと思ったんです。死者の国にいって、ヨモツオオカミ様に叱られちゃうけど、でも、このまま生き続けるよりはマシなんじゃないかって、思っちゃったんです」
お姉さんは「そっか」といいながら、膝の上のタッパーを片付ける。
「じゃあ、今日は休んじゃえ。家、この近く? 送っていくで」
「でも……」
「別に毎日いかんでもいいやん。私からも、お父さんとお母さんにゆうとくで」
サナは小さくうなずいた。さっきより、ずっと明るい気分になっていた。
「でも、お父さんとお母さんじゃないんだ。離れて暮らしているから」
お姉さんは笑顔を浮かべた。
「じゃあ、私と一緒やな」
駅を出て、山の方向へ歩いていく。大社へ続く道だ。
「元々鳥取に住んでたんです。でも、勉強のために、こっちに下宿してて……」
「鳥取……左やっけ」
「右です。左は島根」
「あ、ごめん。でも小学校のうちから下宿って大変ちゃう?」
「私を預かってくれてるヒトたちは、とってもいいヒトたちなんす。お姉さんも下宿しているんですか?」
「ううん。次の交差点、曲がったところに『もみじの家』ってあんの知ってる? 児童養護施設」
「はい」
「うん。そこが、私の家。色々あって、ママがどこいるかわからんようになったから。でも、里親になってくれるかもしれへんヒトが見つかったから、昨日からそっちで暮らしてんねん」
「……ごめんなさい」
「謝らんでいいで。なんにも悪い気することなかったし」
そんな会話をしているうちに、家の前まで来ていた。
「ここが、わたしの家です」
サナは玄関のドアの前まであるいていく。しかし、ドアを開けるよりも先に内側から開いた。
出てきたのは、ラクのお母さんだった。
「おかえり。忘れ物?」
お母さんは優しい口調でいった。
「ううん、あの……」
さっきの出来事を、どう説明したらいいのだろう?
すると、お姉さんは笑顔を浮かべてお母さんに事のあらましを話した。
お母さんは驚いたような表情を浮かべ、そして少し悲しそうな表情になり、女の子を抱きしめた。
「ごめん。なんにもしてあげられへんで、ごめんな……」
違う。
なにもしてくれなかったのではなく、サナが頼らなかったのだ。
サナは、お母さんに顔をうずめた。
それから、サナはラクの両親や、師範、ウカと話し合って、決まったことがあった。
サナは次の冬休みをもって、元の鳥取の家へ帰るということだ。
サナはどうしても学校へ足がむかず、家で漫画を描きながら過ごした。
ラクが、学校の様子を教えてくれた。
キョウコは無事、退院したらしい。そして、キョウコをイジメていたあの三人の女の子は、それぞれ違う学校へ転校することになったのだという。
食事については、肉や魚を食べると気分が悪くなって吐いてしまうので、サナは毎食白米と少量の野菜だけを食べた。
その日も、サナは食卓こそラクの一家と一緒だが、一人、特別メニューの夕食をとっていた。
そのとき、ふと、テレビの声が耳に入った。
『養子になる予定だった児童養護施設の女子中学生を殺害したとして、府警は京都市で暮らす夫婦を逮捕しました』
夫婦の家だという住宅を映しながら、アナウンサーは淡々と原稿を読み上げる。
画面が切り替わり、殺害されたという女子中学生の写真が写される。
優しそうな笑顔。その頬には、大きな火傷の跡。
「お姉さんっ!」
サナは思わず大声をあげた。
それは、駅で声をかけてくれた、あのお姉さんだった。
『殺害されたのは市内の中学校に通う八重垣コンさんです。コンさんは数日前から学校に来ておらず、そのことを不審に思った友人が、八重垣さんが以前暮らしていた児童養護施設に相談、施設の職員が容疑者の家を訪問しましたが、八重垣さんに会えなかったことから警察に通報、事件が発覚しました』
サナは立ち上がる。
「どうしたの? サナ」
ラクが驚いたように尋ねる。
「ウカ様に会ってくる」
サナはそういって、部屋を飛び出した。
『夫婦は、八重垣さんを殺害しその遺体を山に埋めたと証言しており、死体遺棄の疑いでも……』
テレビの声が聞こえた。
サナは息をきらせながら大社にやってきた。
最近、ほとんど家から出ていなかったし、食事の内容も偏っていた。だから、驚くほど体力が落ちていた。
鳥居をくぐった瞬間、目の前にウカが現れた。
「いらっしゃい。ずいぶん慌てて、どうしたの?」
「お姉さんを……コンを助けてください!」
サナは叫んだ。
わかっていた。
神の力をもってしても、死者を生き返らせるのは容易ではない。少なくともウカにそんな能力はない。
だけど、このままヨモツクニへいかせてしまうわけにはいかない。
まだ、ちゃんとお礼をいっていない。
だから、生き返ることが不可能でも、なにか、なにか。
「お願いします、ウカ様。コンを、幸せにしてあげてください。神獣のサナとしてではなく、一人のヒトとして、お願いします。どうか、どうかコンを……」
サナは必死にいった。そして、ウカは、そっと微笑んだ。
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