第17話 小さき者たちの話 その3
ラクが帰ってくると、二人は一緒に宿題をした。
場所はラクの部屋。
合体ロボットのおもちゃが沢山おいてある。ラクの趣味らしいがサナにはよくわからない。
「サナちゃん、そこの計算、間違うてんで」
ラクはサナのノートを指差す。
「あ、うん。ありがと」
サナはぼんやりと返事をする。
「どしたん? なんか元気ないし、キョウコちゃんもちょっと変やったし、なんかあったん?」
ラクが不安げに尋ねる。
サナは消しゴムで、間違っていると指摘された部分を消しゴムで消した。
「なぁ、ラク、私、なんで化け狐に生まれたんだろ? 普通の人間じゃなくて、普通のキツネでもない、化け狐に生まれたんだろ?」
サナは独り言のようにいった。だけど、ラクは聞き漏らさなかった。
「どういうこと?」
「クラスのみんなは、普通の人間じゃないか。術で怪我を治すことも、火の玉を出すこともできないじゃないか。そしたら、そのことで悩むこともない」
ラクは首をかしげた。
「ごめん、やっぱりサナちゃんのいいたいこと、ようわからんけど、私たちが特別な力を持っているのは、神様のお使いとして、それでヒトを助ける為やし、それでみんなが幸せになるんやったら、そんでええんちゃうの?」
サナは、小さくうなずいた。
先ほど消した問題を、もう一度解く。それでも答えが間違っていることに、サナはきがついていなかった。
その日の夜。
サナは寝付けず、ベットの上に横になり、天井を見つめていた。
前みたいに、キョウコと“普通”の友達でいたい。なのに、どうすればいいのか、全くわかない。
そのときだ。
『助けて、サナちゃん』
頭の中に、声が響いた。
キョウコの声だった。
「キョウコ!」
サナは窓から飛び出すと、宙がえり。その姿はキツネになった。
一階の屋根の上を走り抜け、ジャンプ。地面に着地すると、そのまま走っていった。
電車で数駅分の距離を一気に駆け抜け、学校に着いた。
サナは人間の姿になった。
部屋を飛び出してきたから、パジャマのままだし、靴も履いていない。
校門は閉っている。サナはそれを乗り越える。
すると、微かにヒトの話し声が聞こえた。サナゆっくりと、声の方へむかう。
「おい、動かなくなったで。どうすんねん、これ」
声がした。キョウコをいじめていた三人の女の子のうちの一人の声だった。
鳥小屋の前。
そこには、キョウコが倒れていた。
キョウコは頭から血を流し、意識を失っていた。そして、その横には血まみれのニワトリ――ピィちゃんが横たわっていた。
「なんだよ。なにやってんだよ!」
サナは叫んだ。
「こいつの目の前で、ニワトリを殺してやろうと思ったんや。そしたら、こいつが突然飛び出してきて……」
そういった三人の女の子の一人、短髪の手には金属バットが握られていた。
キョウコの目の前でピィちゃんを殺そうとした。そのためにこんな時間にキョウコを学校に呼び出し、目の前でピィちゃんを痛めつけた。
ところが、とどめの一撃をくらわせようとしたところで、キョウコはピィちゃんを庇って、金属バットでぶたれた。
そういうことだった。
サナは足下を見た。
破られた写真があった。キョウコのお父さんの写真だった。
「お前たちは……お前たちはっ!」
サナの頭から、三角形の、キツネの耳が出ていた。
「なんや、その頭……」
ポニーテールがいった次の瞬間。
学校中に轟音が響いた。
オオカミの遠吠えのようなそれに、三人の女の子は、目をつむった。
ゆっくりと目を開くと、サナはキツネの姿になっていた。
しかし、普通のキツネではない。
その体躯は馬ほどの大きさがあり、金色の毛並みと、金色の目を持っていた。
そして、その四肢からは赤い炎が噴き出ており、地面や周囲の草を焦がしていた。
「あ……あ……」
巨大なキツネの姿となったサナを見た女の子たちは、口をパクパクと動かす。
再び、サナは吠える。
すると、足下から爆風が広がり、三人の女の子を吹き飛ばした。校舎の窓ガラスが割れる。
「お前たちは、許さない。ヨモツクニへ送ってやる」
サナ普段とまるで違う、低く、しゃがれた声でそういいながら女の子へ近付く。
眉間にしわを寄せ、怒りに満ちた表情。
そのときだ。
「……コケ」
微かな声がした。
キョウコの横に倒れていたピィちゃんの、今にも消えてしまいそうな声だった。
「そうだ、キョウコ……キョウコ」
サナは一瞬で人間の姿にもどり、キョウコに駆け寄り、ひざまずく。
キョウコは頭から出血していた。
細い呼吸。
「キョウコ、死なないでくれ。なぁ、キョウコ」
サナはキョウコの傷口に手をあてるが、傷はふさがらず、一向に血は流れる。
「かつては、生贄――つまりヒトの命を代償として、一時的に力を高め、高度な術を使うことも行われました」
師範の言葉が、サナの頭に浮かんだ。
キョウコの腕には、虫の息のピィちゃんが抱かれている。
ピィちゃんを喰らえば、あるいは……。
サナは首を振って、考えを否定した。
サナは神の使いである。
神は人間のためだけに存在しているのではない。時には犬や猫、鳥や魚、虫の願いを聞き入れ、奇跡を起こすこともある。
神が救う対象は、人ではなくヒトなのだ。
だから、キョウコとピィちゃんの命を天秤にかけることは許されない。
そもそも、サナだってピィちゃんのことが大好きだった。だから、毎朝、世話をしていたのだ。
ピィちゃんを殺すなんて、できない。
『神の使いの御狐様……どうか……お願いがあります』
小さな声がした。
それは、ピィちゃんが喋っていたのだった。
『御狐様、どうか……私を喰らい……この人間を生かしてください』
「ピィちゃん、なにを……」
『私は、もう長くはもちません。私の命を贄として、この人間の傷を癒してください。私は、この人間のことを愛おしく思っております』
サナはぎゅっと目をつむる。
ピィちゃんを、殺す。
そうすればキョウコは生き延びられる。
ピィちゃんも、それを望んでいる。
『お願いいたします。神の力をもって、この人間の命をお助け下さい。私の“想い”を果たさせてくださいませ』
サナは目を開いた。
「うわぁー」
サナは叫ぶと、再び巨大なキツネの姿になった。
そして、大きく口を開け、ピィちゃんに喰らいついた。
次の日、学校は大騒ぎになった。
轟音と爆発の痕跡。そして気を失った女児たち。
当然のように、臨時休校になった。
稲荷大社の奥、神とその使いのみが立ち入ることを許された空間。
畳が敷かれたその空間で、人間の姿のサナは膝を抱えて座っていた。
「や、サナちゃん」
やって来たのは、派手な見た目をしたギャルっぽい女性だった。
彼女こそ、稲荷神ことウカノミタマノカミである。
「ごめんなさい。ウカ様」
サナは膝に顔をうずめて、いった。
「とりあえず、謎のガス爆発ってことにできそう。キョウコちゃんも、あのいじめっ子三人組も、昨夜のことはショックであんまり覚えてないって」
ウカはサナの横に座った。
「ごめんなさい」
「私は、サナちゃんが悪いことをしたとは思ってないよ。でも、サナちゃん。一度、若桜のお家に帰ってみたらいいと思う」
ウカの言葉を、サナは首を振って否定した。
「私は、立派なキツネになるまで帰らないって、決めてるんです」
でも、本当は立派なキツネよりも人間になりたいな。
ウカは、サナの頭を優しくなでた。
「ごめんね。私の神としての力を使っても、サナちゃんの『想い』は叶えてあげられない。自分で頑張ってもらうしかないの。でも、どれほど硬い意思があっても頑張り続けることはできない。少し休むことも、必要よ」
ウカはそれ以上はなにもいわなかった。
次の日、学校は授業が再開されたが、サナは休んだ。
食欲がわかなくて一日、ほとんどなにも食べず、ただずっと、ぼんやりと一日を過ごした。
学校から帰ってきたラクによると、キョウコは入院はしたものの、命に別状はないらしい。
次の日も、朝からあまり気分はよくなかったけど、いつまでも休んでいるわけにはいかない。サナは朝食を食べずに家を出た。
授業は、いつも通り進んだ。
だけど、サナはまるでその内容が頭に入ってこなかった。
給食の時間。
サナはまるで食欲がなく、少なめに配膳してもらうように頼んだ。
みんな、驚いていた。
その日は、鳥の照り焼きだった。
サナは一口、食べる。
その途端、ピィちゃんを食べたときの感覚がよみがえってきた。
鉄のような血の味。
口内をチクリと刺す羽毛。
ぬるりとした臓器。
サナは教室を飛び出し、トイレに駆け込んだ。
便器にむかって嘔吐する。
胃の中にはほとんどなにも入っていなかったので、胃液を吐き出す。
「サナ、大丈夫?」
心配して追いかけて来たのか、ラクと担任の先生が来た。
サナは早退した。
「色々あったから、疲れてんねんで。しばらくゆっくりし」
ラクのお母さんは、そういってヨーグルトを器に入れて出してくれた。
「後で食べる」
サナはそういって、自室にこもった。
ベットの上で、毛布にくるまる。
唇を、指先でなでる。
まだ、ピィちゃんを食べた感触が残っている。
どうして、ピィちゃんを食べてしまったのだろう。
そうやって後悔するってことは、キョウコが死んだ方がよかったって思ってる?
いや、それも違う。
そもそも、どうしてあの場にいった?
キョウコの声が聞こえたから。
どうして?
キョウコが願ったことを、サナが感じ取ったから。
サナが、神獣で、ヒトの願いを感じる能力が備わっているから。
もしも、人間になれたら……。
死んだらどうなるの?
その魂は、ヨモツクニへ送られ、永遠にヨモツクニで暮らすか、転生し、新たな体を経て生きるか、選ぶことができる。
もしも、人間に生まれ変わることが出来たら……。
サナは何度も頭を振って、その考えを否定した。
ヨモツクニの神、ヨモツオオカミはサナのことを歓迎しないだろう。
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