第16話 小さき者たちの話 その2
次の日。
サナはいつも通よりはやい時間に、一人で学校にきた。
いつも、キョウコははやめに学校に来るらしい。
キョウコと二人っきりで話たかった。
だけど、教室には誰もいなかった。
はやく来すぎたのかと思った。だけど、違う。キョウコの机には、ランドセルなどの荷物が置いてある。
「サナちゃん、ごめんなさい」
突然、声が聞こえた。キョウコの声だった。
サナは慌ててキョウコのランドセルの匂いを嗅ぐ。
「キョウコの匂い……こっちだ」
サナは教室を飛び出した。
キョウコがいたのは、人目につきにくい、校舎裏だった。
そこに、キョウコはいた。
ぬかるんだ地面に、倒れていた。
キョウコの周囲には、三人の女の子がいた。髪をサイドテールにした子と、ポニーテールにした子と、短髪にした子だ。
「なにしてるんだ……お前たち」
サナは絞り出すような声でいった。
すると、ポニーテールが笑いながらキョウコを指差した。
「あ、長尾さんやーん。長尾さんってさ、キョウコと仲いいよな。でも、やめた方がいいで。コイツ、三年生のときに教室で漏らしてん。こんな汚いヤツとつるんでも面白くないやろ」
すると、今度はサイドテールがいった。
「こいつの父親も病気だし、コイツもなんかの病気ちゃう? 長尾さんにもバイキンうつっちゃうで」
その途端、女の子たちのなかで、ワッと笑いが巻き起こる。
「知ってる? コイツさ、いっつも父親の写真持ち歩いてんねんで」
短髪はキョウコのスカートのポケットに手を入れた。
「やめて」
キョウコは暴れようとするが、サイドテールとポニーテールに取り押さえられる。
「パパのこと、だいしゅきせちゅか?」
短髪の手には、キョウコが父親と撮った写真が握られていた。
「やめて、返して!」
キョウコは叫ぶようにいった。それを見て、女の子たちの中でドッと笑いが巻き起こる。
「……やめろよ」
サナはうなるようにいった。
「なに? 長尾さん、コイツの味方すんの?」
サイドテールが、不機嫌そうにいう。
「ごめん……ごめんな。でも、私は、キョウコをっ!」
サナが叫ぶと、その周囲に三つの火球が浮かぶ。
火球は一気に加速すると、三人の女の子へむかっていく。
そして、三つ、三人にそれぞれ命中した。
一瞬の出来事だった。
女の子たちの体が燃え上がる。
「熱い、熱いぃ」
地面を転がりながら、悲鳴を上げる。
「今のうちに逃げよ」
サナはキョウコの手を取り、走り出す。
「サナちゃんが、やったの?」
キョウコが尋ねた。
「うん。本物の火じゃない。幻覚だ」
キョウコが走りながら振り返ると、火は消えていた。
煙も、焦げた跡も、一切なく状況を飲み込めない三人の女の子が呆然と地面に座っていた。
畳の敷かれた和室で、サナは正座していた。
師範は難しい顔をした。
「サナ、あなたがやったこと、間違っていたとはいいません。虐められている子を助けたのは事実ですから。でも、感情にまかせて術を使ってしまうのは褒められませんよ」
サナはうつむきながら、小さく「はい」とこたえた。
「今回は、幻術でしたからまだよかったですが、術でヒトを殺すことも難しくない。特にサナ、あなたは非常に“力”が強いのですから」
また、サナは小さくうなずいた。
「話はおわりです。下がりなさい」
サナは立ち上がると、一礼した。
部屋をでたところに、ラクがいた。
「どうやった?」
ラクは不安そうな顔で見つめる。
「うん。大丈夫」
サナは短く、そうこたえた。
次の日、サナは一人で登校した。いつもよりはやい時間だった。
教室に入ると、キョウコが一人だけいた。
「おはよ」
まだ、キョウコに制服を返していない。
今日、サナは自分の、予備の制服を着て登校した。
キョウコの制服は、洗濯してもらい、紙袋に入れてもってきた。
「あ……サナちゃん。おはよ」
キョウコは、サナから目をそらした。
「大丈夫か? 怪我とかしてないか?」
「ううん。いいの」
キョウコは教室を飛び出していった。
「キョウコ」
サナは荷物をもったまま、その後を追いかけた。
廊下のはしっこの行き止まりのところまで来た。
「どうしたんだよ、キョウコ。なんか様子がおかしいぞ」
サナはゆっくりとキョウコに近付く。
「いや、やめて。来んといて……」
キョウコの表情は、恐怖に歪んでいた。足が震えていた。
それを見た途端、サナは悟った。
「……そうだ。そうだよな。火の玉でヒトを燃やすところ見たら、恐いよな。制服、ここに置いとくよ。私のは、もう、返してくれなくていいから」
サナはそっと、足下に紙袋を置いた。
「約束する。キョウコのことは襲ったりしない。絶対に。私は、キョウコのこと、これからも友達だと思ってる。もしも、願ってくれたら、また、いつでも助けるから」
そういって。その場を去った。
「……ごめん」
背中から、今にも泣きそうなキョウコの声が聞こえた。
その日の授業は、淡々と、特に大きな問題なく、進んでいった。
だが、サナは気付いていた。
キョウコが、チラチラとサナの様子をうかがっていることに。
サナが、なにか喋るたびに、脅えていたことに。
休み時間、できるだけサナから離れようとしていたことに。
サナは、一人、とぼとぼと家に帰ってきた。
「あら、おかえり。ラクは?」
いつも通り、ラクのお母さんはおっとりとした口調でいった。
「うん。次の電車だと思う」
サナはみじかくいって、自室にこもった。
「パンケーキ焼けてんでー」
という声には、返事をしなかった。
部屋に入ると、机の上のトレース台の電源を入れた。浮かび上がる、漫画の原稿。
サナはペンにインクをつけ、鉛筆の線をなぞる。
もし、世界のみんなが化け狐なら、火の玉の幻術ごときで恐れられることなんてなかったのに。
いや、逆に、サナが普通の人間の女の子なら、キョウコが虐められている現場に出くわしても、違う行動をとっていたはずだ。
そうしたら、キョウコと仲良しのままいられたかな?
『私は、超能力も、魔法も持っていない普通の人間です。でも、だけど、あなたを救いたい。あなたの力になりたい』
漫画の主人公、若葉サクラのセリフはそんなものだった。
もしも、世の大多数のことを普通というのなら、サナは普通ではない。
普通の人間に生まれたかった。
「サクラ……お前はいいよな。普通の人間で……」
原稿用紙の、生乾きのインク。サナの涙でにじんだ。
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