第15話 小さき者たちの話 その1
誰かに体を揺り動かされる感覚で、サナは目を覚ました。
サナは、勉強机に顔を伏せて眠っていた。
「おはよ。サナ」
サナをおこしたのは、ラクだった。
「うん、おはよ」
サナは目をこすりながらいった。
「また、夜遅くまで漫画描いてたん? 授業中に寝てたらまた怒られんで」
ラクは机の上を見た。
トレース台と、その上には描きかけの漫画の原稿があった。
「はやく切り上げようと思ったんだけど、つい、なっ」
サナは大きくのびをした。
「それって『花咲くサクラ』の新作?」
ラクはそっと原稿を覗こうとうとするが、サナは手で隠した。
「駄目だ。完成するまでは読ませない」
ラクはちょっと不満そう。
「ええー。あれ、おもろいから好きやのに。ボンコツやけど、頑張り屋のサクラちゃんがかわいくって」
サナは一瞬、嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに厳しい顔になる。
「完成するまでのお楽しみだ。あ、でも、一つだけいっておくと、最終回でサクラは死ぬぞ」
「え、そうなん! メッチャ悲しいねんけど」
「冗談だよ」
サナは笑った。
サナは小学校四年生。
もともとの出身は鳥取県だが、現在は京都で暮らしている。
なぜ、京都に来たのかというと、それはサナが神の使いたる化け狐だから。それも、特に強い力を持って生まれた化け狐だからだ。
その力をお稲荷さんことウカノミタマノカミに認められ、正しい力の使い方を学ぶために、京都の稲荷大社の近く、古くから稲荷の使いの家系である秦守家に下宿している。
ラクは秦守家の長女だ。
サナとラクは制服に着替える。白いカッターシャツに水色の吊りスカート。そして紺色のブレザー。
着替えが終わると、リビングにいった。
神の使いといえども、一見するとごく普通の人間だ。
朝食の後、二人は家を出て学校へむかう。
地元の公立小学校ではなく、電車で数駅いったところにある私立の小学校に通っていた。
ランドセルをガチャガチャいわせながら、駅への道を歩く。
その道中、道端でうずくまって、泣いている女の子を見つけた。二人よりも幼い、小学校一年か二年くらいの子だ。
「どうした?」
駆け寄るサナとラク。
「転んで、怪我してん」
女の子の膝には擦り傷があり、血が出ていた。
「うん、もう大丈夫だ」
サナはそういって、女の子の傷口に手をかざした。すると、見る見るうちに傷はふさがっていってった。
「治った。痛くない。お姉ちゃん、おおきに」
女の子はそういって、走っていった。
「走るとまたこけるぞ」
サナは笑顔で女の子を見送った。
「サナちゃんやさしな」
ラクがいった。
「私がいなかったら、ラクがやってただろ?」
「私は、ペッタンもってるから」
ラクはポケットから絆創膏を取り出し、サナに見せた。
「まあ、ほっときはせえへんな」
「ヒトを助けるのが、神の使いの役目だからね」
サナとラクはお互いに笑いあった。
学校には飼育小屋があって、そこには一匹だけニワトリがいた。
ニワトリの名前はピィちゃん。
かつて、小野飼育小屋にはもっとたくさんの生き物がいたらしいが、一匹、また一匹と死んでいき、その後、新顔が入ることはなかったので、ピィちゃんになってしまった。
ピィちゃんが死んでしまったら、飼育小屋は撤去するらしい。
サナとラクそれからクラスメイトのキョウコは、毎朝ピィちゃんに餌をあげにいく。元々は持ち回りの飼育当番があったのだが、みんな嫌がり、結局サナとラクの二人が毎日餌やりをしている。
「ピィちゃんはこんなにかわいいのに、なんでみんな嫌がるんやろうなぁ?」
キョウコはピィちゃんを抱上げていった。
「匂いが苦手ってヒトが多いみたいだぞ」
サナは餌皿に餌を入れた。
「臭くないやんなー」
キョウコはピィちゃんに頬ずりした。ラクも、ピィちゃんの頭をなでる。ピイちゃんは小さく「コケッ」と鳴いた。
二時間目が終わった頃だ。
「あー、おなかすいたー」
サナは大きな声でいった。
「まだ二時間目終わったとこやで、サナちゃん」
あきれたようにいったのは、キョウコだった。
「だって、おなかすいたものはすいたんだ。またあのいなり寿司が食べたい」
「いなり寿司?」
キョウコは首を傾げた。
そこへ、ラクがやってきた。
「この前、大社で中学生のお姉さんがいなり寿司を配っててん。それでな、サナはそのいなり寿司がえらい気に入ったらしくて、おなかがすくとアレが食べたいっていいだすねん」
「だって、あれ美味しかったんだもん。ああ、またあのお姉さんに会えないかなぁ」
そのとき、サナは気が付いた。
「キョウコ、どこか怪我してるのか? 血の臭いがする」
サナはキョウコの手を掴んで、袖をまくった。
そこには、大きな擦り傷があった。
「ちょと、転んじゃって……平気やから。唾つけとけばなおるから」
キョウコは手を振りほどく。
「そっか。でも、痛いんじゃないか?」
サナは自分の指先を舐めると、その指でキョウコの傷をなでた。
「イタッ」
キョウコは痛みに表情をゆがめる。
しかし、それは一瞬。傷は瞬く間にふさがる。
「なんで……」
「唾をつけておけば、治ったな」
サナは笑顔を浮かべた。
三限目の国語、四限目の理科と授業は進む。
その間、ずっとサナのお腹は音をたて続けていた。
そして、給食の時間。
今日のメインディッシュは鳥のから揚げだった。
お休みのヒトの分を誰が食べるか? というじゃんけんにサナは参加していた。
「おう、こっちだ。パース」
昼休み、サナは男の子たちに混ざって、サッカーをしていた。もちろん、セーラー服のままでだ。
「元気やねぇ」
ラクは校庭の隅で、その様子を見ていた。
そのうちに、サナはコートを抜けて、ラクの方へ走ってくる。
「あれ、どうしたの?」
「トイレー」
そういいながら、サナは走り去っていった。
校庭の端っこにトイレがある。
校舎内のトイレと違って、あまり使うヒトがいないので、いつも薄暗く、いつしか幽霊が出るという噂が広まり、余計に子供を遠ざけていた。
しかし、サナはこのトイレに幽霊がいないことなどわかりきっていたし、仮にいたとしても、幽霊など見慣れた存在だ。
と、いうわけで校庭の隅っこのトイレにやって来た。
そこには、幽霊の代わりにキョウコがいた。
ブレザーを脱ぎ、必死に水道で洗っていた。
「キョウコ、どうしたんだ?」
驚いて、サナは声をかけた。
「サナちゃん……」
キョウコは今にも泣きそうな顔をしていた。
「どうしよう……制服を汚しちゃった……」
サナは気がついた。キョウコが洗っていた制服には、白い絵の具のようなものがべっとりとついていた。生地が紺色であるが故、余計に目立っている。
「そのぐらい、家で洗濯してもらったらいいじゃないか」
サナもよく制服を汚す方だ。
だけど、ラクのお母さんは「しょうがないなぁ」と笑って洗濯してくれる。
「ウチな、今、お父さんが病気で入院してて、お母さんがパートにいきながら家事も全部やってんねん。だから、余計なこと頼めへん」
キョウコはスカートのポケットから一枚の写真を取り出す。男のヒトと、今よりさらに幼いキョウコが写っている。
「それ、お父さんか?」
サナが尋ねると、キョウコは嬉しそうに笑った。
「うん。お父さん。めっちゃ好きやねん。そやから、はよ元気になってほしいな」
サナも、微笑んだ。
「キョウコは優しいな。制服のことは、私にまかせろ」
そういって、サナも服を脱ぐ。
「サナちゃん?」
サナが脱いだ服をはたくと、バラバラと砂が落ちる。
「うん。大丈夫だ。私のなら目立つ汚れはない。これ着てくれ」
「え、でも、そしたらサナちゃんは……」
「私はキョウコの着る。それで、家で洗濯してくる。それで、明日もう一回、服を交換しよう。そしたら、万事解決だ」
そして、ニっと笑った。
「他にも困ったことがあったらいってくれ。願ってくれたら、私、それを叶える為に頑張るから」
「うん。おおきに。サナちゃん」
キョウコはゆっくりと、サナから服を受け取った。
放課後、サナとラクは一緒に電車で帰る。
「それで、トイレから帰ってきたら制服汚れてたんや」
「おう。さすがに服を綺麗にするなんて便利な『術』はないから、これしか方法が思いつかなかったんだ」
「でもサナちゃん、今日って図工なかったよな。なんでキョウコちゃん汚しちゃったんやろ?」
いわれてみればそうだ。今日は絵の具を使うような授業はなかったし、キョウコは休み時間に絵を描くような趣味があるわけではない。
さらに、キョウコは校舎内の水道ではなく、校庭のはしっこにあるトイレで服を洗っていた。どうして? あそこが一番近い場所で服を汚したから?
いったい、キョウコはなにをしていたんだろう?
サナは首をかしげた。
ラクは服の汚れを爪の先でこすった。
「サナちゃん、これ、絵の具ちゃうで。ペンキや」
家に帰ってきた。
ラクの母親はサナの脱いだ服を手に取りながら難しい顔をした。
「確かに、これペンキね。なんとかして綺麗にしてみるけど、どうして
汚れちゃったのかは確かに気になるなぁ」
キョウコのことは気になるけど、他にもやらなけばあるのも事実だ。
サナとラクは大社へむかった。
大社では、化け狐の師範から授業をうける。
座学の日もあれば、実技の日もある。
今日は座学だった。
サナとラクは机を並べ、師範の話を聞く。
「かつては、生贄――つまりヒトの命を代償として、一時的に力を高め、高度な術を使うことも行われました」
普段なら、ある程度、入ってくる師範の声も、今日は耳に入ってこない。サナはぼんやりとキョウコのことを考えていた。
「サナ、聞いていますか?」
師範の声で我に返った。
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