第14話 自分を殺した話 後編

 間もなく、テナの弟、コウが呼びにきた。「ご飯だよ」と。

 みんなで食卓を囲む。

 大きな鍋。

 中身は、いっぱいのカレー。

「今日はカレーにしてみました」

 コンが自慢げにいった。

 モモコとテナのほか、テナの両親、テナの弟のフウとコウ。妹のサナ。サナにそっくりなサクラは親戚の子らしい。それから、お店の料理担当だというコン。

 コンが配膳する。

「いただきます」

 みんなで手を合わせて、一斉に食べ始めた。

「カレーはお肉入ってへんから、欲しいヒトはとってや」

 鍋の横には、山盛りのトンカツがあった。

 モモコは一口すくって、食べた。

 あんまり辛くない。いや。辛いのだけれど、口に痛くない。

「ジャガイモとタマネギをミキサーにかけていれると、食べやすぅなるんです」

 コンが、解説してくれた。

 賑やかな食事風景だった。

 みんな、それぞれに今日の出来事を報告する。そして、他の誰かがいったことに、返事をする。

 自然と、モモコも笑顔になっていた。

 きっと、カレーがおいしかったから、だけじゃない。


 テナの家のお風呂は大きかった。

 どのくらいかというと、テナとモモコが二人で一緒に入れるくらい。

 テナの尾てい骨のあたりから、茶色とも金色ともとれない色の尻尾が生えていた。そして、頭には三角形の耳が生えている。

 コスプレグッズをくっつけているのではない。本当に生えていた。

「本当に、狐なんだ。長尾さん」

「触っていもいいよ」

 モモコはそっと、テナの尻尾に触れた。

「ひゃっ!」

 その途端、テナはヘンな声をあげた。

「その触り方、やめてー」


 二人でお湯につかる。

 浴槽からあふれるお湯。

「賑やかなごはん、ちょっとうらやましいな」

 モモコは、下あごまでお湯につけていった。

「モモコは、きょうだいいないんだっけ?」

 モモコは首を横にふった。

「お姉ちゃんがいるけど、あんまり仲よくない」

「へー。なんで?」

 モモコはちょっと考えた。

「お姉ちゃん、病気なの。体じゃなくて、心の。前に病院にいってなんか診断されたんだって」

「うん。それで?」

「大学生なんだけど、家では文句ばかり。あのヒトが気に入らないとか、あのヒトのせいで上手くいかなかった、とか」

 テナはうなずく。

「でね、ちょっと自分に都合が悪くなると、病気なのに優しくしてくれない、とかいい出して、症状が悪くなったから病院に行くって騒いで。聞いてる方が疲れちゃう」

 モモコは湯面の微かな波を見つめる。

「私は、あんな風にならないでおこうってずっと思ってた。どんな辛いことにも、自分一人の力で勝てるようになろうって」

「モモコ、頑張り屋さんだもんね。遅刻も欠席もしたことないし、テストはいっつもいい点とってるし、二年生で部長やってるの、モモコだけだし」

「そんなに、見てくれてたの?」

「一応、ヒトの願いを叶え、ヒトを幸せにする。そんな神の使いの端くれですから。みんなのこと、見てるよ。モモコのことも」

「でも、お母さんは私のことなんて見てくれない。あなたは一人で大丈夫でしょって。お姉ちゃんのこと、病気でかわいそうだねって、そればっかり」

 モモコは口まで、湯につかった。ぶくぶく。泡。

 テナは、真剣な表情になった。

「ねえ、モモコ。落ちたの? 飛んだの?」

 モモコは、無言でうなずいた。


 お風呂を上がると、テナはモモコを表に連れ出した。アイリッシュフルートを持ってくるようにいった。

「どこいくの?」

 そう尋ねても、テナは笑顔で「いいから、いいから」というばかりだ。

 そしてやって来たのは、田んぼの真ん中のあぜ道だった。

 鳥居をくぐり、本殿の前の広場へ。

「モモコ、好きなだけ吹きなよ」

「へ、どういうこと?」

「今のモモコは、幽霊みたいなもんだから、私たち以外には見えないし、音も聞こえない。好きなだけ、好きなことできるよ」

 そうか。今なら、好きなだけ、吹ける。

 アイリッシュフルートを組み立て、演奏をはじめた。

 曲は『勇敢なるスコットランド』だ。

 非公式ながらスコットランドの国家として扱われることもある曲で、曲名の通り、勇ましく、力強い曲だ。カナダ軍の一部の隊では行進曲として使用されている。

 それから、知っている曲を片っ端から演奏した。

 怒涛の勢いで演奏を終えたあと、大きく息を吸った。

「文句ばっかりいってんじゃねえよ! クソ姉貴! 自分どんだけ恵まれていないか撃ったえたら誰かが助けてくれるなんて思ってんじゃねぇよ! みんな

そんなに暇じゃねぇんだよっ!」

 田んぼの暗闇に、全力で叫ぶ。

「ちょっとは自分で努力しろ、足掻け、戦ってみせろ!」

 そして、最後にこういった。

「いっそ死んじまえ、クソ姉貴ぃー!」

 吹奏楽器を演奏するモモコの肺活量。たれにも聞こえないその声は、ずっと遠くまで響き渡った。

 テナは、モモコを優しく見ていた。モモコのことを、叱ることもなければ、とがめることもなかった。


 次の日、モモコは病院のベットで目を覚ました。

 頭に包帯が巻かれていて、足にはギプスがはめれられていた。

「あのね、モモコ。元の体に戻っても、きっとモモコの周りで、なにかが大きく変わることはないと思う。だけどね、私がいる。モモコの悩みを解決してあげることはできないかもしれないけど、モモコが苦しくならないように、おっきい耳で話、聞いてあげる。だから、また学校で」

 別れ際、テナはそんなことをいっていた。

 目を覚ましても、はっきりと覚えていた。

 モモコは、そっと笑みを浮かべた。


 その日の夕方。

 和食処『若櫻』にサクラは一人でやってきた。

「いらっしゃい。サナちゃんは?」

 コンが尋ねた。

「今日は日直なので、ちょっと遅くなります」

 サクラはカウンター席に座る。

「あの、コンは怒ったことってありますか?」

 サクラはそんなことをいだした。

「なんで?」

「昨日の夜、モモコが表で叫んでいたそうなんです。私には聞こえませんでしたけど、サナは聞いたといっていました」

 サクラの声を聞いながら、コンはコーヒーメーカーを用意しはじめる。

「モモコさんみたいに、心の中に怒りをため込んでいるヒトって結構多いのかなって、思って。それで、コンさんみたいな人でも怒るのかなって、思ったんです」

 コンは、頬の火傷の痕を指先でなぞった、

「私も、ヒトの子やから怒ることもあんで。きっと、もうちょっと長生きできた。あのとき怒らへんかったら。でも、後悔はしてへん」

 サクラはちいさく相づちをうった。

「コン、サナには黙っておいてほしいっていわれているんですが……」

 サクラは話した。サナが力をため込んでしまっていること。それが、感情の高ぶりによって抑えきれなくなる可能性があること。

「なぁ、サクラちゃん。私、サナちゃんが京都にいたとき、なにがあったか、詳しく知らんねん。教えてくれへん?」

 サクラは、うなずいた。

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