第13話 自分を殺した話 中編
次に気がついたとき、モモコは見知らぬ場所にいた。
そこは、和風の飲食店の店内のようだった。
時計は午後四時。
モモコは制服を着ていて、ズシリと重いスクールバッグも持っていた。
カウンターの内側に、一人の女の子がいた。
モモコより年下、中学生くらいに見える女の子で、頬には大きな火傷の跡がある。
「いらっしゃいませ」
女の子は、笑顔でそういった。
「あ、はい」
モモコは戸惑いながら、カウンター席に座った。
「ここはどこですか?」と尋ねたかったけど、そんなことをいえば間違いなく完全にヘンなヒトだ。場の空気を読みつつ、状況を探らなければ。
「はい、どうぞ」
女の子はグラスに水をつぎ、モモコの前に置いた。
「あの、メニューは……」
モモコは店内を見渡すが、お品書きのようなものは見当たらない。なにも注文しないというのは、失礼にあたると思ったのだけど。
「なんでも、私のつくれるもんなら出せますよ」
女の子はおっとりとした口調でいった。
なんでも、といわれると逆になにを頼めばいいのかわからない。
学校はアルバイト禁止だから、モモコは家からもらっている月五千円のお小遣いだけが手持ちだ。更に、楽譜をよく買っているので、常に金欠気味だ。迂闊な注文をしてお金が足りなかったら困る。
なにを頼もうか、モモコは考える。
「そんなに深く考えなくても、気軽になんでもいってください」
女の子はそういって笑った。
そのとき、入り口のドアが激しく開いた。
「お待たせー、モモコー」
入ってきたのはテナだった。
「長尾さん? どうしてここに」
モモコは驚いて、声をあげたが一方のテナは不思議そうな、キョトンとした表情をしている。
「なにいってるの? 一緒に勉強しようって誘ってくれたの、モモコじゃーん。ありがとね」
あれ、そうだっけ。そもそも、長尾さんとは特別仲が良かったわけではないのに、どんな流れでそんな話になったんだっけ。
なにも思い出せない。疲れてるのかな?
「早速はじめよ」
テナはモモコの横の席に座り、カウンターの台にノートを広げる。
「あ、うん」
店内はモモコたち以外のお客さんは見当たらない。だからといって、こんなところを勉強に使ったら、迷惑じゃないだろうか?
「別にいいですよ。めったにお客さん来ませんし。ここで漫画を描いてるヒトだっていますよ」
モモコの考えていることを察したのか、女の子がいった。確かに、カウンターの上は、所々黒いインクのようなシミがついていた。
「コンがいいっていってくれたなら、いいよ。このお店、家の持ち物だし」
さらにテナが続けた。
この女の子、コンって名前なんだ、とモモコは思った。あと、サラリーマンの中流家庭で生まれ育った身として、お店が家の持ち物というのも、凄いことだと感じる。
「でさ、数1教えてほしいんだけど。あんまり成績悪いと、また船岡センセに怒られちゃうしさ」
モモコは小さくうなずく。
疑問は尽きないけど、とりあえず流れに身を任せよう。
スクールバッグを膝の上に置くと、チャックをあげた。
そして気がついた。
そういえば、数1のノートは今日、クラスメイトに貸してしまった。
モモコが必死になって仕上げたノート。そのまま写されると思うと悔しかったが、貸したくないといってて「倉吉さんってカンジわるいよねー」といわれた中学時代を思い出すと、断ることはできなかった。
鞄を開いて、一番上にあるのは、アイリッシュフルートが入った皮のケースだ。それを丁寧な手つきでカウンターの上に置くと、教科書を探す。
あった。そして、教科書の横には数学1用のノートが入っていた。
貸したはずなのに、ここにあった。
「なんで……」
間違って別のノートを貸したのかも、と思ったがそれはない。間違いなく、貸したノートの表紙は『数学1』だった。
「どうしたの?」
テナが不思議そうに見つめていた。
「なんでもない」
モモコはそういって、ノートを広げた。
テナに勉強を教えながら、モモコも自分の勉強を進めた。
そして、気がつくと窓から夕日が差し込んでいた。
「あ、もう帰らないと」
モモコは慌てて勉強道具を片付ける。
「泊まっていきなよ、今日」
テナは軽い調子でいった。
「え、でも……」
「私の部屋でよければ、泊まっていきなよ。まあどうせ、お母さんはいいっていうだろうからさ」
モモコは断ろうと思った。そこまでお世話になるのはさすがに申し訳ない。
「たまにはさ、家を離れるのも楽しいんじゃない?」
テナはさらにそういった。
家に帰って、楽しいだろうか?
夕食時、楽し気に話す母と姉。無口な父。
みんなで一緒に食べているようで、実は一人での食事だ。
寂しい。
「家に……連絡だけ。お母さんに聞いてみないと……」
モモコは、カッターシャツの胸ポケットからスマートフォンを取り出し、登録してある母の番号に電話をかける。が、繋がらない。画面を確認すると、圏外になっていた。
「ここって圏外なの?」
モモコは首をかしげる。
「あ、調子が悪いとそうなるみたいだね。そこの電話使ってよ」
テナが指差したのは、店のすみにある黒電話だった。
「うん。ありがと」
モモコは電話を手に取り、母のスマートフォンに電話をかけた。
お母さんは、驚くほどあっさりと、外泊を許可してくれた。
「よかったじゃん」
モモコが受話器を置くと、テナがいった。
「ところでさ、さっきから気になってたんだけど、これなに?」
テナが指差したのは、カウンターの上のアイリッシュフルートだった。
「アイリッシュフルート。部活で使うから」
「アイリッシュフルート? 普通のフルートと違うの?」
「うん、アイルランドの伝統的な楽器で、普通のフルートは金属製なんだけど、これは木製なの」
モモコは少し嬉しかった。自分の好きなものに、他人が興味を持ってくれることが。
「ねえ、ちょっと聞かせてよ」
テナは嬉しそうにそういった。
「ええですよ。私も聞いてみたいです」
コンも、笑顔でそういった。
モモコはケースからアイリッシュフルートを取り出し、組み立てる。
そして、ゆっくりと奏ではじめる。
曲は『蛍の光』を選んだ。日本でも閉店のBGMとして有名な曲だけど、もともとはスコットランドの民謡で、元の題名は『Auld Lang Syne』だ。
テナとコンは静かに聞いていた。
お店の近くにあるという、テナの家にむかう。
ここは若桜町。地名は知っていたけど、実際に来るのははじめてだ。
夕暮れの町を歩く。
「モモコ、上手いじゃん」
モモコと、テナと、それからコン。三人で歩く。
「ちっちゃいときからずっと、練習してたから」
モモコは少し照れながらも、でも、嬉しくて、うつむく。にやけた顔を見られたくなかった。
そして、正面から歩いてくるヒトに気がつかなかった。
「あっ」
ぶつかる。
そう思った途端、正面から来ていたそのヒトは、モモコの体をすり抜けていった。
避けたわけではない。間違いなくぶつかった。なのに、なんの感触もなく、そのヒトはモモコの体をすり抜けていったのだ。
「なんで……今のは……」
そして、気がついた。
モモコの全身は、半透明になっており、夕日が透き通っていた。
「これって……」
「気付いちゃったか。モモコ。詳しくは、家に着いてから、ゆっくり説明するよ」
テナが少し寂しそうにいった。
テナの家についた。古民家風の、大きな家だった。
家に居たテナのお母さんは、笑顔でモモコを迎えてくれた。
テナの部屋は二階にあって、部屋の中にはスチールラックがいくつもあって、そこには小さな列車の模型が、沢山飾られていた。
「まあ、狭い部屋だけど、座って」
モモコは、カーペットが敷かれた床に座った。
ドアがノックされた。
コンだった。二人分、ティーカップをおぼんに乗せてやってきた。
「ゆっくりしていってくださいね」
コンはテーブルにカップを置いた。中に入っていたのは、レモンティーだった。
「晩ご飯も、すぐにつくりますね」
コンはそういいながら、部屋を出ていった。残ったのは、テナとモモコの二人だ。
「ねえ、モモコ。幽霊の存在って信じてるタイプ?」
テナはそういいながら、模型のコントローラーを操作する。小さな列車は走り出す。
モモコは、嫌な予感がした。
マンションの五階。
近付いてくる地面。
風を切る音。
「私、マンションから……落ちた」
モモコがいうと、テナはうなずいた。
「うん。そうらしいね。モモコは、でも、安心して魂が体から抜けちゃっただけだから。体は、魂が抜けてるから意識はないけど、無事だって」
モモコは蛍光灯に手をかざしてみた。いつもと、なにも変わらない。
「長尾さん、あなたって……」
「神の使い。お稲荷さんのキツネ。ヒトが神様に願ったことを
叶え、ヒトを幸せにする。そんなお役目があるんだ」
そこまでいって、テナは冗談っぽく笑った。
「と、いっても、お役目はほとんど妹たちに任せっきりなんだけどね」
モモコはコンが持ってきたレモンティーを飲んだ。酸っぱさと甘さがうまい具合に混ざり合っている。
「じゃあ、一緒に勉強しようって、いったのは」
「ごめん。あれウソ。うまく、なにも気付かないまま体に帰してあげられたら、その方がいいかなって、思ったらから」
モモコは少し考える。
「じゃあ、さっきお母さんに電話したのは? 意識がないはずの私から電話がかかってきたら、大騒ぎになっちゃう」
「あれね、フウなんだ。双子の弟の」
ああ、たしか、テナには双子の弟がいて、同じ学校に通っているって聞いたことがあるな。モモコはふと、そんなことを思った。
「今すぐ体に帰ることもできるんだけどね、せっかくだから晩ご飯、食べていきなよ。コンの料理、おいしいよ」
テナはそういった。
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