第5話 キツネになった話 後編

 帽子で耳を隠して、家への道を歩く。

「お母さん……ごめん」

 サナは小さな声でいった。

「アンタの耳なんて、久しぶりに見た」

「ガッコのニワトリ、キツネに襲われたんだ」

「そっか。それで、気持ち悪くなっちゃたんだ」

 サナは力なくうなずく。

「どうしよう……コンのお弁当……全部吐いちゃった。コン、私のこと嫌いになっちゃわないかな?」

 歩きながら、母はサナの体を抱き寄せる。

「大丈夫、大丈夫。コンちゃんはそんなの気にしないと思うから」


 家に帰ってきた。

「ただいま」

 家に帰ってきて安心したのか、体調がより一段と悪くなった気がする。

 頭が痛い。軽いめまいがする。軽い吐き気がする。

「だいぶ体調、悪そうね。部屋で寝てたら?」

 母の言葉にうなずくと、サナは自室に引き上げた。

 パジャマに着替える。

 もちろん、尻尾用の穴がある服なんてないから、ズボンと下着を少しずらして隙間から尻尾を出す。

 もしも、明日になっても耳や尻尾が消えていなければ、学校は休むしかない。

 もう、学校へいきたくないという気持ちと、いかなきゃいけないという義務感が混ざり合う。

 明日、どうなってくれることを望んでいるんだろう。

 ベットに入ると、眠いつもりはなかったのにすぐに眠りに落ちていった。


 目を覚ますと、ずいぶんと時間がたっていた。

「おきた? 気分はどう?」

 ベットの横に、コンがいた。

 サナは自分の頭をなでる。まだ、耳は隠れていない。

「あんまり、よくない」

 ベットに寝ているのにめまいがする。ベットがグルグル回っている気がする。頭がズキズキと痛い。

「どう? なにか食べられそうやったら、おかゆつくるけど」

 コンがいうと、サナは自分の腹部に手を当てた。

 空腹感はないけれど、胃の中が空っぽな感じはする。当たり前だ。昼ご飯は全部吐いてしまって、それ以降、なにも口にしていないのだから。

「ちょっとだけ、食べようかな」

 コンは笑顔でうなずく。

「うん、わかった」


 程なくしてコンは一人用の土鍋におかゆをつくって持ってきた。

 一緒に持ってきた茶碗によそう。

「ありがと」

 サナはれんげでごく少量すくい、口に入れる。

 おいしい。

「無理せんと、ゆっくり食べや」

 サナはどんどんお粥を食べる。食べはじめてから、空腹感を感じはじめた。

 土鍋の中がほとんど空になったところで、サナはれんげを持つ手を止めた。

「なあ、コン。私な、普通の人間だって思ってもらえると思ってた。アカリやリンコ、セリカと同じになれると思ってた」

 コンは「うん」とうなずく。

「なのに、耳が生えた。尻尾も出た。消えるまで、学校にいけない。誰も、耳が生えたから学校休みます、なんていわない。いうわけがないっ!」

 サナは叫んだ。

 その途端、強い吐き気におそわれた。

 サナはとっさに口を押える。

「サナちゃん、大丈夫?」

 コンの焦ったような声がした。


 コンがトイレに連れていってくれて、サナはそこでまた嘔吐した。

 さっき食べたおかゆを全て吐き出す。

「ごめん。ごめんね、コン」

「ええよ。しんどくない?」

 コンは優しく、サナの背中をなでた。

 洗面所で、口をゆすぎ、顔を洗う。

 顔をあげると、鏡にサナの顔が写っていた。

 頭に、三角形の耳。

「私は、普通の人間として生きたいだけなのに、なのに……なんでそれがこんなに難しいんだよっ!」

 サナは叫んだ。

「サナちゃん、部屋戻ろ」

 コンの優しい声が聞こえた。


 部屋で、ベットに横になりサナは声をあげて泣いた。

 コンはベットのへりに腰掛け、布団の上からサナの体をなで、そして、ゆっくりと歌いはじめた。


 春が来た 春が来た

 どこに来た

 山に来た 里に来た

 野にも来た


 花が咲く 花が咲く

 どこに咲く

 山に咲く 里に咲く

 野にも咲く


 鳥が鳴く 鳥が鳴く

 どこで鳴く

 山で鳴く 里で鳴く

 野でも鳴く


「なぁ、コン、私、なんで狐に生まれちゃったんだろ? なんで普通の狐じゃなくて、化け狐に生まれちゃったんだろ。もしも、人間なら。もしも、普通の狐なら……」

 コンはちょっと考える。

「サナちゃんが化け狐に生まれたんじゃなくて、化け狐やから、サナちゃんなんやで」

 サナはベットに横になったまま、首を横に振る。

「ごめん、コンのいおうとすること、よくわかんない」

 コンはそっと、サナの頭をなでた。

「サナちゃんが普通の人間やったら私とこうして話せへんかったで、ってこと」


 サナ、辛かったですね。

 でも、もういいんですよ。

 あなたの悩み、苦しみ、痛み。全部、私が受けてあげます。

 だから、サナは自由に生きてください。

 あなたがつぶされてしまわないこと。

 それが、私にとっての一番です。


 次の日。

 少女は通学路を歩いていた。

「おはよ、サナちゃん」

 少女にそう声をかけたのは、セリカだった。

「おはようございます。セリカ」

 少女はペコリと頭を下げる。

「サナちゃん、昨日、早退したらしいけど大丈夫?」

「はい、もうすっかり元気です」

 セリカは不思議そうな表情を浮かべる。

「サナちゃん、髪切った……わけじゃないし、新しい服……って訳でもないよね。なんだろう、ちょっと雰囲気が違うような」

 セリカは少女の頭からつま先を順番にみていく。

「いつも通り、だと思いますよ」

 少女は頭をなでた。三角形の耳は、出ていない。

 そこで、セリカはハッとする。

「サナちゃん、どうしたの? いつもと口調、違うよ」

 セリカに指摘されると、少女は慌てたように、あたふたと無意味に手を動かす。

「わわわ、私、な、長尾サナはいつも通りだ……です。そうなんだ、です。です」

 それでも、セリカは疑惑が晴れない、という表情を浮かべていた。


 学校に来ると、少女とセリカは別れて、それぞれの教室にいった。

 教室に着くと、少女はサナの席に座った。

「おはよう。昨日はごめんね。なんか、嫌なもの見せちゃって」

 声をかけてきたのは、隣の席のリンコだった。

「大丈夫です。ちょっと、ビックリしただけですから。もう平気です。リンコは平気ですか?」

 リンコはちょっと驚いたような表情のあと、静かにいった。

「たぶん、キツネさんの仕業だって。近くの道路でニワトリの肉をくわえたキツネさんがひかれたんだって」

「キツネのこと、許してあげてくださいね。食べなきゃ死んじゃうんです。みんな」

「サナちゃんは、すごいね。私にはそんなふうに思えないよ」

 やがて、チャイムが鳴ってマサヒコ先生が教室に入ってきた。


 一時間目、算数の授業中。

 少女は足になにかが触れた感触がして、視線をむける。

 そこには、一匹の子ギツネがいた。

「あなたは……どうしたんですか?」

 少女は動じることなく、声をひそめて話しかける。

 子ギツネは、少女になにかを訴える。

「わかりました。休み時間になったら、探しにいきましょう」

 そういうと、少女は黒板に顔をむけた。


 休み時間、少女が立ち上がったそのときだ。

「サナ、六年の江坂さんが呼んでるよ」

 アカリが少女の元にきて、そういった。

 教室の入り口に目をむけると、セリカがいた。

「ありがとうです」

 少女はそういって立ち上がると、セリカの前までいった。子ギツネも、少女についていった。

「どうしました? セリカ」

「ちょっと、いいかな?」

 セリカは神妙な面持ちでいった。


 セリカについて、少女は廊下を歩き、やって来たのは普段は使っていない教室の前だった。周囲にひと気はない。

「どうしたんですか? セリカ」

 少女が尋ねると、セリカは一度、深呼吸をする。

「あなたは、誰?」

 そして、思い切ったようにいった。

「ななななな、なにいってるんですか? サナですよ。なな、長尾サナです。ちっちゃいときから一緒だったじゃないですか」

「やっぱり、口調がおかしいよ。サナちゃん、そんな丁寧な口調で喋らない」

 セリカは、怒りを表情に表していた。少女は、一歩、後ずさる。

「ててて、丁寧な、口調で、喋った方がいいかなって、思ったわけでございましてー」

「サナちゃんは、もうちょっと上手にウソつくよ」

 少女は、視線をそらす。それを見たセリカは、更にたたみかける。

「それに、口調どうこうじゃなくって、なんていうか、全体的な雰囲気がサナちゃんじゃないって、いうか、見た目は確かにサナちゃんなんだけど、匂いが違うっていうか、とにかく、あなた、サナちゃんじゃないよね。誰?」

 ついに少女は、観念したように息を吐いた。

「まさか、一日目で気付くヒトがいるとは思いませんでした。でも、それだけセリカ、あなたがそれだけサナのことを見てくれていた、ということですね。ありがとうございます」

 少女はペコリと頭を下げた。

「本物のサナちゃんは?」

 なお、セリカの口調は厳しい。

「いま、自宅のベットで寝ています。まだ、熱がありますし、キツネの耳と尻尾が消えなくなっています。だから、私がかわりに学校に通うことにしたんです」

「あなたは、誰?」

 少女は少し考え、こういった。

「私は元々、名前を持っていません。これからも、学校では長尾サナと名乗っていくつもりです。でも、あえてサナと分けて呼ぶなら、そうですね……サクラ。若葉サクラと呼んでください」

 少女――サクラはペコリと頭を下げた。

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