第4話 キツネになった話 前編

朝、サナは目を覚ますと、服を着替える。カッターシャツにジャンパースカートというお気に入りの格好だ。

 階段を下りて、広間へいくと朝食が用意されていた。

 朝食をつくったのは、サナの母親とコンだ。

「おはよ」

 サナが短くいうと、二人とも笑顔を浮かべた。

「おはよう、サナ」

「おはよ。サナちゃん」

 やがて、早朝に仕事に出かけた父以外、母、姉、兄、弟、コンと家族がそろい、いつもの賑やかな朝食がはじまった。


 朝食の後、コンはサナに給食袋を差し出した。受け取ると、中に箱状のものが入っている感触があった。

「はい、お弁当」

「ありがと、コン」

 サナは給食袋の紐をランドセルの横の金具にとめる。

「いってらっしゃい」

「うん。いってきます」

 サナは家を出た。


 また、セリカに会うかな、なんて考えながら通学路を歩いていく。でも、今日は会うことはなく学校までやってきた。

 セリカのかわり、といってはなんだけど、下駄箱で靴を履き替えようとしたとき、アカリとリンコに出会った。

 二人とも荷物は持っておらず、これから外へ出ていくようだ。

「おはよ。これからニワトリにエサあげにいくんだけど、サナも来る?」

 そういったのはアカリだった。

 ニワトリ。

 サナはいきたくなかった。断ろうと思った。そのとき、ふと思い出した。昨日、アカリ達はサナの家に遊びに来たいといった。でも、サナはそれを断った。

 また断ったら、アカリやリンコが遠ざかってしまう気がした。

「……うん。いく」

 短く、そうこたえた。

 大丈夫。見るだけだから。近寄らなければ、思い出さないようにすれば、大丈夫。


 校舎からグラウンドへむかう途中に、鳥小屋があった。

「ニワトリさんにご飯をあげるのは、四年生の仕事なんだけど、まだ飼育係が決まってないから、決まるまでは去年の飼育係の私たちがお世話するの。餌もらってくるね」

 リンコはそういって立ち去る。

 その間に、アカリが鳥小屋の鍵を開けた。

「入りなよ、サナ」

 サナは小さくうなずき、小屋に入った。

 獣の臭い。

 フワリと舞う羽毛。

 思い出したくないのに。思い出してしまう。

 血の臭い。声。羽毛や内臓の食感。

 思い出したくなんか、ないのに。

「サナ? 元気ないね。大丈夫?」

 心配そうに、アカリが顔をのぞいてくる。

「うん。大丈夫」

 サナは唾と一緒にこみあげてくる吐き気を飲み込んだ。 

 そのとき、餌をもってリンコが戻ってきた。


 餌やりを終えて、教室に戻るとずいぶんと気分はよくなり、さらに一時限目の授業が始まる頃には普段と変わらない体調に戻っていた。

 午前の授業を終えて、給食の時間になった。

 各々の席で食事をとる。

 周囲のヒトの机の上に給食の付けられたトレーが置かれている。その中で、サナは弁当箱を開いた。

 小さなピンク色の弁当箱。開けてみる。

 半分は白米で、上に細かく刻んだたくあんが乗っている。

 おかずはアスパラガスの天ぷらにと肉なしのコロッケ。あとは茹でたニンジンとブロッコリーにマヨネーズがついていた。

「サナちゃん、お弁当なの?」

 隣の席のリンコが訪ねると、サナは小さく「うん」といった。

「アレルギーとか、そういうの?」

 また、小さく「うん」といった。嘘を、ついてしまった。

 ふと、アカリと目があった。アカリはサナを非難しているのではないか、そんなふうに思えてしまった。


 サナは少量の弁当を給食の時間いっぱい使って、ゆっくりと食べた。

 そして昼休み。

「また、ニワトリさんにご飯あげにいこうと思うんだけど、サナちゃんも来ない?」

 アカリがそういってきた。

 もう、いきたくない。サナは断ろうと思った。

「ちょっと……用事が……先生に呼ばれてて」

 また、ウソをつこうとしている。

 サナは首を横に振る。

「……ううん、いく」

「いいの? 無理しないでよ」

 リンコが心配そうにサナを見る。

「大丈夫。もう、用事が済んだの忘れてただけ」

 サナは、そういった。

  

 惨かった。

 一面に飛び散った羽根。

 血の滴る肉塊。

 金網にぶら下がる足。

 トサカのついた頭。瞳孔が開いた目。

「キャー」

 リンコは悲鳴をあげた。

 ニワトリは、何者かに殺されていた。その死骸は、バラバラになり、鳥小屋の中に散乱していた。

「先生呼んでくる」

 アカリは、はじかれたように走っていった。

「そんな、誰が……誰が……」

 リンコの足が、震えている。

 数羽いたニワトリは、皆、殺されていた。

 サナは気がついた。小屋の金網、低い位置に穴が開いていた。

 ゆっくりと近付き、しゃがむ。

 金網の断面に、毛玉が引っかかっていた。

 キツネ色の毛玉。

 サナはそれを指先でつまみ、臭いをかぐ。

 よく知っている臭い。これは、

 ニワトリを殺したのは、キツネだ。キツネが小屋に入り込んだのだ。

 確信を得た瞬間、サナの口の中に、血の味と、羽毛が刺さる感触がよみがえる。

 キツネは、ニワトリを、食べてしまいました。

 サナは走り出した。

「サナちゃん、どこいくの?」

 リンコの泣きそうな声が聞こえたけど、返事をする余裕はなかった。


 校舎の裏までやってきた。

 周囲には誰もいない。少し安心した途端に、サナは込み上げて来るものを我慢しきれなくなった。

 嘔吐した。

 さっき食べたもの、コンがつくってくれたお弁当が、口から、鼻から、ただ汚物となって地面に吐き出される。

 口の中に生臭い味が広がる。

 何度も嘔吐して、もう吐けるものがないのに、胃は中身を吐き出させようと痙攣している。

 惨めさ、気分の悪さ、それからコンへの罪悪感で、涙が出てきた。

 そのとき、ふと頭に違和感を感じた。

 恐る恐る、自分の頭をなでてみる。やわらかい、三角形に指先が触れた。頭に二つ乗っかっている。

 耳だ。キツネの耳が出ている。

 何度も何度も頭を触る。間違いない。耳が出ている。

 引っ込めなきゃ。

 いつもなら、耳の出し入れなんて簡単にできる。なのに、なんどやってみても引っ込まない。いや、そもそも耳ってどうやって隠すんだっけ。考えれば考えるほどわからなくなる。

 そうしているうちに、お尻のあたりに違和感を覚えた。

 もしかして。

 しゃがんで、スカートの中に手を入れてみる。

 下着を押しのけて、尾てい骨の辺りから軟らかいものが生えている。

 尻尾だ。

「どうしよう」

 焦りだけが積もっていく。どうしても、耳も尻尾も消えない。

 尻尾はスカートで見えないかもしれない。でも、耳はどうしたらいいのかわからない。

「どうしよう、どうしよう」

 本当に、焦りだけがつのり、これからの取るべき行動がなに一つ思い浮かばない。

 そのときだ。

「見つけた。サナちゃん」

 後ろから、声がした。

 見つかった。心臓が、大きく跳ねる。

 ゆっくりと振り返る。そこにいたのは、白衣を着た若い女性――保健室のチエミ先生だった。

「あの、これは、その」

 サナは慌ててキツネの耳を手で覆った。

「あの、あの……」

 ごまかさなきゃ、と思いながら言葉が出てこず、口をパクパクと動かす。

 そんな様子を見ながら、チエミは微笑んだ。

「気分、悪くなっちゃったんでしょ?」

 チエミ先生はそういって白衣を脱ぐと、サナの頭の上からかぶせた。

「保健室おいで」


 チエミ先生はぴったりとサナの肩を抱き寄せ、廊下を歩く。

 途中、出会った何人かのヒトに「どうして服をかぶってるの」と尋ねられた。

 全てサナの代わりにチエミ先生が「風邪引いちゃってね、寒いんだって。だから、こうやって温めてるの」とこたえていた。

 白衣は、見事にサナの耳を隠し、保健室に到着した。

 チエミ先生はサナの頭に被せた白衣をとった。

「その、この耳は……」

 サナがなにかいいかけると、それをさえぎるようにチエミ先生は水道を指差す。

「口の中、気持ち悪いでしょ?」

 サナは小さくうなずき、水道でうがいした。

「鼻は?」

 チエミ先生がテッシュを差し出し、それで鼻をかんだ。

「そこ座って」

 サナは指示通り、ベットに座る。

 チエミ先生の手が伸びてきて、サナの額に触れた。

 その途端、サナの脳内に映像が浮かんで来た。


「然らば汝の心の清明はいかにして知らむ」

「おのもおのも誓ひて子生まむ」

 衣はかま姿の男性が二人、むかいあって立っている。

 いや、一人は大柄の男性だが、もう一人は男性のような格好をした女性だった。

 男性は腰に携えた剣を抜くと、女性に渡す。

 女性は、軽々と剣を三つに折り、近くにあった井戸の水をかけると、口に入れ、バリバリとかみ砕いた。

 そして、女性はフッと息を吐く。

 キラキラと輝くその息はみるみる姿を変え、三人の少女となった。


 サナは、我に返った。サナはいったことがないから詳しく知らない。でも、間違いない。今の景色は神の国、高天原だった。

「ちょっと熱あるかも。測ってみて」

 チエミ先生はサナにデジタルの体温計を差し出す。

 サナは胸元のボタンをはずし、脇に体温計を差し込んだ。

「先生は、神様なんですか?」

 サナは尋ねると、チエミ先生は優しい笑顔を浮かべた。

「いつもお役目ご苦労様。この前、山で会ったね」

 そういわれて、はじめて気がついた。

 春休み、ハルタという男の子と山に登った。途中でハルタの体調が悪くなった。そのとき、助けてくれた女性。それはチエミ先生だった。

 あの時と少し雰囲気が違うから気がつかなかった。

「あの時は、ありがとうございました。神様だってことは気付いたんですが、お名前まではわからなくて……」

「いいの、いいの。サナちゃんとは一回会ってるんだけど、あのときサナちゃん三歳だったもんね。覚えてないよね。でも、保健室のセンセ、三木橋チエミ。それでいいよ」

 そのとき、体温計がピピッと音をたてた。

「はい、見せて」

 サナは体温計を抜き取り手渡す。

「三十七度八分。ちょっと熱っぽいかな? 早退しよっか。お家、誰かいる? 電話して迎えに来てもらお」

「……ごめんなさい」

「いいのよ。無理しちゃ駄目。寝てて」

 チエミ先生はそういってサナの肩を持つとベットに寝かせ、保健室を出ていった。

『あら、アカリちゃん、リンコちゃん』

 廊下から、チエミ先生の声が聞こえた。

『あの、サナちゃん保健室に来てますか?』

 これは、リンコの声だ。

『うん。ちょっと熱があるみたいだから、早退するね』

『大丈夫なんですか?』

 今度は、アカリの声だった。

『平気よ。ちょっと疲れてたんじゃないかな? でも、今寝てるから、そっとしておいてくれる? 二人とも、ありがとね』

 結局、アカリもリンコも保健室に入ってくることはなかった。

 サナは頭まで布団をかぶった。


 ほどなくして、母が迎えに来てくれた。

「さ、帰ろ、サナ」

 母は家から帽子を持ってきてくれた。

「お久しぶりです。サナが、ありがとうございました」

 そして、母はチエミ先生に深々と頭を下げた。

「いいんですよ。ウカちゃんの代わりに、こういう時のために、私がいるんですから」

 チエミ先生は笑ってそういった。

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