第3話 新たな季節の話

 桜は美しい。

 あの花を見ると、みんな綺麗だといいます。

 そう、みんなそういうのです。

 例えば仮に、「桜が美しくない」というと「変わってるね」といわれるでしょう。

 それが、悪なのです。

 みんなと同じじゃないといけない。

 自分の理解の及ばない物を排除する。

 その想いが、あのヒトを傷つけ、苦しめている。

 私はあのヒトを救いたい。


 四月の上旬。

 谷間の町は春を迎え、桜の花が咲き誇っていた。

「お母さん、学校、いってみようと思う」

 サナがそういいだしたのは、昨日のことだった。

 新学期初日。

 教室に入るなら、いいタイミングだ。

 新学期初日じゃない日はいっぱいある。でも、新学期初日は一年に三日しかない。

 サナだって、いっぱい考えた。いっぱい悩んだ。

 教室に入るのは恐い。

 でも、乗り越えなきゃって思う。

「うん。わかった」

 母は、短くそういって、学校に通うために必要なものを用意してくれた。いや、はじめから用意してあったけど、サナの目に触れない場所に隠してあったのだ。サナが、学校にいかなきゃ、って悩まなくていいように。

「ありがと、お母さん」

「辛くなったら、早退してもいいから、いつでも帰っておいで」

 母は、優しくそういった。

「なんやったらついていこか?」

 コンはそういってくれた。

「ううん。大丈夫」

 でも、サナはそういった。

 そして今、サナは学校への道を歩いている。

 一年生のときに通っていた道。一度、京都の学校へ転校して、三年ほどむこうの学校に通って、五ヶ月前、また帰ってきた。

 京都から帰ってきて、両親は転校の手続きをしてくれた。だけど、サナは一度も登校することはなかった。

 京都の学校での出来事を、みんなは知らない。

 京都の学校へ転校する前は、いや、転校してからも、あの出来事までは毎日が楽しかった。

 大丈夫かどうかはわからない。でも、大丈夫。サナは何度も自分に言い聞かせた。

「サーナちゃーん」

 後ろから、駆け寄ってくるヒトがいた。一つ年上の幼なじみのセリカだった。サナがキツネでああることを知っている数少ない人間でもある。

「サナちゃん、ランドセルってことは、学校来るの」

 セリカはサナの近くで立ち止まる。

「うん。いってみようと思う」

 サナの口調には、緊張がにじみ出ていた。実際、サナは先程から普段よりずっと心拍数が高かった。手も微かに震えている。

「そっか。無理しないでね」

 サナは小さくうなずいた。


 学校に着いた。

「じゃあ、六年生の教室にいるから、なにかあったらいつでも来てね」

 下駄箱の前で靴を履き替え、セリカは教室に、サナは職員室にむかった。学校の構造は忘れたつもりだったのに覚えていた。

「もしかして、サナ? サナだよね」

 廊下で、声をかけてきたヒトがいた。

「へ、えっと」

 それは、サナと同い年の少女だった。名前は高森アカリ。一年生のときはよく一緒に遊んだ。

 もちろん、その頃とは、顔も、雰囲気もずいぶん大人に近付いている。だけど、間違いなくアカリだった。

「サナだよね、ずいぶん雰囲気変わったね」

 サナはなんてこたえようか考える。決して、アカリが嫌いなわけじゃない。むしろ覚えてくれていたこと、声かけてくれたこと、嬉しかった。

「あの、えっと……」

 なんでだろう。前は仲が良かったのに、今、言葉が出てこない。

「何ヶ月か前に帰ってきてたんでしょ? でも、学校に来られないって、コウちゃんがいってた。病気かなにか? もう大丈夫なの?」

 コウ、というのはサナの弟だ。この学校に通っているし、アカリとも面識がある。

「うん。大丈夫」

 サナが短くこたえると、アカリは一気に笑顔になった。

「そっか。教室いくの?」

「ううん。職員室に来るようにって」

 アカリは何度かうなずく。

「そっか。じゃあ、先に教室いってるから」

 そういって、走っていった。

 アカリの姿が見えなくなると、サナは胸をおさえた。ドキドキいっている。アカリと上手く話せなかった。

 アカリ、嫌な思いしてないかな? 嫌われてないかな?


 職員室で、担任のマサヒコ先生に会った。先生はサナが京都で暮らしていた時期に赴任してきた。だから、家庭訪問以外、学校で会うのははじめてだ。

 先生から、今日の予定などを大まかに聞いた。

 職員室には、当然沢山の先生がいるのだが、その中に一人、若い女の先生がいた。白衣を着ているから、保健室の先生か、理科の先生だろう。

 しきりにサナと目が合った。


 チャイムが鳴ると、マサヒコ先生と一緒に、五年生の教室の前までやって来た。

「ちょっと待ってね」

 そういって、先生は教室に入っていった。

 廊下に一人、残されたサナは周囲を見渡す。

 この廊下も、窓からの景色も、懐かしく感じる。

 あの頃は、学校に通うことになんの不安もなかった。

 窓枠と背比べ。ああ、知らない間に、身の丈も伸びたんだな。

「長尾さん、入って」

 先生は顔だけ廊下に出していった。

 サナは教室に入る。クラスメートは全員で十数人。その視線が一斉にむけられる。一気に記憶がよみがえる。顔を見ると、名前が浮かんでくる。しかし、一人どうしても名前がわからないヒトがいた。女の子だ。忘れてしまったのだろうか、とも思ったけれどきっと違う。一年生の頃にはいなかったヒトだ。

 先生は黒板に『長尾 咲花』と書き、その横に『ながお さな』とかなをふった。

「覚えてるヒトもいると思うけど、一応自己紹介してくれる?」

 サナは小さくうなずく。

「長尾サナです。一年生のときは、この学校に通っていて、一度、京都に転校したんですが、また帰ってきました。よろしくお願いします」

 そして、ペコリと頭を下げた。

「サナ、お帰り」

 大きな声でいったのは、アカリだった。

「長尾さんの席はあそこ」

 先生が指差したのは、例の名前のわからない女の子の横だった。

 サナはその指定された席に座る。

「あの、私、リンコ。亀井リンコ。よろしくね」

 女の子――リンコはそういった。

「うん。よろしく」

 サナは短くかえした。

 始業式のために、サナたちは体育館へむかう。

「サナはリンコのこと知らないよね」

 廊下を歩きながら、アカリがいった。

「えっと、一年生のときにはいなかった、よな」

 サナが控えめに訪ねると、リンコは小さくうなずく。

「うん。私、去年この町に引っ越してきたの。前は東京で暮らしてた。サナちゃんはどうして戻ってきたの?」

 サナはこたえに困った。

 神に使える神獣として、より高位の術を稲荷大社に学びにいっていた。でも、上手くいかなくて帰ってきた。

 などと、いえるはずがない。

「そういえば私も、サナが転校した理由も、帰ってきた理由も、聞いたことない」

 そういったのは、アカリだった。

「えっと、その……」

 サナが口ごもるとリンコがいった。

「お父さんかお母さんの仕事の都合とか?」

「うん……そう」

 アカリが嫌いなわけじゃない。リンコはきっと、いいヒト、だ。なのに、ウソをついてしまった。ただ、上手くいかなかった、といえばよかっただけなのに。


 始業式は、いたって普通だった。

 校歌を歌って、校長先生の話があって、赴任してきた先生の紹介があった。

 さっき、職員室で目が合った白衣の女性の先生は、保健室の先生だった。

 名前を、三木橋チエミといった

 自己紹介を済ませたチエミ先生は、そのまま健康に関する注意を話した。これから、夏に向けて暑くなってなっていくから、熱中症や脱水症状に気を付けるように、と。

 壇上で話しているときも、チエミ先生は頻繁にサナを見ていた、気がした。


 始業式の後、教室の掃除をして、今日は午前中でおしまいだ。

「ね、ね、ね。これからさ、サナの家いっていい?」

 ランドセルを背負ったサナに、アカリはそういってきた。横にはリンコもいる。

 サナはちょっと考える。

「ごめん、今日はちょっと……」

 まだ、家に来てもらうのは怖い。親密になるのが怖い。

「そっか。じゃあ、また今度ね」

 アカリは笑顔でそういった。リンコもうなずく。

 嫌な思いさせちゃったかな? サナはそっと胸に手をあてた。


 アカリもリンコもサナとは方向が違う。二人とは、校門で別れた。

 家への道を歩く。

「サナちゃーん」

 後ろから、走って追いかけてくるヒトがいた。セリカだった。

「サナちゃん、今日、どうだった?」

 サナとセリカは並んで歩きはじめる。

「うん。あんまりなんにも変わってなかった」

「そっか。ずっと通ってると、あそこの木が切られちゃったとか、コンピューター室のパソコンが新しくなったとか、いろいろあるんだけどな」

 サナは小さくうなずく。

「そうかも。でも、変わってないように見えて、ちょっと安心した。私のこと覚えてくれていたヒトもいたし」

 セリカは嬉しそうに笑った。

「うん。変わってないのも、いいね。ところでサナちゃん、これからお店にいくの?」

「うん。セリカも来るか?」

 セリカは残念そうに首を横に振った。

「ごめんね。今日、ヒトミさんが病院にいく日で、私もついてくの。最近、ちょっとお腹が膨らんできてね、そろそろ、エコーで赤ちゃんが見えるかもって」

 セリカは、嬉しそうにそういったあと、こう付け足した。

「コンさんによろしくね」


 セリカと別れたサナは家へは帰らず、直接『和食処 若櫻』へやって来た。

「おかえり」

 コンはいつもの笑顔でそういった。

「うん。ただいま」

 サナはカウンター席に座り、足下にランドセルを置く。

「ココア飲む?」

 コンが尋ねると、サナはうなずいた。

「ガッコ、どやった?」

 マグカップを準備をしながら、コンは尋ねた。

「通えそう。たぶん」

「そっか。無理せんときや」

 コンの言葉に、サナはうなずいた。

「サナちゃん、給食はどうすんの?」

 マグカップに少量の牛乳を入れ、電子レンジで温める。

「お弁当、持っていくことになってる」

「そっか。私がつくろか?」

 温まった牛乳に、ココアパウダーを入れ、かき混ぜながら融かす。

「いいの?」

「ええで」

 最後に、カップいっぱいまで冷たい牛乳を入れて完成だ。

「サナちゃん、お肉と、お魚と、卵がダメなんやっけ」

 コンはココアの入ったカップをサナの前のテーブルに置いた。

「うん。ごめんな、コン。私が食べられないものが多くて」

 サナはうつむく。

「いいんやで。ご飯は、おいしく食べよ。お弁当、いつから?」

「明日から」

 コンは小さくうなずく。

「わかった。楽しみにしといてや」


 あのヒトですら、私の存在を知りません。私が一つの独立した魂であることに、気付いていないのです。

 そんな私が体を手に入れたのは、完全に偶然でした。

 あのヒトにそっくりの外見。

 これならきっと、あのヒトを救うことができる。

 私は知っています。

 あのヒトの涙も、苦しみも、痛みも。

 だって私はあのヒトの一部なのですから。

 いこう。あのヒトの元へ。

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