第2話 ハイキングの話 後編

 公園の裏に、ひっそりと山道の入り口がある。サナとハルタとリリィは山に入った。

 動物よけに設けられた電気柵に触れないように、サナとハルタ、それからリリィは山道を歩く。

「大丈夫か?」

 看板の雰囲気はごく軽いハイキングコースのようだが、実際にはかなり傾斜が急な道が続く。サナは前を歩くハルタに声をかけた。

「うん……大丈夫……」

 ハルタは早々に息をきらせながらいった。


 途中で、何度も何度も立ち止まりながら、なんとか途中の休憩所に到着した。

「おい、大丈夫か?」

 ハルタはベンチに座り、息を切らせている。サナの声にこたえる余裕もないようだ。

「ちょっと、休憩しよっか」

 サナはハルタの横に座った。

 鳥のさえずり、風が揺らす草と木々の音。遠くに駅を発車する列車の汽笛。サナはゆっくり、息をはいた。


『サナちゃん、久しぶり』


 様々な音に混ざって、女性の声が聞こえた気がした。サナは周囲を見渡す。しかし、声の主は見つからない。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

 ハルタはサナを見つめていた。

「いや……なんでも」

 ハルタは一度、深呼吸した。そして、深刻な面持ちでこういった。

「ボクね、リリィとケンカしたんだ」

「ケンカ?」

 サナが訊き返すと、ハルタはうなずく。

「うん。親戚のおじさんがね、ランドセルを送ってくれたことがあったの。小学校に上ったら、使ってって」

 サナは黙ってうなずく。

「でも、箱に入れたままにしてたんだ。そしたらある日、リリィが小学校が楽しみじゃないのって、尋ねてきてボクいったんだ。入学式まで生きられるかわからないって。そしたらリ

リィ、泣きながら自分の部屋に戻っちゃって」

 ハルタは小さな声でいった。

「それが、リリィと最後に喋ったことだったんだ。そのあとすぐ、リリィは体調が悪くなって、ボクは会わせてもらえなくなって、それで、死んじゃったから……」

「ハルタ、信じるかどうかはお前次第だけど、リリコはお前のこと、少なくとも嫌ってはいないぞ。私はリリコと喋っていて、そう感じた」

「ありがと、サナお姉ちゃん」

 ハルタ立ち上がる。

「もう、大丈夫。いこ」

「うん。わかった」

 サナたちは、再び出発した。

 休憩所を出発しても、険しい山道は続く。

 ほどなく、ハルタはまた苦しそうに荒い呼吸になる。

「大丈夫、リリィと約束したんだ。一緒に山に登って、町を見おろすって」

 サナはハルタの体を後ろから押した。

「これで、少しは楽になったんじゃないか?」

 サナに押されながら、ハルタは急斜面を登っていく。その後ろを、コンとリリィがついていく。

「リリィ、ボクのこと……なにか……いってた?」

 息をきらせながら、ハルタがいった。

「友達って、いってたぞ」

 サナも、ハルタを押しながらこたえる。

「ボクね、泣き虫で、弱虫で、自分がすぐに死んじゃうって思ってた」

「うん」

「でも、死んじゃったのは、リリィの方だった」

「うん」

「決めたんだ。リリィにボクは大丈夫だよって、いえるようになろうって」


「とうちゃーく」

 コンとリリィは山頂に到着した。途中、一切休憩をとらずにきたが、全く疲れていない。幽霊になってから、精神的な疲れはあっても、体の疲れは感じたことがない。体がないのだから当然だ。

「ハルタたち、まだ来てないみたいだね」

 山頂には、昔、城があったらしい。今は石垣だけが残っている。二人は並んでそこに腰掛けた。

 今、この場にサナとハルタはいない。そして、ここに来る途中で追い越すこともなかった。どうやらサナたちは、コンたちとは別の道でここにむかっているようだ。

「ハルタ、ちゃんと来られるかな?」

 リリィは地面に届いていない足を、ブラブラと揺らす。

「信じて、待ってみよか」

 コンの言葉に、リリィはうなずく。

「あんね、コンお姉ちゃん、リリィね、まだいってないことが一つ、あるんだ」

 リリィは胸に手をあてた。

「リリィね、しばらく入院してたら、また、頭が痛くなってきて、いつの間にか寝てることもあって、きっともう死んじゃうんだなって思ったの」

 コンは小さくうなずいた。コンは包丁で刺され、死ぬ間際まで、死にたくないって思った。だから、死を受け入れる感覚は今なおわからない。

「だから、ママにお願いしたの。リリィが死んだらね――」

 その内容に、コンは驚いた。


 ハルタは、荒い呼吸で足を動かし続ける。

「大丈夫か?」

「……大丈夫……だい」

 ハルタは胸は抑え、うずくまる。

「お、おい。どうしたんだ」

 ハルタは荒い呼吸で、サナの声にこたえない。

「ハルタ、もしかして……心臓が」

 サナはしゃがんでハルタの顔をのぞく。顔色が悪く、苦しそうに表情をゆがめる。

「違う。心臓は大丈夫なんだ。でも、お薬を飲んでないから。でも、大丈夫…ボクはもう、大丈夫。大丈夫なんだ」

「どう見ても大丈夫そうには見えないぞ」

 サナは考える。ハルタを背負って下山できるだろうか? しかし、それしか選択肢がない。こんなときに役にたちそうな術を、サナは知らない。

「下りよう。乗れ」

 サナはハルタに背中をむける。

「駄目、登らないと……リリィとの、約束だから」

 絞り出すように、ハルタがいった。

「無理だ、下りよう。また今度、登りにこよう。私も、一緒に来るから」

 サナは諭すようにいった。

「ボクは、ボクは……」

 ハルタの目から涙がこぼれる。それが体調不良の苦しさから来るものなのか、登頂できないことに対するくやしさから来るものなのかはわからない。

 そのとき、サナの横にヒトが立つ。足音も、気配も、一切感じなかった。本当に、突然現れた。

 そのヒトは、二十代くらいの女性だった。色鮮やかな和服を着ていて、穏やかな笑顔を浮かべている。

「こんにちは。ちょっと助けてあげる」

 女性は、そういってハルタの頭に手を置いた。

「……あなたは」

 サナの呟くような声に、女性は笑顔で応えた。

「まだ、馴染んでないのね。苦しかったね。もう、大丈夫だからね」

 女性の手が、フワリと光りはじめた。

 そして、ハルタの呼吸が徐々に穏やかになる。

「じゃあね、もうちょっとで山頂だから、頑張ってね」

 女性はそういい残して、空気にとけるように消えていった。

「なんだか、楽になった。いけそうだよ、お姉ちゃん」

 ハルタは、立ち上がった。

「今のって……」

 サナは、小さくつぶやいた。


 山頂に、サナとハルタはやって来た。

「ハールタ―」

 その姿を見るなり、リリィは、石垣から飛び降り、ハルタに駆け寄った。

「すごい、ハルタ来たんだ。ホントに来られたんだ」

 リリィは嬉しそうに、その場で何度も飛び跳ねる。

「リリィ、来たよ。約束通り」

 ハルタは、町が見下ろせる場所まであるいていく。

「あのね、ママに聞いたんだけど、ボクの心臓はね、リリィにもらった物なんだ。リリィはね、死ぬ前、ボクに心臓をプレゼントしたいってくれたんだって」

「移植手術を受けたんだ……」

 サナの言葉に、ハルタはうなずく。

「やったぁー」

 リリィは大声でそういうと、全力でジャンプした。

「やったぁ、リリィの心臓、お願いした通りハルタにプレゼントできたんだー」

 ハルタは一度、深呼吸する。

「リリィ、どうせ死んじゃうなんていって、ごめんね。ボク、頑張るよ。学校にいって、いっぱい勉強して、いっぱい運動して、いっぱいお友達つくるよ」

 ハルタはおもいっきり息を吸い込む。

「生きるよー、リリィ!」

 そして、力一杯、町にむかって叫んだ。

 すると、リリィも負けじと息を吸い込み、叫ぶ。

「生きてー、ハルタ!」

 サナとコンはその様子を微笑みを浮かべて、見つめていた。

 ふと、サナの視界のすみに女性の姿が入ってきた。さっきの、色鮮やかな和服を着た女性だった。

 サナは女性に深々と頭を下げた。

 女性は、笑顔で手を振ると、また、消えていった。

「サナちゃん、どしたん?」

 コンは不思議そうな表情を浮かべている。

「ううん。なんでもない」


 しばらく休憩したあと、ハルタはサナが家まで送っていくことになった。

 下山していくハルタの姿が見えなくなると、コンとリリィは並んで石垣に腰かける。

 コンは鞄から弁当箱を取り出し、リリィに渡した。なかにつまっているのは、おにぎりだった。

「それを食べると、リリィちゃんは死者の国へ送られて、もう戻ってこられんようになる」

 コンが説明すると、リリィは大きくうなずき、おにぎりを頬張った。

「美味しい。コンお姉ちゃん、お料理上手なんだね」

「おおきに。そうゆうてもらえんのが、嬉しいわ」

 リリィがおにぎりを食べ進めてるにつれて、徐々にその体は透けていく。

「ハルタは弱虫泣き虫だから、学校にいっても、ちょっとしたことですぐに泣いて、落ち込んじゃうんだろうな。でも、大丈夫だよ」

 リリィは半透明な姿で、遠くを見つめる。

「でも、大丈夫。ハルタは大丈夫だよ」

 そして、リリィは消えていった。

「リリィはそこにいるよ。ずっとずっとハルタの中に」

 最後に、声だけが聞こえた。


 同じ頃、京都の稲荷大社。幾千もの鳥居をくぐったその奥には、結界に守られた、神とその使いの神獣しか立ち入れない場所があった。畳が敷かれたその場所に、高校生くらいの少女が座っていた。

 少女の肌の露出が多い服、染めたものだとわかる金髪に、濃いめの化粧。そう、いわゆる、ギャル、であった。

 しかし、彼女こそ稲荷神と呼ばれ、多くの信仰を集めるウカノミタマノカミそのものだった。

 ウカの前にはちゃぶ台があり、そこには一枚の紙が置かれている。『始末書』とタイトルが印刷されていて、その下は真っ白だ。

「ねぇ、ラクちゃーん、代わりに書いてー」

 ウカはその場に寝そべると、そんなことをいった。

「人形を失くされたのは、ウカ様です」

 近くにいた、小学校高学年くらいの少女は冷めた口調でいった。人間に見えるが、彼女も神の使いのキツネ、名前をラクといった。

「っていうかさぁ、高天原も厳しすぎるのよ。たかが人形一個、失くしたくらいで始末書なんてさ」

 ラクは大きなため息をついた。

「ウカ様、たかが人形とおっしゃいますが、全身三六〇箇所の球体間接を持つ、完全稼働の人形ですよ。普通に原型師さんにつくってもらったらいくらかかるかわからない、超高級品ですよ」

 ラクが早口でいうと、ウカは意地悪な笑顔を浮かべ、上半身を起こす。

「あれ~、ずいぶん詳しいじゃない。もしかして、ラクちゃんって、人形とフィギュアとか、大好きで、部屋に一杯コレクションがあったりするのかなぁ?」

 ラクは顔を赤くし、勢いよくいいかえす。

「お役目のために必要なことだから、知ってるだけです。ヒトをヲタクみたいにいわないでください」

「私は別に、ラクちゃんがなにが好きでも構わないわよ。『オタク、キモっ!』とかいわないから」

 ラクは一度、大きく咳払いした。

「いいですか、ウカ様。あの人形は、魂の器としてつくられてます。中に入った魂の形に合わせて姿を変え、生きているヒトたちと触れ合うことができる。その辺の幽霊にわたったらどうです? 周囲には、そのヒトが生き返ったように見えてしまうんですよ。大騒ぎになっちゃいます。むしろ、始末書だけで済んでよかったって考えるべきです」

 ウカは観念したように、大きくのびをする。

「さて、始末書書くか」

 そして、ちゃぶ台にむかいはじめた。

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