コンと狐と花咲く幻想人形(コンと狐とSeason2)
千曲 春生
第1話 ハイキングの話 前編
ある病院の小児科。
廊下に、一人の男の子が倒れ、泣いていた。
小学校にも上がっていないような、幼い男の子だった。
立ち上がる気配がなく、泣いていた。
「どう、したの?」
声をかけたのは、一人の女の子だった。男の子と同じくらいの年で、電動車いすに座っていた。
「こけた。膝うった。痛い」
男の子は、泣きながらそういった。
「立てない、の?」
「うん」
女の子は悲しそうな表情を浮かべる。
「ごめん、ね。私は、あなたの手を握って、立たせてあげられ、ないの。だから、自分で立って」
その途端、男の子はワッと泣き出した。
「無理だよぉ! 痛いよぉ!」
その声を聞きつけた看護師が、やってきた。男の子を抱え、立たせる。
女の子は、寂し気にその様子を見ていた。
鳥取県
西日本としてはかなりの豪雪地帯にあるこの町も、さすがに四月ともなれば冬の雰囲気はすっかり消え、フワリと春の香りがあふれる。
駅から少しばかり歩いたところに、その店はあった。
『和食処 若櫻』
そんな看板が掲げられ古びた和風なたたずまい。もう長いこと商いをしているような雰囲気ではなく、事実、店の扉には、準備中、の木札が掛かっていた。
しかし、店内にはヒトがいた。
「はい、どうぞ」
厨房に立っていた中学生くらいの少女は、ココアが注がれたマグカップをカウンター越しに差し出す。
少女の左頬には大きな火傷の跡があり、左目は白く濁っていた。
彼女の名前はコンといった。
「ありがと」
カウンター席に座っていた女の子が、カップを受け取る。コンに比べると、やや幼く見える、小学校高学年くらいの女の子だった。
女の子の手元には、鉛筆と、消しゴム、多量の消しゴムカス、そして漫画の原稿用紙があった。
この女の子の名前は、サナといった。
「調子はどう?」
コンが尋ねると、サナは原稿の横にカップを置いて首を横に振る。
「なんだか、イメージがわいてこないんだ。このところ、ずっとそう」
サナは力なくいった。
「そういえば、私、サナちゃんの漫画って読ましてもらったことないんやけど」
コンはニコニコと笑顔を浮かべている。
「コンにも、いつかは読んでもらいたいって思ってるんだけど……」
「けど?」
「一番の自信作、手元にないんだ。京都にいたときの家に置いてきちゃって、むこうの家のヒトが探してくれたんだけど、見つからなかったって」
「そっか。じゃあさ、その最高傑作を越えるやつ描けたら、読ませてよ」
「うんっ!」
サナは大きくうなずく。その拍子に、手がガグカップにぶつかり、原稿にココアがぶちまけられる。
「あー」「あー」
サナとコンは同時に声をあげた。
「サナちゃん、これ」
コンは急いで原稿と、その周囲のカウンターを拭く。
「ああ、原稿が……」
声をあげたのは、コンだった。原稿はすっかりココア色に染まっている。
「まあ、しょうがないよ」
サナはあっさりとした口調でいった。
原稿をゴミ箱に捨てようと立ち上がったときだ、入り口に一人の女の子が立っているのが目に入った。サナよりもさらに幼い、小学校低学年くらいの女の子だ。
「子供……」
コンはつぶやく。
カラン。
店の扉につけたベルが鳴った。
「ここ、どこ?」
女の子は興味深そうに、キョロキョロと周囲を見渡す。
「いらっしゃい。好きな席に座って」
サナはいった。
女の子は、カウンター席――サナがさっきまで座っていた席の横の席に座る。
「ここ、ごはん屋さんなの?」
女の子が尋ねると、コンはうなずく。
「うん。あのな、その……あなたは、死んじゃってん。ここは、死んだヒトが来お店やから……」
コンは、落ち着いた静かな口調でいった。
女の子は胸に手をあてた。
「ホントだ。ドキドキがない。じゃあ、ここがあの世なの?」
コンはゆっくりと首を横に振る。
「ううん。ヨモツクニ――あの世へいくためには、ここにある釜でつくったご飯を食べんとあかんねん。でも、もしもその前にやりたいことがあるんやったら、私たちお手伝いすんで。あなたの“想い”を果たすために」
「ハルタに会いたいっ!」
女の子は間髪入れずにいった。
「ハルタ?」
サナが首をかしげる。
「うん。ナカバル・ハルタ。リリィのお友達。あ、私、石橋リリコ。リリィって呼んでね」
女の子――リリィは元気よくいった。が、一気に失速する
「でも、リリィ、ハルタの家知らないの」
コンはちょっと考えたあと、こういった。
「じゃあ、とりあえず町に出てみよか」
コンがいうと、リリィは大きくうなずいた。
「ありがと、ええっと……」
「私はコン」
「私はサナ」
「ありがと、コンお姉ちゃん、サナお姉ちゃん」
ナカバル・ハルタに会いたい。ナカバル。聞き覚えのない苗字だ。どんな漢字なんだろう。サナはそんなことを考えていた。
コンは金属製のかまどで米をたくと、それをおにぎりにして、弁当箱に詰め、鞄に入れた。
ハルタの家を、手分けして探すことになった。
サナと別れて、コンとリリィは町を歩く。
「へー。コンお姉ちゃんは幽霊で、サナお姉ちゃんはキツネなんだー」
「うん。そやから、私もリリィちゃんも、周りのヒトから見えてへんし、喋ることできひんから、気を付けてな」
リリィはコンを見ないで「うん、わかった」といった。
「でも、嬉しいな」
リリィは軽くスキップする。
「嬉しい?」
訊き返すと、リリィはうなずいた。
「うん。リリィはね、突然ものすごく頭が痛くなって、割れちゃうんじゃないかってくらい痛くなって、目の前が真っ暗になって、気がついたら病院だったの。片っぽの手と、片っぽの足が動かなくなってて、言葉も上手く喋れなくて、それからずっと車椅子に乗ってたの。だから、こうして走ったり、飛んだり、楽しいな」
リリィは確かめるように、何度も跳び跳ねる。飛んで、跳ねて、クルリと回る。
「そっか。ところで、そのハルタくんって、なにか手がかりとかないん?」
コンが尋ねると、リリィは一気に意気消沈。
「うん……ハルタとは病院で会っただけなの」
どうしたものか。コンは考える。
その頃、サナは公園の横を歩いていた。廃校になった小学校のグラウンドを転用した公園だ。
ふと、視界に、一人の男の子が入ってきた。子供用の、それでも男の子の体には大きすぎるリュックサックを背負っている。
「ハルタって、あのくらいの男子なんだろうな」
サナがつぶやいた、そのときだ。
ビッターン!
男の子はなにかにつまずき、こけた。
サナは周囲を見渡すが、助けてくれそうなヒトはいない。
男の子は、一向に立ち上がる気配がない。
「おい、大丈夫か?」
サナは男の子に駆け寄った。
「立てるか?」
手を差し伸べると、男の子はその手を掴んで立ち上がった。
男の子の膝には、小さな擦り傷があって、血が出ていた。足が微かに震えている。
「ちょっとおいで」
サナは男の子を近くの東屋にあるベンチまで連れていくと、持っていた絆創膏を膝のすり傷に貼った。
「ありがと、お姉ちゃん」
男の子は涙目になりながら、そういった。
サナの目に、男の子のリュックサックがとまった。そこには、名前が書かれていた。
なかばる はるた
中原 晴太
「お前、ハルタか?」
「え、あ、うん。ボクのこと、知ってるの」
サナはちょっと考えてから、こういった。
「リリコが、いってたんだ。ハルタのこと」
男の子――ハルタは驚いた表情を浮かべる。
「お姉ちゃん、リリィを知ってるの?」
「うん。ちょっと知ってて。ハルタはどこかへいくのか?」
サナは尋ねた。
「山に登ろうと思ったんだ。リリィと約束したから」
「約束?」
「うん。退院したら、二人で登ろうって、約束したんだ」
サナは「そっか」というと、周囲の様子をうかがう。
「誰もいないな」
ポケットからメモ用紙とボールペンを出した。そして、メモ用紙になにか短い文を書き込むと、その紙を折りはじめた。
「お姉ちゃん?」
ハルタは不思議そうにその様子を見る。
瞬く間に完成したのは、折り鶴だった。サナが折り鶴にフッと息を吹き込むと、それはまるで生き物のように、パタパタと翼を羽ばたかせ、どこかへ飛んでいった。
「なにこれ? すごい。どうやったの?」
「ちょっとした手品だ。気にするな」
サナは適当な調子でそういった後、こう続けた。
「私も、ついていっていいか?」
「ハルタくんとはお友達やったん?」
歩きながら、コンは尋ねた。
リリィはちょっと考えて、こういった。
「うん。きっとそう。はじめて会ったときね、ハルタはね、病院で倒れてたの」
「倒れてた?」
「うん。廊下にベターンって。でね、助けてあげたかったんだけど、できなかったの。リリィ、車いすに乗ってたから。でね、次の日、病室を探して、会いにいったの。助けてあげられなくて、ごめんねって、いいにいったの」
リリィは空を見上げた。
「それで仲良くなった。ハルタはね、泣き虫で、弱虫で、自分がもうすぐ死んじゃうって信じてた。リリィは、それが嫌だったの。だから、元気になって、退院したら山に登ろうって約束したんだ」
「なんで山?」
「リリィは病気で足が動かなくて車いすに乗ってたし、ハルタは心臓の病気で運動ができないっていってた。出来ないことをやろうとする方が、楽しいでしょ?」
リリィの表情が暗く曇る。
「ごめんね、リリィが死んじゃって、リリィが約束を破っちゃって」
リリィにどう声をかけようか、コンが考えていると、一羽の折り鶴が飛んきた。
コンが手のひらを出すと、折り鶴はそこにとまる。
「なぁに、それ?」
リリィが尋ねる。
「サナちゃんからのお手紙やな」
コンは折り紙を広げ、そこに書かれた字を読んだ。
「リリィちゃん、ハルタくん見つかったって。今、サナちゃんと山に登ってるって」
リリィは一気に明るい表情になる。
「いこ、リリィちゃん」
コンがいうと、リリィは大きくうなずいた。
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