【短編】きつねのよめいり

@mibkai

【短編】きつねのよめいり

「……この人と結婚することにしました」


 青年の顔を、男はじろり、と見る。ふん、と笑って、書類を受理し、そしてとなりの女性の顔を見て、ふたたび青年に視線を戻し、言う。


「狐と契るのはおすすめしませんよ」


 ほかの職員が顔をあげ、失礼なことを言うのはやめろ、とたしなめる声が聞こえる。そして、女性は笑って言う。


「いえ、ときどき『そう』言われるんですよ」


 男の目には、狐のように見事な金の髪の女性がうつっていた。本来人の耳がある場所には、耳が無く、頭の上に耳がある女性が。






『きつねのよめいり』






「爺ちゃん。お客さん」


 少年は祖父の部屋に人を通す、ということはよくある。市役所の職員だった祖父は知り合いが多かった。遊びに行くたびに手土産のうまいお菓子のご相伴に預かれて、いつも幸せな思いをしていたものだ。そして。


「おや、坊や。美味しそうだね。食うてやろうかえ」


「やめんと叩き出すぞ」


 その祖父の大喝を聞いて、その『異形』は肩をすくめた。肉がそげ、されこうべが歩いている。ように見えるそれは器用に正座をしてみせていた。


 そう、こんな風な『異形』が時折やってくるのだった。そして、その連中の『手土産』は祖父の手によって庭で焼かれる。一度不満を漏らしたことはあったが、祖父はそのたびにじろりとこっちを向き、やめておけ、と静かに言うのだった。

そのされこうべが居なくなった後に、一人の男性が訪ねてきた。だが。


「帰れ。わしはやめろと言うたぞ」


「いえ、確かにその通りですが、助けてもらいたいのです。長谷川さん」


「自業自得だ。大方お前が浮気でもしたのだ。知らぬ」


 その人のよさそうな、すこし髪に白いものが混ざった、青い絣の着物を着た男に祖父はいつものそれとは違う厳しい声でぴしゃりと言い、戸を閉める。祖父は、やれやれ。とつぶやき、言った。


「付き合いを考えんと『ああ』なるぞ。わしが死んだら、ああいう『知り合い』は家に上げるな。見かけても声をけしてかけるなよ。もし上げてしまったら……わしの机の上から二番目の戸棚を開けなさい。その札でも投げつけてやれ。『縁』が切れる」


 祖父、長谷川武雄は、そう言い切ると、くしゃくしゃと少年の頭をなで、部屋に戻っていく。それからしばらくして、祖父は永遠の眠りについた。祖母は、とうに亡くなっていた。







 少年であった青年は、ふとそれを思い出す。父が遺産相続後、持て余していた家を取り壊す必要に迫られ、父と母が処分しかねていた遺品を整理しに来たのだ。鳳凰の飾りのついた欄間に、祖母と二人で住むには広かったその家を見て、青年こと「長谷川圭」は、人が居なければ荒れるものだ。とささくれだち、ほこりを多分に含んだ空気にくしゃみをした。祖父の放っていた独特な気配はまだ感じられたが、それはすでに希薄である。


 倉には骨董品屋を入れて買い取らせ、ひと段落したそのとき、ごめんください、という声が聞こえた。やれやれ、業者を呼んだかな。と考えて玄関に向かうと、そこには。

 青い絣を着た、少し白いものの混ざった男が立っていた。あの時のまま、寸分たりとも印象を違えず。圭は、声をかける。


「どなたですか」


 そう言うと、男は困惑した様子でこちらを見、そして口を開く。


「長谷川武雄様のお宅でこちらよろしいのでしょうか」


「……祖父はだいぶ前に死にました」


 それを聞いて、男は顔をくしゃくしゃにする。そんな、と言って頭を抱え、うずくまった。圭は、しまった。と考える。祖父は言っていた。


『声をかけるな。目を合わせるな。ああいう『もの』はそうしなければいいのだ。守れるな?』


 そう言っていた祖父の言いつけに反し、圭は男に声をかけてしまった。いや、他人のそら似かもしれない。そう圭は考えていたが、記憶を掘り起こせば掘り起こすほど、確かな一致を覚える。


「たすけていただきたいのです」


 男の哀願に、思わず圭は同情心を覚える。掃除をした祖父の部屋に、男を招き入れ、そして、祖父の机の前に座った。


「私で出来ることであれば、手をお貸しいたします。どういったご用件でしょうか」


 その言葉に、男は口を開く。






 男の名は、加藤左衛門と言った。左衛門とは妙な名だ。と思ったが、事実古風な名ではあり、尋常小学校の時分にはいじめられたとのことではあった。圭はその言葉にひっかかりを覚えつつも、話を聞いて行く。





 加藤左衛門は、この地の生まれだ。ここで生まれ、ここで育ち、そして働きに出た。働きに出た彼は、ひどく酔っ払い、寿司の折を抱えて帰るところであったという。


「もし。そこな方」


 あの娘に声をかけられた。それに振り返ったのが間違いの始まりでございました。とそう彼は言った。彼は続ける。その当時、狐に化かされて寿司を盗まれる、ということがよくあったという。美しい女性の姿をした狐に鼻の下を伸ばしている間に、寿司の折がなくなっている、という寸法だ。噂ではさくらとかそう言った名前であったという。

 ははあ、この女だな、と思ったものである。その女性は、何しろ金色の髪に、金の瞳、そして頭の上には少し白みがかった毛のまじった「狐の耳」が生えていたのである。


 その女性の手をとり、なじみの『蕎麦や』の二階にあがりこむ。そこは泊まりの客もいるような店であった。女性に酒をすすめ、左衛門は実のところ水を飲んでいた。この女狐を懲らしめてやろう。という気になっていたのである。

 くたあ、となり、転げてしまったその狐女を布団です巻きに縛り上げ、その隣で左衛門は寝る。ふふん。と言わんばかりであった。

 朝起きてみると、娘の姿はなく、書置きが残っていた。


『ごちそうさまでした さくら』


 寿司の折も持って行かれ、む、と左衛門はうなった。おのれ、してやられた。そう思って、もう一度とらえてやろうとしたのである。


「そのうちに、お互いに情が湧きましてね。ええ、そのう、結婚する運びとなったのです」


 そう言って男ははにかむ。私は別段「のろけ」話は聞きたくない。本題を聞きたいのだ。と左衛門に圭は言う。

 そして、その女性と結婚し、まあその、私以外には『ただの人間に見えていた』のですが、しばらく経ったあと、いっしょの布団に入っていたのですね。そして、だしぬけに彼女は、さくらは髪を触って言うのです。


「白いものが……」


 そう言って、さくらは、ええ、ちょうど今のような髪になった私に言うのです。まだたった35年とちょっとじゃあないか、と。左衛門は言い、何年生きているのか、とさくらに聞いた。返ってきた答えは、4,500年じゃあないか、という物だった。かわいらしく笑っていた彼女の笑顔の奥に、何があったのか、その時にわかっているべきだった、と続ける。


「じきにね、彼女の様子がおかしくなったのです。私がそのう、ちょっと体をおかしくしてから、勤めに出ようとするたびに泣くのですね「わしを置いて行くのか、薄情じゃ。薄情じゃ」と」


 そう言われては困ってしまう物です。なにしろ働かなくては食うていけないのですから、何分振り払って行くしかなく、そのうちに……そのう。


「わしを置いておぬしは行ってしまう。許さぬ。許さぬぞ。恨んでやる。許さん。絶対に許さんぞ」


 そう言って、何かその、私に叫び、首筋に噛みついてきたのです。それをあわてて押しのけ、なにをする、と叫んでしまいました。それが、いけなかったのです。そう、左衛門は吐き出すように言った。


「おのれ……おのれ……!」


 そう言って、さくらは飛び出して行ってしまいました。彼女をしばらく探してはいたのですが、と言い、しばらくして、だしぬけに左衛門は圭に質問を寄せる。


「私がいくつに見えますか」


「……30少々に見えますな」


 そう言うと、男は低く笑った。


「私は100を超えております。日露戦争で死んだことになっておるのです」


 じきに、何も食わなくてもよくなりましてな。いまだに生きておる次第です。


「私は、死にたい」


 そう言って、こうべを垂れたまま動かなくなった左衛門を見て、圭は困り果てた。


「……祖父であればともかく、私では……」


「……左様ですか。しようが……」


 そう言って、泣き笑いに近い表情を左衛門が浮かべ、立ち上がろうとして後ろをちらと見た瞬間、ひっ、という短い叫びを、上げた。

 そして、そこには金色の髪と、金の瞳の白い「すすき」の柄の着物を着た女性が立っていた。いや、少女と言ってもよい。顔はまるく、目も同じように丸い。それでいて造作は整っている。それだけならば、特段の「おかしさ」はない。ないが。

 その眼に燃える。赫々たる「怨念」が、圭の背筋を凍らせた。怒りなどという言葉では言い表せられない情念が渦巻き、金の瞳が燃えているように見える。


「ぬしは……何をしている」


「おまえ……?」


 圭を見て、そして左衛門を少女は見る。


「そうか、そうかそうか。わしでは飽き足らんのかえ。男もいけるのか。左衛門」


 圭に歩み寄り、そう、と首に手を添える。


「憎いのう。憎い」


 吐息がかかりそうな距離。ささやき声。う、といううめきが喉から出る。そして、何かが、脳の奥底から浮かび上がる。


「わしの机の上から二番目の戸を」


 その言葉を思い出し、圭は「さくら」を突き飛ばし、戸を開け、そしてその中身をぶちまける。


「うっ……!なにをするか!」


 そう言って「さくら」は圭を弾き飛ばし、ぐう、といううめきを圭がもらす。ひらり、と「さくら」の手に紙が当たる。梵字の描かれた、良くわからない「札」だ。


「あ……?」


 そういうと、すっとその少女の目から怒りが消え、あ、ああ。とうめきを上げた。


「あなた……?」


 左衛門を見る。青い絣の着物。それを着た左衛門は。消えていた。着物だけを残し。


「あ、ああああ。ああああ」


 悲鳴。うめき。少女はその着物をかき抱き、高い叫びをあげる。体を丸め、ぼたぼたと涙をこぼし、そして。


「あなた、あなた。どうして……生きて、生きていてくれるだけでよかったのじゃ。どうしてわしをひとりに……」


 泣き、わめき。そして。

 すう、と消えた。


 ざあ、と雨が降り始める。圭は、外を見る。


 ちりん、ちりん。鈴の音がなる。行列。白無垢を着た乙女と、そして、左衛門が歩いていた。


「狐の嫁入り、ねえ……」


 祖父は関わるな、と言った。これはあの狐の少女が夢見たものだったのだろうか。それとも、また左衛門を『見つけ』て取り込んだのだろうか。それは分からない。さくらと呼ばれた少女はこちらをみて、微笑む。


 だが。圭は視線を外した。


 ああしたものにかかわると、ろくなことが無いのだ。







きつねのよめいり 了

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