あの夏

@bataanuntyaku

第1話

ねえ、私あなたのこと好きだったの。ずっと、小さい頃から無条件に好きだったの。一年にほんの数日しか会えないあなたに、恋い焦がれていたの。本当に、久方ぶりにあなたの顔を見た時は、心からホッとして、同時に嬉しさがこみ上げてきて、頰が緩みっぱなしだったの。なんてことない会話でも、あなたと言葉を交わす、ただそれだけで楽しかった。幸せだった。


ねえ、あなた知ってる?まだ成人していないとはいえ、女の勘って結構当たるのよ。毎年ほんの数日しか会えないあなたの、ほんの少しの変化が、私には違和感として映った。そしてそれがあまりよいものではないことも。

13歳の多感な時期に、気付きたくなんかなかったわ。私がそれにどれだけ悩みに悩んだことか。あなたは上手く隠しているつもりみたいだったけれど、あなたが以前とは違うことは見てとれた。


いつものように、いつもくすぐったいような柔らかい笑みを見せていたあなた。気づいていないの?13歳の夏、あなたは私にどこか苦しそうな笑みを向けたのよ。私にはわかるもの。何か、何かあって私と会うことが、一緒にいることが辛そうな顔をしていた。会話もあまり弾まなくなった。


14歳の夏、違和感を覚えたまま一年ぶりに再会したあなたと居られる時間は、新幹線で帰るその日一日限りだった。映画を見て焼肉を食べて、お腹が落ち着いてから本屋に寄ろうと喫茶店で一息ついたとき。テーブルに乗せたあなたの左手に、目が釘付けになった。


そういえば、今までのあなたのおうちのあなたの部屋には生活感があったのに、今年はまるで空っぽだった。床にうすく埃が溜まっていた。あなたの中で私の知らない時間が動いているのがわかった。うっきうきで新幹線に乗って、あなたにすぐに会えなかったことが寂しくて。勝手にあなたの部屋に上がって座り込んで、背中を壁にもたれかけた。天井を仰ぐ。早く会いたい。


そうして最終日にようやくあなたと会えて、短い時間だったけれど、本当に充実していると思えた。


けれど。

私は見てしまった。気づいてしまった。

あなたの左手、薬指に。


去年はつけていなかった。感じていた違和感と、どことなく距離を感じるその雰囲気のわけが、その時現実味を帯びて理解出来た。


そのあと本屋でずっと欲しかった本を買ってもらったけれど、薬指から放たれる鈍い光が、現実を物語っていて、それが私にはひどく重たかった。もう以前のように笑いかけてはもらえないのだと、そう暗示しているみたいだった。

***


うだるような昼下がり、駅内の喧騒に負けじと蝉がけたたましく鳴いている。


アナウンスがなった。

あたりを見回し手近な席に着く。キャリアケースを窓際に寄せて、本がいっぱいの紙袋を膝に抱く。


窓の向こうであなたが手を振っている。

やっぱりどこか、ぎこちない顔で。


一年前の、あなたが見せたあの笑みを思い出す。


またアナウンスがなった。

手を振り返す。何も悟られないように、笑顔を張り付けて。すこし引きつっていたかもしれない。


視界が徐々に後ろに流れていく。


長い長いトンネルに入って、奥の奥の方に見える出口に吸い込まれていく。


紙袋をぎゅっと抱きしめる。

もう、以前のようなあなたは居ない。


思考を放棄したかったけれど、あの薬指が脳裏にちらつく。


あなたは帰り際、「またね。」と言った。

それは嬉しくも不思議でもあり、またとても残酷に思えた。


私も「またね。」と返した。

あなたにはその時の私がどう映っただろうか。


トンネルはまだ続く。

出口まで近いようで遠い。


ひとり、声も出さず、生ぬるい一筋が頰を伝った。

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