4 野戦論

 イゾルテがフルウィウスを連れてテーブルに戻ると、委員たちの間で議論が交わされていた。

「籠城だけでは決着が付きません」

「そうだ。それに我慢比べを続けてる間、交易は止まり、富は失われていくばかりだ」

何の話かと思いつつも、彼女はフルウィウスを紹介した。

「こちらはフルウィウス将軍だ。義兄上の席が空いたので一緒に飲もうと誘ったんだ」

「フルウィウスです。秘蔵の酒の匂いにつられて参りました。残念ながらぎりぎりで飲み損ねてしまいましたが」

フルウィウスは如才なく挨拶しつつも軽く笑いを取り、自然に席についた。

 イゾルテも奥の席に通されると、委員たちに問いかけた。

「ところで議論が弾んでいるようだが、一体何の話だ?」

「籠城か野戦かという話です。こいつらは籠城は時代遅れだと言うのです」

そう答えたのは騎兵科のクィントゥス将軍だった。奉納仕合の棒倒しで旗をよじ登った小柄な老人である。だが他の将軍たちが彼に反論した。

「時代遅れだとは言ってません。もちろん籠城は有効ですが、打って出る備えも必要だと言っているんです」

「そんな事はずっと昔から分かっておる。ワシら騎兵が何のためにおると思っとるんじゃ」

「でも騎兵だけでは数が足りません」

「歩兵でも足りはせん。それに遅すぎる」

「でも子爵……じゃなくて、皇太子殿下は歩兵だけでやり遂げましたよ」

クィントゥスが苦虫を噛み潰したように押し黙ると、それを見たフルウィウスが空気を変えようとして提案した。

「折角殿下がいらっしゃるのです、無骨な話はやめませんか?」

だが既にイゾルテは、この話に興味を抱いていた。

「気を使ってもらって悪いが、私も興味があるんだ。新神殿建立委員会の話題としても適当だしな。ド・ヴィルパン卿はどう考える?」

突然話をふられたベルトランは少し戸惑ったが、この話題には彼なりの見解があった。彼はいつになく真面目な口ぶりで答えた。

「もちろん我々なら籠城中に打って出ますよ。ね。ちょっと戦ってはすぐに戻ってきて、敵の疲弊を誘います。

 でも一度で全てを決めるような決戦は到底無理ですね。あの時ガルータにいましたけど、俺には戦機が全く分かりませんでした。コルネリオが打って出ると言い出した時は驚きましたよ」

 いささか頭の足りないように見える言動の多いベルトランだったが、さすがにムルス騎士だけあって戦いについてはそれなりの考察をしているようだった。やましいところのあるイゾルテは、目線を逸らしながらも彼に同意した。

「そうだナ、私も突然許可を求められて驚いたヨ、ウン。だが渡河部隊が目の前で壊乱していたから、その混乱がガルータまで飛び火しているのなら、決定的な戦機かもしれないと思ったのだ」

その混乱を作るため、彼女が敵をさんざんに甚振いたぶって恐怖をあおったのだということは秘密である。

「戦機をはかるという点では、我々は経験が足りないかもしれません。我々陸軍は常に受動的な立場にいましたから、組織力、忍耐力という点では優れていても、即断即決が求められる野戦の差し引きには疎いのかもしれません」

フルウィウスはそう言ってイゾルテ達に同意した。が、彼の言葉にはまだ続きがあった。

「……ですが、昨年末の戦いでも9年前の戦いでも、野戦で何倍もの敵に勝っているのですから、戦術として有効であることは間違いありません。研究するにくはないと思います」


 フルウィウスとダングヴァルトは、コルネリオと同じ年に陸軍に入った同期生(といっても士官学校に類する物は存在しない)だった。だが何事にもそつのないフルウィウスではなく、その機転の速さに誰もが舌を巻くダングヴァルトでもなく、生真面目だけが取り柄に思われたコルネリオだけがとんとん拍子に出世していった。たまたま上司になったグナエウス皇子に気に入られ、さらに姉が皇子の目に止まって結婚し、義弟として彼の腹心に取り立てられると、9年前の戦いでは義兄の指揮権を継承して部隊を率い、大いに武名を上げたのだ。これがコルネリオでなければ出世のために取り入ったのだと思われても仕方のないところだったが、生真面目で知られた彼は目前で義兄を失った悲劇の人として同情を買っていた。そして少なからず彼を知るフルウィウス自身、その評価が正しいことも知っていた。

 コルネリオが爵位持ちの貴族であるということは、彼の出世とはあまり関係はない。スキピア子爵家はせいぜい小金持ち程度であって、大商人の中には彼よりはるかに裕福で政治力のある平民も多かった。ダングヴァルトの生家もその一つだ。ひょっとすると彼の姉の結婚に関しては多少は有利に働いたかもしれないが、平民だったとしても正妃が側妃に格落ちしたくらいだろう。グナエウスには他に妻がいなかったのだから正妃だろうと側妃だろうと大した違いではない。だからコルネリオの出世は、生まれでも能力でもなく純粋に運によるものなのだ。……と、フルウィウスは思っていた。

 一方ダングヴァルトの出世が遅れたのは彼の性格によるところが大きいだろう。彼の物怖じもしないが落ち着きもないという性格は、周囲(特に上位者)と軋轢を生みやすいのだ。フルウィウスはその間に立って彼を守る代わりに、彼の知恵を借りることでようやく今の地位にまで上り詰めた。だが、ようやくコルネリオに追いついたと思った瞬間、コルネリオは彼らしくもない大功を上げて一気に皇太子になってしまった。もはや何をどう頑張っても追い付きようのない至高の地位である。しかもフルウィウスが密かに憧れを抱いていたテオドーラと婚約までしてしまったのだ。彼の心はコルネリオに対する羨望と嫉妬の間で揺れていた。彼には能力では決してコルネリオに劣らないという自負があり、9年前も1月前も、その場に居たのが自分だったとしても同じ功績を上げたに違いないという思いがあった。そして同時に、それが自分の挟持を保つための見苦しい言い訳に過ぎないという自覚もあった。

 だから彼はコルネリオのように劇的な勝利を飾って栄達したいという欲望と、自己の栄達のために冒険をするのは間違いだという理性の狭間にあり、それが野戦論(とダングヴァルトが言っていた)に対する彼の意見をどちら付かずの物にしていた。


 イゾルテには、彼の言葉は双方に気を使った隙のない言い方に聞こえた。それは彼の真意を不透明にし、イゾルテに一抹の不安を感じさせた。そもそも研究と言ってもどう研究するのか彼女には想像がつかない。彼女は昨年来古今の戦史に目を通していたが、勉強にはなっても自信には繋がらなかった。戦いとは結局は数なのだ。カンネンの戦いもザマアの戦い(注1)も少数が多数を駆逐した戦いだが、それは多数の側がパニックを起こしたり戦意が低かったりしてまともに戦えなくなった人数が多かったからだ。そして敵に包囲された軍はパニックを起こしやすい。真っ当に戦う限り、数に劣り、包囲されやすいのはプレセンティナの方である。だからこそドルクとしては、多少の犠牲を払ってでも野戦に持ち込みたいだろう。彼女は釘を刺しておいた。

「将軍の言うことはもっともだ。ただし、必要なのは戦機をはかる目だけではないと思う。相手の隙が本物かどうか見極めることも必要だろう」

「……つまり殿下は、ドルクが罠を仕掛けてくるとお考えなのですか?」

「年末の戦いでも9年前の戦いでも、ドルクは野戦で負けているのだから、隙を見せれば我々が襲い掛かって来る可能性は考慮に入れているはずだろう? もともとドルクは野戦をしたがっているのだから、むしろ当然だ」

 イゾルテの意見にフルウィウスは考え込んだ。実はこのやりとりは今日2度目なのである。ダングヴァルトや部下たちと飲んでいた時にも、野戦論について議論を戦わせていたのだ。フルウィウスも部下たちも、若いだけあって野戦決戦に魅せられていたのだが、ダングヴァルトだけは否定的だった。彼はイゾルテと同様に罠の可能性に言及し、コルネリオの栄達が陸軍に悪い影響を与えないか心配だと、政治的に危険な発言までしたのだ。もちろん口調はもっともっと軽かったのだが。

――話には聞いていたが、本当に聡明な方だ。まさかダングヴァルトと同じことを考えておられるとは。

「では殿下は、野戦論には否定的なのですか?」

「野戦論? うん、そうだ。もしも罠にハマれば部隊が全滅するだけでは済まない。味方の目の前で嬲り殺しになるだろう。そしたら城壁に残った兵士や市民まで一気に意気消沈するぞ。あまりにもリスクが大きすぎるだろう」

 委員たちははっとした。彼らは武人として打って出る者の視点で考えていたが、確かに彼女の言うとおり残った者への影響は計り知れなかった。例外は以前から打って出る者の立場でありながら、常に少数派の位置にあった騎兵科のクィントゥスだけであった。彼は自分たちがヘマをすることで大多数の歩兵たちにどんな影響を与えるのか常に意識せざるを得なかったのだ。だがそれが逆に、当の歩兵科の者達なら当然そこまで考えているだろうという思い込みを生んでいた。

 だがフルウィウスにはもう一つ気になったことがあった。それは政治的にひどく微妙な問題を孕んでいたのだが、ダングヴァルトの懸念を知る者としても、テオドーラに憧れていた者の一人としても、どうしても気になることであった。彼は迷いながらも、おずおずと彼女に問いかけた。

「ひょっとして……殿下はスキピア将軍の立太子にご不満なのですか?」

イゾルテは驚いて目をむいた。そんな噂が立ったら政治的な安定が疑われてしまう。

「そんな訳ないだろう! そもそも父上に義兄上を推したのは私だぞ!」

「「「!?」」」

 イゾルテの爆弾発言は、フルウィウスだけでなく他の委員たちをも驚愕させた。確かにイゾルテは元老院総会でコルネリオを擁立したが、それはルキウスの決定に従うというていであった。彼女が同意していたことは間違いないだろうが、選んだのはあくまでルキウスだろうと思っていたのだ。だが皇太子の人選までしたとなれば、彼女の隠然とした政治力はコルネリオ本人をも凌ぐことは間違いない。彼女は失言を悟ってとっさに付け足した。

「アー、モチロン、陛下も義兄上には目をつけておられたのダヨ?」

不自然な彼女の言動に疑惑が残ったが、フルウィウスはひとまず保身を図った。つまり、変なことを聞いてしまった言い訳である。

「ですが殿下の先ほどのお言葉は、皇太子殿下の成されたことを批判しておられるように聞こえました」

「それは誤解だ」

あれは私が命じたことだ――と言えれば話は早いのだが、コルネリオの判断だと嘘の宣伝をしていたのでバラす訳にもいかなかった。だから彼女は一分の嘘を織り交ぜながらも、九分の真実を語った。

「先程も言ったように、あの時は渡河の失敗で敵が酷く混乱していたのだ。私もそれを確認できていたから、罠である危険性はないと判断したのだ。それに2度目と3度目は蓋然性が全く違う。9年前の敗戦は極々例外だと思っている相手だから意表をつけたが、2回続けて失敗した者がもう一度油断してくれるとはとても思えない。

 それに私が一番評価したのは戦機を見逃さなかったことではないぞ。そんな事は信頼できる参謀がいれば良いだけの話だ。重要なのは兵を突撃させることが出来たことだ。あの時、打って出て勝てると思った者は兵の中に1人もいなかっただろう。だが義兄上は兵を従わせることが出来た。それは皇帝にもっとも必要な資質だと私は思うのだ。それこそ、打って出た兵士たちが城壁のすぐ側で嬲り殺しになった時、義兄上なら残った兵士たちの士気を繋ぎ止められると思う。それは、私にはとても真似の出来ないことだよ」


 委員会の将軍たちは皆、元老院総会で彼女に投票していた。毎年サボっていた者もさすがに(常設ではない特別委員会とはいえ)委員をやっている時にサボるのは気が引けて、全員総会に出席したのだ。そしていきなりイゾルテを皇太女にする投票である。彼らは当然賛成に投票した。だがそれを本人がひっくり返してコルネリオを推したのだ。その時彼女は「ルキウスが選んだ」ということを理由としていたが、彼女よりコルネリオがふさわしい理由は明らかにしなかった。それは当然憶測を呼ぶこととなり、様々な説が飛び交っていた。

 だが今彼女本人の口からその理由が語られ、その言葉は将軍たちの胸にストンと落ちた。コルネリオが『機を見るに敏』だと言われると首を傾げたくなる者でも、彼の大柄な体と大きな声、そして律儀な人柄が醸し出す信頼感は誰もが感じていたのだ。それに彼らは経験から、籠城戦において士気を保つことがどれほど重要なのかということを熟知していた。今まで疑問を持っていた者達も、彼女の言葉を聞いて彼が皇太子に選ばれたことに納得することが出来た。そしてそれは、コルネリオに対してコンプレックスを持つフルウィウスも例外ではなかった。

――なるほど、兵を掌握するという点においては、確かにあいつには敵わないかもしれない。

 コルネリオは9年前でさえ、片翼を預かってドルクの大軍を防いでみせたのだ。その一方で、彼が注目した"戦機を見逃さない目"については、参謀が居ればいいとあっさり切って捨てられてしまった。

――確かに、ダングヴァルトのように知恵の回る者が参謀になればいい。ダングヴァルト自身が皇帝になるよりかは、何倍もマシだ。

ダングヴァルトが皇帝になったら、いったいどれほどのトラブルが巻き起こるだろうか。その処理をするのはたぶん彼の役目になるのだろうが、想像すらしたくなかった。

 そして同時に彼は、コルネリオの功績を聞いた時に感じた違和感も思い出していた。彼の知るコルネリオは実直と堅実を絵に描いたような男であったのに、守備兵の大半を連れて打って出るような危険を何故犯したのであろうか? そしてイゾルテはなぜそれを批判しないのだろうか? 彼の中で一つの仮説が形作られつつあった。

――殿下が言われたとおり、参謀がいたのなら納得できる。そしてもしそうだとしたら、殿下は参謀の存在を知っていたことになる。

彼はイゾルテがダングヴァルトと同じように、ドルク軍が罠を張ることを危惧していたことを思い出した。それ以外の彼女の言葉も、とても少女のものとは思えないほど思慮に満ちていた。

――ひょっとして、参謀というのは殿下自身のことではないのか?

その仮説が思い浮かぶと、いろいろなことがしっくりときた。

――殿下には兵を突撃させることはできないと、殿下ご自身がおっしゃられた。それに最終的にはご自分で『罠ではない』と判断したと認めておられた。殿下が戦機を判断し、コルネリオを現場指揮官として選ばれたのではないか? だとしたら、殿下がコルネリオの参謀にくだったのだろうか? いや、それなら殿下自身が婚約されただろう。そうではないということは……コルネリオを傀儡かいらいとして祀り上げたということかっ!?

イゾルテはとっさに誤魔化したものの、彼女がコルネリオを皇太子に推薦したのだということは、つい先程彼女自身が漏らしたことであった。


 フルウィウスは自分の立てた仮説に衝撃を受けていた。彼は皇太子となり美しいテオドーラを妻にするコルネリオに少なからず嫉妬を感じていたはずだったが、それはもはやどうでも良くなっていた。今彼の目の前には、若く、美しく、聡明で、人望があり、陸海の戦術に通じ、政治力もあり、元老院と帝位すら弄んで、皇太子を傀儡にしている、恐ろしい魔女がいたのだ。そしてその魔女は――

――恐ろしく魅力的だ。

美しいだけのテオドーラより、名ばかりの皇太子の地位より、彼女は遥かに魅力的な存在だった。

――だが、殿下は分かっていない。

彼女が野戦論に批判的であることは分かった。聡明な彼女には敵の隙を見抜くことすら片手間に出来ても、余人にそれが出来るとは信じていないのだ。だが野戦論に火を付けたのは彼女自身だ。彼女がコルネリオに過分な手柄を与えた事で、彼を羨む者を賭博的な野戦論者にしてしまったのだ。彼女がこうしてやんわりと野戦論を批判してみせるのは、その火消しのつもりなのかもしれなかった。だがフルウィウスに対しては、それは逆効果だった。

――あなたがどれだけ否定しようと、私には武功を上げるしか道がないのですよ。あなたを手に入れるためには……!

イゾルテは分かっていなかった。彼女自身の存在が、フルウィウスの野心に火を付けてしまったのだ。



 二日後、皇宮には国内の貴顕と諸外国の使節が一同に集められて、コルネリオの立太子礼が盛大に行われた。集まったすべての人の視線がコルネリオに注がれている間も、長年彼に対抗心を抱いてきたフルウィウスだけは玉座の傍らに立つイゾルテへ、熱く昏い視線を注いでいた。彼の異常に気づいたのは、常に彼の傍らにあるダングヴァルトだけであった。


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注1 深く突っ込むつもりはありませんが、ヘメタル時代にこっちの世界のポエニ戦争みたいなものがありました。(ということにしました)

 カンネンの戦い……の元ネタはカンネー(カンナエ)の戦い

 ザマアの戦い……の元ネタはザマの戦い

「カンネンしろとハンニバル、ザマア見ろと大スキピオ」と覚えた記憶があります。まあ、テストにそのまんま書いたら×でしょうけど。

もちろんコルネリオとリーヴィアの実家のスキピア家は、大スキピオっぽい人の子孫です。きっとハンニバルっぽい人もいたのでしょう。

ところで映画『ハンニバル』(とその原作小説)のタイトルを見て、レクター博士のことだと思った人ってどんだけいるのでしょう?

きっとポエニ戦争の話なんだと思い込んでた私は悪くない、はず。

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太陽の姫と黄金の魔女 ~処女帝イゾルテの崖っぷち帝国再興記~【改訂版】 桶屋惣八 @so8

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