化け物バックパッカー、水族館の水槽を歩く。

オロボ46

ビニールを被って、水族館の水槽を歩こう。

 


 深い、深い海の中。


 さまざまな深海生物が泳ぐ中、


 ひとりだけ、2本足で海底に立っている人影がある。


 その人影は、浮かび上がることもなく、海底に足跡を付け続けている。


 空を泳ぐ魚たちを、眺めながら。




 その人影の前に、光が現れた。


 最初はまぶしそうに手で目の前を隠す人影だったが、


 自分が照らされていることがわかると、その光から逃げ始めた。


 光を放っているのは、深海探査艇。


 その乗組員たちは、光に照らされたクラゲの肌を持つ化け物を目にした。







 それから、数十年後。




「ココガ……水族館?」


 少女が、確かめるように隣の老人に聞く。


「ああ、昨年オープンしたばかりだが、人気の水族館だぞ」


 そう答えながら、老人は目の前の建物に目を向けた。




 会話で察する通り、少女と老人が訪れているのは水族館だ。


 駐車場は車で埋まっており、


 入り口は何人もの人間は入り、何人もの人間が出てくる。


 客も家族連れから、磁石のようにくっついているカップル、


 友人同士と思われる女子高校生3人組に、


 ひとりで来ている男。


 そのような建物の前に、ふたりは立っていた。




「水族館ッテ、水槽ノ中ノオ魚ヲ見ラレルンデショ?」


 少女が、純粋なニュアンスで当たり前であることを確認する。

 その少女は黒いローブを着ており、顔もフードで隠れてわからない。その背中には、黒いバックパックが背負われている。


「その通りだが……“タビアゲハ”は水族館と聞いてどんなことを思い浮かべる?」


 子どもに対する質問を投げかけるこの老人、顔が怖い。

 服装は派手なサイケデリック柄のシャツに黄色のデニムジャケット、青色のデニムズボン、頭にはショッキングピンクのヘアバンドという派手な格好。

 そして背中には、少女と似た黒いバックパックが背負われている。俗にいうバックパッカーである。


 “タビアゲハ”と呼ばれた少女は考えるように首をかしげながら水族館を見上げる。

「一度モ来タコトナイカラヨクワカラナイケド……水槽ニ魚ガ泳イデイテ、ソレヲ水槽ノ外カラ見ル……」

「……」

 ふとタビアゲハが横を見ると、老人は不気味な笑みを浮かべていた。

坂春サカハルサン、ドウシテ笑ッテイルノ?」

「いい反応をしてくれたから思わず笑みを浮かべただけだ。気にするな」

 “坂春”と呼ばれた老人は水族館の入り口へと歩き始めた。

「ア……マッテ……」

 タビアゲハも、坂春に続いてかけだした。


「アッ」


 突然、タビアゲハは地面につまずいて前のめりに倒れてしまい……


「うおっ!?」


 前にいた坂春を押し倒し、こけた。


「イタタタタ……坂春サン、ゴメンナサイ……」

 ローブの上から膝をさすりながらタビアゲハが謝罪する。

「ああ……大丈夫だ……いっつ……」

 痛みを表情に出しながら、坂春はバックパックを下ろし、中から救急箱……と、スポンジのようなものを取り出した。


 坂春はスポンジを手にとると、タビアゲハの足元にスポンジを近づける。


 それを見たタビアゲハはくの字になっている足をサッと引っ込めた。


 そこにあったのは、地面にしみこんだ、黒い液体。


 まるで墨汁。だけど血のようにも見えるその液体に、坂春のスポンジが押し当てられる。


 スポンジが離されると、液体は跡形もなく消えていた。


 その後、坂春は救急箱に入っていた医療品ですりむいた膝を治療し、自分の足元にある液体もスポンジで拭き取った。


 坂春の足元にあった液体は、普通の赤色だった。








 ふたりは水族館の中にある受付で入場券を購入し、壁に貼られている順路の矢印に従って移動し、エレベーターに乗り込んだ。




「ソレニシテモ、本当ニ大キイ水族館ダヨネ。5階モアルナンテ」

 エレベーターの中で、タビアゲハは階層ランプを見つめていた。

「当時はそこまで大きくして大丈夫なのかって一部の声があったらしいが……完成後は数々のマスコミが苦労話を聞こうと詰めかけたと言われている」

「ドウシテソコマデ人気ニナッタノ?」

「この水族館の目玉が人気の理由だな」

「……」

 タビアゲハは想像するように天井を見上げ、青ざめた。


【想像してみますか?】 (下書き共有ページに飛びます)

https://kakuyomu.jp/shared_drafts/0AkXXpIlbKF4m9vWct4Ceb723JTyey36


「どんな勘違いをしているんだ? 客が目玉が向いて驚くことを言っているんだが」

「エッ? ソウナノ?」

 坂春が戸惑いながらもうなずくと、タビアゲハは胸をなで下ろした。




 エレベーターの階数表示のランプが【R】と表示する。

 扉が開いた先には、イルカショーが行われていそうなプールと客席が見えた。


「ア、ナンカ想像通リ!」

 そうつぶやきながら、タビアゲハはエレベーターから降りる。

「一度は見たことがあるだろう」

 はしゃぐタビアゲハに、坂春は孫を見るような目で答える。

「ウーン、見タコトガアル確信ハナインダケド……デモ……」

 タビアゲハは誰も泳いでいないプールに目を向ける。

「オ魚ガイナイネ」

「どうやら、午前のイベントはもう終わったみたいだな。午後まで時間があるから、先に下の方を見に行くか」




 ふたりは客席を通り、階段のところまで移動した。


 階段の前には、長いテーブル。その上には、大きなビニール袋のようなものがたたまれて積み重なって置かれている。


 坂春は迷うこともなく折りたたまれたビニール袋を手に取り、広げる。


 その形は、まるで巨大なたまご。

 頂点から下の端にかけて、透明なファスナーがついている。


「コレ……ナニニ使ウノ?」

 タビアゲハはビニール袋を手に取っているものの、戸惑っているようだ。

「こういう感じに着るんだ」


 坂春はファスナーを開け、そのビニール袋を着るように中に入った。

 すると、ファスナーが消滅し、風船に空気がはいったように膨らみ始めた。


 その結果、坂春を包みこんだビニールはたまごに足が生えたシルエットになった。

 たまごの足は坂春の足とぴったりになっているが、そこから上は十分な広さになっている。




「コンナ感ジデイイノ?」

 マネをしてビニール袋を着ることができたタビアゲハは坂春に確認をとる。

「ああ、それじゃあ下に下りるとしよう」

 ふたりは階段を下り始めた。


 そして、タビアゲハは下りる足を止めた。


「どうした、早く下りてこんか」


「坂春サン……コレ、ドウイウ状況?」




 タビアゲハが指を指した先……


 坂春が下りようとしている階段の先にあったのは、


 水没した階段だった。




「見たまんまだ」

「……コレジャア、下リラレナイ」

 坂春は困惑するタビアゲハの表情を見て笑みを浮かべ、

「いいや、下りることはできるぞ」

 水の中へと入っていった。




 慌てて後に続き、水の中へと入っていくタビアゲハ。


 顔が水に沈んだとき、無意識的に息を止めたが、


 すぐにその必要がないことに気がついた。


 ビニールの中に水が入ってこないため、息ができるのだ。




「ほら、下りることができただろう」


 階段を下りきった坂春の声が、水を通じて聞こえてくる。このビニールは音を遮断することはないようだ。

「スゴイ……水ノ中ヲ歩ケルナンテ」

「着心地はどうだ?」

「ウン……ナゼカ、違和感ガナイ……ナンダカ、普段カラ触ッテイルヨウナ感ジ」

 感触を確かめるように、タビアゲハはビニール袋を内側からつかんだ。

 その指先からは、とがった爪が見えていた。

 タビアゲハは自分の爪に気づくと、すぐに手を離した。

「心配しなくても、破れることはないぞ」

「……ホント?」

「ああ、どういう原理なのかはわからないが、今まで事故は起きていないそうだ」

「コレガ水族館ノ目玉……デモ、ドウヤッテデキテイルンダロウ……」


 一瞬だけ、坂春の顔が曇ったが、すぐに笑顔に戻ったため、目線をビニールに向けていたタビアゲハは気づくことはなかった。


「……さあな。そんなことよりも、早くいくぞ。目玉となるものがあっても、魚がないと水族館とはいえないだろう」


 タビアゲハは「ソッカ」とつぶやくと、坂春を追い越そうとかけだした。


「こら、走ったらいかんぞ」


 坂春もその後に続いていく。





 通路を抜けた先は、広い空間。




 そこでは、さまざまな種類の魚が泳いでいた。




 魚たちは、




 空間の中を、




 上下左右360度自由に泳いでいる。






「ワア……」

「ああ……やっぱり懐かしいな……」


 ふたりはため息をついた。


 浮かび上がることもなく、海底に足をつけたままで。




「……デモ、オ魚ニ食ベラレチャウカモ……」


 ふと思いついた疑問に心配するタビアゲハを見て、坂春はまた笑みを浮かべた。こんどは、思い出に浸っているような表情も混ぜて。


「初めて来た俺も、同じ事を考えていたな。このビニールの効果なのか、こちらにはよってこないから安心していいぞ」


「坂春サンッテ、前ニモココニ来タコトガアルノ?」


「何度も繰り返し来ていた。初めてここに来たのは、俺が40歳のころだった」


「ソノコロカラアッタノ? ココノ水族館」


「ちょうどオープン初日だったな。友人に連れられて、初めて水の中で魚を見上げた時……俺はこれが少年時代だったら、海洋学者になりたいって夢を抱いていたなと思った」


「ヘエ……ソレデ“サーフィン”ガ好キナンダ」


「いや、サーフィンとはまったく関係がないぞ。サーフィンを始めたのは高校のころだったからな」





 ふたりは、会話に花を咲かせながら、泳ぐ魚を眺めていた。






 奥に進んでいくと、上へと上がる階段があった。


 ふたりは階段に足をかけ上っていくと、水面が見え始め、水から上がった。


 下りの時よりも少ない段数を上がった先にあったのは、細長い通路だ。


 壁には小さな魚の水槽や、魚についての豆知識が書かれた説明書きが書かれている。




 その通路を、たまご型のビニールに包まれたままタビアゲハは首をかしげていた。

「ドウシテ水ヲワケテイルンダロウ……」

「そりゃサメとイワシを同じ水槽に入れるわけにはいかんだろう」

「ア、ソッカ」

「それに、魚たちは自分の暮らしていた水じゃないと生きていくことができないんだ。川の魚なら、川の水じゃないといけないということだ」

「ソレナラ、進ンデイクホド深イ所ニ住ンデイル魚ガ出テクルノ?」

「確かそんな順路だったはずだ」


 坂春の言葉に、関心するようにうなずくタビアゲハ。




 彼女は、ある扉の前で足を止めた。




 スタッフルームと思わしきその扉から、話し声が聞こえてきた。

 従業員と思われる、ふたりの男の声だ。






【聞き耳を立ててみますか?】 (下書き共有ページに飛びます)

https://kakuyomu.jp/shared_drafts/9Jze2yN4vF7SSuZ3cc63OeNYNCncxFV7








「どうした、早くいくぞ」




 タビアゲハはわれに返り、先に進んでいた坂春の元に急いだ。












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