「彩る、うろこ」

小箱エイト

「彩る、うろこ」

店の名前は、カタカナの「ウロコ」にした。

ロゴマークは人魚のイラストで、ウロコを一枚一枚、カラフルに塗ってある。

今日看板が設置され、私は感慨深くそれを眺めている。

料理屋だった店を改装し、週明けに、ネイルとヒーリングの店をオープンさせる。


十年前、この町にやってきた時は、こんな自分になれるとは想像もしていなかった。

蒸発した父親を捜し当てて、はじめて降りた駅。

突然押し掛けた私を見たら、どんな顔をするだろう。

それを確認したら、この町とはおしまい。

しがらみのない、自由な場所を見つける旅に出る。

そう強がって歩いてみたけれど、次第に心細くなっていた。

貯金の底をつくのは時間の問題で、その後の暮らしのあてもない。

かといって、すでに母親も祖父も亡くなって、独りになってしまった故郷に、戻りたくはなかった。


『うろこ』

ひらがなで墨文字の看板が見えてくると、胸が高鳴ってきた。

店の前に立つと、頭のなかは真っ白になった。

深呼吸をして、賭けの勢いで戸口を引いた。

けれど、準備中なのか留守なのか、鍵がかかったままだった。

見上げると、二階の窓のアルミサッシに、淡い水色のカーテンが、

裾(すそ)を挟まれて引きつっていた。

とたんに力が抜けた私は、商店街をのろのろと歩いた。


八月の下旬、アスファルトにサンダルがのめり込みそうな、残暑のきつい午後だった。

三周目になると、さすがに動けない。

店の前でしゃがみ込むと、背後から声がかかる。

向かいのスナック喫茶のママさんが、見かねて呼んでくれたのだった。

私の爪が綺麗だと何度も褒めながら、コーラをごちそうしてくれた。


ネイルにこだわるようになったのは、故郷で水産加工の仕事をしていたからだ。

爪は荒れるし、匂いも消えない。

小さな町のつましい暮らしのなか、息がつまりそうな周囲の干渉。

ひとりになった夜、丹念に爪を磨き、ネイルを重ねる。

寂しいことも、悔しいことも、好きな色を被(かぶ)せていく。

綺麗に仕上げた爪を、月の光にあてて眺めていると、自分を取り戻したような気がした。


ママさんに『うろこ』のことを尋ねると、もう半月ほど、あの水色のカーテンは引きつったままだという。

曖昧な雰囲気で、話が終わろうとしていた。

意を決して、名乗ろうとしたとき、

「娘さん、でしょう」と、<万が一の連絡先>と書かれたメモをくれた。

それは病院だった。


病室に入ると、若い頃の写真の面影は、ほとんどなかった。

やせ細った中年の男が、目を見開いたまま震えていた。

ベッドのそばまで行くと、今度は顔をそむけてしまった。

「大きくなったな」

ぼそっと聞こえた。

『あたりまえだよ』と答えるつもりが、声が出なかった。

喉が苦しくて、どうしてか涙がこぼれた。

思っていた展開にならなくて、悔しかった。


私が六つの時、父親はある女性と駆け落ちをした。

結局、その相手とは一年程で別れ、ひとり日銭を稼ぐために、料理屋に弟子入りしたという。

そして八年後、小さな店をはじめた。

家族には二度と会わないと決めていたらしいが、

折に触れ、墓前に花や線香がたてられていたのを、私は知っている。


「魚の腹に包丁をあてるのは、私も得意だよ」と言うと、少し寂しそうな顔をした。

私の爪をしばらく眺めた後、「ウロコみたいだ」と笑った。

「そんな魚がいたら捌(さば)けない。でも、お前にすごく似合っている」

それが最期の会話だった。


父親を看取った後、ママさんの紹介で、ネイルサロンに勤めることができた。

そうして十年経った今、父親よりは少し時間がかかったけれど、独立することが叶った。

店の名前を考えるとき、決め手になったのは、ママさんからの言葉だった。

「あなたが生まれる日の朝、夢を見たんですって。

 ピカピカに光っている魚が、沖から跳び込んできて、両手で抱えながら、それはそれは、まぶしかったって。だから、店の名前を『うろこ』にしたそうよ」


私にはそんなこと一度も話してくれなかった。

意地っ張りなひとだ。

そして私も、似ているのかもしれない。


駅ビルと立体駐車場の隙間を、減速した電車が流れていく。

まもなく、このあたりも、降りたった人々で賑やかになるだろう。

あの時、私もこちらに向かって、勇(いさ)んで歩いていた。


「ねえ、十年前の私。父親の『うろこ』は、あなたが引き継ぐんだよ」


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「彩る、うろこ」 小箱エイト @sakusaku-go

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