第5話 契約
気が付くと、そこは知らないベッドの上だった。
「ここ…どこ?」
周囲に人はない。真月一人がこの部屋のベッドで寝かされていた。仮眠室の様なさほど大きな部屋ではなく、ベッドと窓がある以外何もない部屋だった。周囲を見渡しながら、見知った人がいないことを確認すると真月はベッドから降りる。そのまま、フラフラとした足取りでこの部屋唯一の扉へ向かう。
「………!」
「……。…………」
扉に近づくに連れて聞き覚えのある声が真月の獣耳に飛び込んでくる。
何を話しているのかまでは聞き取れなかったが、それは遥の声だった。
真月の未だに生えたままの尻尾が遥の声に反応してユラユラ揺れる。怪我の手当てもなされ、清潔な服に着替えさせられていることにも気づかないまま、真月は扉に手を伸ばした。
ガチャリ。
扉は簡単に開いた。扉の外にいたのは日向、桜賀、遥、直政、知らない二人の計六人。真月が知らない人物の内一人は大きな執務机に座り、もう一人はその傍に控えている。
部屋は先ほど真月が寝ていた部屋よりは大きいが、真月を含めた七人がいると少し圧迫感があった。
「お、やっと起きたか」
「おはよう真月君」
真っ先に声をかけてきたのは日向と桜賀だった。
「お…はよ…う?」
窓の外は明るく、時間は判別できないが取り敢えず二人に挨拶を返す。聞けば真月は丸一日眠っていたらしい。
「おはよう真月君」
亜麻色の髪と暗緑の瞳の青年が真月に微笑む。その声は遥のものだ。教会では暗くて分からなかったが、匂いや顔つき、声はしっかり覚えている。
「遥…さん?」
「遥で構わないよ真月君」
「遥…!」
真月は遥を認識すると駆け寄って抱きついた。小柄な遥といえど、身長は百六十を超えている。身長が百四十に満たない小柄で体重の軽い真月を遥は難なく受け止めて、その頭を優しく撫でた。
その手の心地よさに真月の獣耳はピコピコと動き、尻尾が嬉しそうに揺れる。
「なんや真月君、遥さんに随分懐いてしもたなあ」
日向は自分になつき始めた
「…おい「フー!!」」
遥に懐く真月を見て政直は声をかけようとするが、真月は近づくなと言わんばかりに毛を逆立てて威嚇した。真月はまだ、教会で直政が取った行動を忘れたわけでは無いようだ。
「直政さんは随分と嫌われたな」
桜賀が揶揄するように言う。ほっとけ、と直政はそっぽを向くが、チラチラ真月と遥をうらやましそうに見ている。
「そろそろいいかい?」
部屋にいた真月が知らない四十代くらいの男性がじゃれあう真月たちに声をかけた。男性は真月に尾坂と名乗り、遥から離れ向き直った真月を真剣な表情で見つめた。
「真月君。君のことは調べさせてもらったよ」
真月はその唐突な言葉の意味があまり理解できなかった。頭に疑問符を浮かべている真月を傍目に尾坂はどこからか取りだした紙に書かれている内容を読み上げ始めた。
「名前は
年齢を聞き日向が驚きの声を上げるが、尾坂は一別しただけで何も言わずに手元に再び視線を戻す。
「両親は
「「…」」
「真月君の母親は急に叫びだしたかと思えば笑いだしたり、泣きわめいたりという言動が時々あったが、十年ほど前から段々ひどくなっていたという証言もある。様々な証言から母親は悪魔に取りつかれていたと推測され………」
尾坂の話は衝撃的だった。真月が住んでいた家、周囲の住人からの証言、両親の遺体の状態など、一日で集めたとは思えないほどの情報がまとめられていた。そして真月が置かれていた異常な状況が浮かび上がったのだ。
学校にも通っていないのにある程度の知能があったり、虐待や育児放棄のような環境にもかかわらず体はそれなりに成長し、健康状態も極端に悪いという状況ではない。それは両親が真月に教育を施し、栄養のある食事を与えるといった行動をとっていた証拠でもあった。
「…とまあ色々調べた結果、真月君とご両親はこの悪魔事件に利用されていた被害者といえるだろう。今回の件はカルト集団の集団自殺で処理される予定で、真月君の両親の遺体も警察の方でしっかり埋葬される。だが、問題は真月君だ」
「俺…?」
「これから君はどうする?」
尾坂の問いに真月は答えられないまま沈黙する。
「ここは政府の支援を受けて設立された怪異全般の調査、解決を目的とする
尾坂は唐突にテレビのCMの様な言葉を真月になげかける。
「獣化能力者は人でありながら獣並みの嗅覚や聴覚、高い身体能力を持つ。是非、我が社に欲しい人材だ。…まあ、何が言いたいかというと、真月君の生活諸々面倒を見るからこの会社で働かないかい?」
大雑把に要約すると尾坂は真月のことを調べ上げた上で真月をスカウトしたいらしい。戸籍も用意するし、アルバイトという形で給料も支払う、社員寮完備で住むところも食事も心配いらないから、と。
その誘いに、真月は困惑した。
しかし、様々なことがありすぎて真月には彼らの誘いについて深く考える余裕はなかった。
「…………………よろしくお願いします」
結局、真月は散々迷ったが尾坂の話を受けることにした。色々理由はあったが尾坂に「迷うならしばらくここで働きながらこれから先のことについて考えなさい」と言われたからだ。怒涛の展開に疲れた様子を見せる真月を見かねてか、話はまた後日という事になり、真月はここを案内するからと日向と桜賀に連れられて部屋から連れ出されたのだった。
「尾坂部長。なぜあのように強引なスカウトを?」
真月たちが部屋を出て遠ざかるのを確認し、政直は尾坂に問いかけた。その声は責めるような響きがあった。
「分からないかい?」
尾坂が口を開く前に、部屋にいた白衣の男が問いかけ返す。
「…真月君に考える時間を与えたくなかったんだよ、ナオ」
「…は?」
直政はますます訳が分からず、困惑する。
「鈍いなぁ…。真月君、耳と尻尾が出たままだったでしょう?」
「それが…?」
ここまで言っても分からないのかと、遥は鈍感な直政を見てため息を吐いた。真月の姿は能力が制御できていない証拠だが、先ほどまで寝ていたにもかかわらず人の姿に戻ってはいなかった。つまり、真月の姿には他に要因があると考えれば想像はつく。
「…能力の使用は感情や精神状態に左右される。特にあの子は能力者として覚醒したばかりで能力の
白衣の男は遥の言葉をさらに懇切丁寧にかみ砕く。そして遥や男の言葉に、直政もようやく尾坂の意図が理解できた。確かに精神が幼く不安定な状態の真月が冷静に考える時間を与えてしまえばどのような行動に出るか分からない。両親の復讐に走るか、ここから失踪しそのまま路頭に迷うか…。可能性はたくさんあるが、要は手綱を握り、真月を保護することが目的だった。様々な思惑があることは勿論だが、そこには精神的に幼い真月を守り導きたいという尾坂の思いがあったのだろう。
「ほんとに鈍い。鈍すぎ。日向君も桜賀君もたぶん気づいてたとおもうよ?」
だから何も言わずに二人は真月を連れ出した。しかし、直政だけが全く何もわかっていなかったことに、遥はあきれ返った。
「……すまん」
直政はその事実に何も言い返せず、項垂れるしかなかった。
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