梅林止渇【拾六】


 懐かしい、夢を見た。


 尾張の木田城にいた頃だから、まだ2つくらいの時だろうか。


 木田城にいた頃の記憶はほとんど朧気で、はっきりとしたものは少ない。しかし、雪の匂いと椿餅の固い葉の感触は、今でも指先に思い出として残っている。


      *


 ――尾張国おわりのくに木田きだ城――


 池の水面は、うっすらと氷の膜が張っている。

 吹き渡る冷たい風の匂いにいざなわれながら、庭の中をぱたぱたと駆ける。

 吐き出す吐息はまだまだ真白くて、鼻の頭がつんと固くなっていた。


 薄氷の下では、鯉が見え隠れしている。こんなに寒いのに、もう、目が覚めているのだろうか。

 ひらひらと舞う羽衣のようなひれが不思議で仕方ない。水鏡の中に、もう1人の自分がいることも。


 水の中に向かって手を伸ばすと、紅葉もみじを包み込まれた。


 水鏡には於泉と、もう1人映っていた。


「これ、泉姫」

 軽々と抱き上げてくれた腕に、於泉は、ぱあ、と花開くように笑った。


「ちちうえ」


 恒興の表情が曇った。

 恒興は、於泉が呼び掛けると、いつもどこか苦しそうな顔を見せる。

「……姫。池の中をあまり覗き込んではならない。それに、まだ雪は解けておらぬ。そのような薄着をしていては、風邪を引いてしまうぞ」

 父は、屋敷の屋根をうっすらと白く染めている雪を指差した。於泉の体に片手で器用に小袖を何枚も被せる。もこもことむずがる於泉を空いた手で抱きながら、屋敷の方に歩き出した。

「椿餅を持った来た。初瀬殿が白湯さゆを持って来てくれるから、食べなさい」

「ほんとう?」

 冬になると、恒興はいつも椿餅を持って来てくれていた。

 普段から、木田城に来る度に、色々な物を持って来てくれる。しかし、於泉は椿餅が1番好きだった。


「つばきもち、だいすき。ちちうえ、ありがとう」


 於泉が微笑むと、恒興は安堵したように頬を擽った。


 三月みつきに1度、恒興は於泉が暮らす荒尾の木田城の屋敷に来てくれる。

 於泉の話を熱心に聞いてくれて、於泉の横で於泉が眠るまで、ずっと手を繋ぎながら、つたない話を聞いてくれている。


 祖父や、叔父夫婦とは違う温もりを感じるのは、父親だからだ、ということを於泉は知っている。


(ちちうえと、いっしょにくらしたいなぁ……)


 幾重にも重ねられた小袖に包まれながら、於泉は父の胸に頬をすり寄せた。



 於泉の願いがかなえられたのは、梅が花開く少し前。

 乳母の初瀬から、3つになったことを告げられた時だった。

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