梅林止渇【拾七】


      *


 兵庫による、長い長い説教を終えたのは、月が屋敷の真上に登ってからだった。

 夕餉を食べそびれたが、長可の部屋の前には握り飯を2つ乗せた皿が置かれていた。えいが置いておいてくれたのだろう。


 縁側に座し、もそもそと握り飯を貪っていると、垣根の向こうから少女の深い溜息が聞こえて来た。


 握り飯を飲み込みながら、長可は片腕を懐に突っ込んで、垣根の方を覗き込んだ。


 濡れ縁で突っ伏すように、於泉が潰れていた。

 於泉もまた、無断で屋敷を抜け出したことを兵庫により密告され、恒興から説教を受けていたらしい。


「於泉」


 小さな声で呼び掛けると、於泉がぼんやりと顔を上げた。長可の存在をまともに認識すると、草履を突っ掛け、ぱたぱたと駆け寄って来た。


「そっちも終わったのか?」

「うん、一応。……父上、お説教始まると、兄上以上に長いから……」

 普段は誰よりも恒興から甘やかされている於泉だが、今回のような見逃せないほどのことをすると、昼過ぎから日が暮れるまで、たっぷりと説教を食らうこともある。

「俺のところの兵庫と同じだな」

 可成はあまり説教が長い人ではなかった。

 失態を犯せば厳しく叱責され、涙目になるものの、短く畳まれて尾を引かない。兵庫の場合は、永遠に続くのではないかと眩暈がするほど、とにかくくどいのだ。

「ま、これに懲りたら、供も付けずに外に出ないことだな」

「うん……。父上から、しばらくの間は外出禁止って言われた……」

 しゅんとしょげながら、於泉は策に額を当てた。どうやら、奇妙丸の屋敷に行くことも禁止されたらしい。

「父上、すごく怒ってた。供を連れて歩くのは当たり前のことだ、って。ましてや、知らない男に嫁入り前の身で会って、顔を見せるなど以ての外だ、って」

「そりゃそうだ」

 普通、身分のある女子おなごは外出する際には供を連れ、顔は衣や虫の垂れ衣などを被って隠すものだ。

 於泉は、供を滅多に連れて歩かないし、顔を隠すこともほとんどしないし、何より無断で外に出るからよろしくないのだ。

「女だったら誰でもいいって輩ばっかりなんだ。勝三殿が心配するのは当たり前のことだぞ」

「分かってるけど……」

 余程絞られたらしい。

 いつもなら多少の説教は「けっ、あのクソ親父!」と舌を出しているのに、今日は随分萎れていた。

「ま、しばらくは大人しくしてな。若の様子は教えてやるから」

「……うん……」

 長可が乱暴に頭を掻きぜると、いつもであれば「鬱陶しい!」と手を叩き落される。しかし、今日はそんな元気も残っていないらしかった。

「明日、弓の稽古見てやるから元気出せよ」

「……そんな時間あるの?」

「俺が稽古するついでだったら問題ねえよ。森屋敷こっちからなら、池田家そっちの様子も聞こえるから、呼ばれたらすぐに行けばいい」

 於泉が結局1番元気になれるのは、こういう時なのだ。幼い頃より図体は成長しても、中身は変わっていない。男だ女だと気にせずに、武芸を好んで嗜もうとする。

「お前、男だったらいい武将になっただろうな」

 半分皮肉を込めながら讃えると、於泉は今までで1番と呼んでいいほど愛らしい表情を浮かべて見せた。




 初めて本物の槍を持った時に次いだときめきを覚えたのは、秘密である。

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