【番外編】忍び恋うる【下】


      *


 何度目か、数えるのも鬱陶しくなる溜息。


 長可はイラっとしながら、奇妙丸に貰った南蛮菓子・有平糖あるへいとうを尖った歯で噛み砕いた。

「……ですからね、兄上」

 奇妙丸は聞き飽きているのだろう。半分以上生返事を返しながら、有平糖を食んでいる。庄九郎も冷めかける薄茶を何度も交換して歩いている。長可には、何も出してくれなかった。

「でね、兄上……」

 誰も聞いていないというのに、茶筅丸は目を輝かせ、鼻息を荒くした。

「その女子を探していただきたいのです」

「探してほしいと言われてものぅ……」

 奇妙丸は、顔の横に垂らした一筋の髪を、指先でくるくると弄んだ。

「どこの家の娘かも分からぬのに」

「美しい髪の女子でございました」

「城に出入りできる女子とあらば、大概美しい髪をしていると思うが」

 侍女ならば、ある程度身嗜みだしなみを整えていて然るべきである。

 というより、織田家自体が美形の一族なので、「美しい」というだけでは特徴にならない。

義母上ははうえの侍女と親しいようでした」

「その侍女の名は? 各務野に聞いてみよう」

「分かりません!」

「そこが分からねばどこから探せばよいのじゃ……」

 名前が分からないなら、その親しい侍女とやらを探すところから始めなければならなかった。しかし、そんなことのために帰蝶の手を煩わせるわけにはいかない。


 長可は有平糖を口の中で噛み砕くと、唾液と一緒に腹の中へ落とした。


 茶筅丸は、先日、岐阜城内にて、とある女子とであったらしい。


 その女子とどうしてももう一度会いたいと言うのだが、その娘がどこの家の者か、そもそも武家の姫なのか商人の娘なのか、それすらも分からない。だから奇妙丸の伝手で探してほしいのだ、と言う。


 要は、その娘に一目惚れしたようだった。


 奇妙丸自身、人目を忍ぶ恋をしている身である。

 何より、世間からは阿呆の茶筅様、と陰口を叩かれようと、奇妙丸にとっては同じ母から生まれたただ一人の弟であり、頭が悪くとも可愛い弟なのだ。力になれるならなりたいし、添いたいと言うのなら、側室に呼び寄せてやるのもやぶさかではない。


 しかし、そのその娘の素性が分からぬ以上、奇妙丸には難しい相談であった。

「素直に父上に頼んではどうか」

「厭じゃ!」茶筅丸は頭を振った。「父上って、威圧感が強くて怖いからあまり気安く話したくありません」

 息子としてどうなのかと奇妙丸は眩暈がしたが、確かに父を恐れる気持ちは分からぬでもない。

 はてさてどうするか――。

「その女子の、容姿の特徴は?」

 長可が急に口を開いた。庄九郎に有平糖が乗っていた器を突き出している。お替りを所望しているらしいが、無視されていた。

 こうなれば、似たような容姿の者をかき集めるしかない。

「美しい女子であった」

 茶筅丸がうっとりと酔い痴れたように言った。

「髪は黒絹糸のように艶やかで、色は白く、美しい目をしておりました」

「目?」

の目を」

 庄九郎が蘇芳色の目から光を消した。

 こういう時だけ無意味に聡い茶筅丸は、「ん」と片眉を上げた。

(庄九郎……)

 元々職務の最中は無駄話というものをしない男だが、今日はいつにも増して、口数が少ないとは思っていた。


 その理由がはっきりと分かり、奇妙丸は顔を覆った。


「そういえば庄九郎、お前……」茶筅丸は、じぃ、と庄九郎の顔を覗き込んだ。「お前、黒絹糸の君に似ておるな!」

(似てるも何も……馬鹿茶筅……)

 むしろ何故気が付かないのか、不思議なくらいだった。そして、茶筅丸だから仕方ないのか……と、悲しい結論に辿り着く。父・信長は頭のいい男ではあるが、唯一の間違いは、茶筅丸を早々に養子に出したことだ。もっとまともな知恵を植え付けてから外に出すべきだった。

 普段弟を支えてくれる家臣達に、奇妙丸は心の底から感謝と敬意を抱いた。

「……分かった、茶筅」

 奇妙丸が口を開いた。

「その女子のことじゃ」

 茶筅丸は表情を輝かせ、庄九郎は絶望に満ちた顔で奇妙丸を見た。

「のう、庄九郎?」

「何っ」茶筅丸は庄九郎を見た。くるくるとよく回る首である。「庄九郎、お前、その女子と知り合いなのか!?」

「知り合いも何も……庄九郎とその女子は」

「まさか……!」

 茶筅丸の顔色が変わった。流石に気が付いたらしい。言うほど阿呆ではないようだ。

「まさか、庄九郎の許嫁でございますか!?」

 訂正。阿呆茶筅阿呆茶筅であった。

「その娘は、庄九郎の、御母堂の身内じゃ」

 奇妙丸は頭痛に苦しみながら言った。嘘ではない。庄九郎自身も、庄九郎の生母の身内である。

「残念ながら、紹介することはできん。その娘は、再来月に輿入れを控えておる。少し前まで、花嫁修業で城に上がっておったのじゃ」

「……左様でございますか」

 茶筅丸は子犬のように肩をしょげさせた。半ベソで、挨拶もそこそこに部屋を辞す。

 部屋を辞す直前、茶筅丸は庄九郎に「よしなに伝えてくれ……」と、呟いていた。

「確かに……承りました……」

 庄九郎も若干絶望した顔をしていた。


      *


「何だったんですか、あれ」

 長可が奇妙丸から奪い取った有平糖をぼりぼりと噛む。

 庄九郎の掌にも乗せてやりながら「さぁな」と、奇妙丸は苦笑した。

「あれも年頃ということじゃろ」

 しれっと言いながら、自身も有平糖を食む。

「でも、茶筅丸様が一目惚れするくらいだから、相当美人だったんでしょうね」

 茶筅丸は、北畠家の娘と婚姻を予定している。以前挨拶に連れて来ていたが、色白な美人だった。だが、妻になる予定の姫よりも、惹かれる佳人だったのだろう。


 バキッ、と何かが砕ける音がした。庄九郎の掌である。


 有平糖は、無残な姿に砕け散っていた。掃除の手間を考えたのか、皿の上で。


 奇妙丸は自ら器を避けると、立ち上がった。

「あまり壊すなよ」

 そう言いおき、そそくさと部屋を出て行く。


 庄九郎は、蘇芳の双眸に怒りを湛えた。


「全部……お前のせいだああああああああ!!」


「は!?」


 突然のことに対応し切れず、長可はもろに顔面から庄九郎の蹴りを食らい、鼻血を出す羽目になった。


 ――戦の傍ら、今日も信長の嫡男とその家臣の子らは、健やかに過ごされているようである。

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