忍ぶれど……【弐四】
*
三七の部屋の前に座してから、半刻ほど待っていると、奇妙丸が出て来た。
出て来た瞬間、奇妙丸は冷たい顔をしていた。しかし、庄九郎が声を掛けると、いつも通り艶やかで優しい笑みに戻った。
「三七様と、お話は済みましたか?」
「うん、済んだ。話もできた。……ところで庄九郎」
「はい?」
「顔を上げよ」
命令に従うより先に、顎を持ち上げられた。赤い珊瑚のような双眸に見つめられる。庄九郎はどこを見るべきか、一瞬戸惑った。
「少し……赤くなっておる。痛むか?」
「いえ、然程は」
「そうか。だが、後でお前にも薬をやろう」
奇妙丸の申し出をありがたく受け取りながら、庄九郎は先を歩く主君の後ろに付いて行った。
「しばらくの間、大人しくなされましょうか」
「さあ、な。だが、三七はうつけておるわけでもない。少なくとも、神戸の家には役に立つし、織田家にとって必要な者であるということは間違いない。しばらくは騒ぎも起こさないと思う。……もっとも、治るまでは大人しくせざるを得ないだろうがな」
しかし、と奇妙丸は庄九郎をじろりと見降ろした。愚痴に近い小言が来る合図だ。
「三七のこと、気付いておったなら言え」
「……それは」
庄九郎は口籠った。三七は、母が違っても奇妙丸の弟だからだ。
身内で袂を分かつこと、気持ちが重ならないこと。それが空しいことを庄九郎は常に家で目の当たりにしている。
「この程度ですれ違いなど起こさんわ」
奇妙丸は庄九郎の額を指で弾いた。
「儂は、三七の兄じゃ。茶筅も三七も、可愛くない――と思うわけではない」
茶筅丸が家督を寄越せと喚くのは、じゃれ合いの延長戦の駄々であるということを奇妙丸は知っている。
三七が大人しいふりをしながら、本当は野心が強いということも、奇妙丸が気付いていないわけはなかった。
「茶筅に家督は渡さない。三七にもな」
奇妙丸は拳を握り締めた。
「……今はまだ、兄弟で一番最初に生まれたからだ、と言われてもいい。仕方がない。だが、いつか必ず、『織田の嫡子は奇妙丸じゃ』と、皆に認めさせて見せる。そして」
奇妙丸は拳を握り締めた。今は見えない爪の痕と、心に残り続けるしこりを
「二度と、誰にも俺を虐げさせたりなど、しない。強くなって見せる。誰にも……もう誰にも、負けない」
奇妙丸の足が縁を踏む。少し前までは、蝶のようにしなやかで、優雅なだけの佇まいだった。
今はそこに、力強さも加わっている。
(この方の進む先を、追い駆けよう)
庄九郎は眩しそうに目を細めた。
洗っても、血の色は落ちない。それでいい。武士とは、かくあるものだ。
(俺が進む先に、若がいるから。理由など、それだけで充分だ)
まだ、あの日の月の精から出された問いに、はっきりとした答えは出せていない。しかし、少しだけ「答え」に近付けたから、それだけで充分だった。
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