忍ぶれど……【弐参】



 幼い頃、火鉢に手を入れたことがある。

 いつもなら黒い炭が赤くほんのりと光るのが不思議で仕方がなかった。

 母が悲鳴を上げるのと、泣き叫ぶのは同じだった。


 肌が、あの時のように燃えるように痛む。声が擦れ、うまく出すことができない。

お陰で、侍女や小姓を口止めし、薬師を呼ばせないようにすることに苦労した。


(すまん、新八郎しんぱちろう……)


 今頃、自分と同じように寝込んでいる近時に詫びる。ふとした拍子に身じろぐと、それだけで寝衣や夜着で肌が擦れた。唸り声を堪えることに苦労する。


「三七」


 部屋の前に人が来ているのに気が付かなかった。慌てて褥から出ようとし、また肌が擦れた。


「入るぞ」


 宣言と同時に、戸が開けられ、人が入って来る。


長兄である奇妙丸だった。


 奇妙丸は顔の横に垂らした髪を肩の上に弾くと、三七の枕元に座った。


「怪我をしたと聞いた。無事か?」

「だ、誰から聞いたのです?」

「そなたの侍女達――ここに来る前、新八郎が厠に行こうとしているのに行き会ってな。……新八郎達を責めるでないぞ? 儂がどうにか頼むと、頭を下げて教えて貰うたのじゃ」


 織田の継嗣に頭を下げられたら、新八郎は従わないという選択肢がない。


 奇妙丸が膝を突き、顔を伏せたままの三七の顎に指を掛けた。


 薄暗い部屋の中に輝く、珊瑚色。2つの宝玉は、愉悦の2文字が浮かび上がっている。


「南蛮胡椒のせいか、可哀想に。……あれは、一度触れると、火傷したようにかぶれるからな」


 奇妙丸の指先が顎から離れる。

 奇妙丸は袖の中に手を入れると、蛤を取り出した。

「よく効くらしいぞ。使ってみい。効いたら、新八郎にも塗ってやれ」

「勿体なきお気遣い……深く御礼申し上げます」

「三七、そのまま……」

 奇妙丸の掠れ気味の声が艶めいたように響き渡る。貝殻が空けられると、蓬色の軟膏が姿を現す。

 貝殻の表面には、白菊が描かれていた。


 奇妙丸は指の腹に蓬色の軟膏を乗せると、三七の頬に塗り付けた。

 這い回る兄の指先に、三七はぴくん、と肩を揺らした。


「すまぬ。痛むか」

「い、いいえ……ご無礼を」

「なに、無礼などとは思うておらぬよ。ただ――痛み付ける理由を持たぬ者に、痛みを植え付けることなどできまいて」


 奇妙丸がにっこりと笑みを深めた。紅を乗せているわけでもないのに、唇が煌めいた。


「――儂の臣下は、強かろう。勝つためには手段を選ばぬ。卑怯なことも、勝つためとあらば平然とやってのける。……そういう男じゃ」」

「な、何のことでしょう」

 目を泳がせる三七三七の頬や額、唇の上を奇妙丸の指が動き回る。

 首筋に触れた時、一旦動きが止まった。


「――大人しゅうしておれ。文句があるなら、儂に直接果たし状でも何でも送り付けよ。相手になろう」


 奇妙丸の言葉に、三七は背筋を凍り付かせた。


 奇妙丸は三七の掌に軟膏を入れた薬入れを持たせると、静かに部屋を後にした。

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