忍ぶれど……【拾壱】
*
「へえ! 随分面白いことになってますね」
へらへらと笑う政右衛門に、庄九郎はびきりと青筋を浮かび上がらせた。やっぱりこんな奴に言うんじゃなかった、と後悔しても後の祭りである。
「しかし、若にしては珍しいですね。一対一での呼び出しに応じるなんて。こういうの、いつもなら無視してるでしょ」
「そうでもない」
「御役目」――刀を持たない中身の時は、政右衛門のことを伴わず、1人出かけることもままある。
それに、今回ふみをけしかけたのは、庄九郎の方だ。挑発に応じたわけではない。むしろ、逆にした側である。
「そんなに衝撃的でした?」
「何が」
「おふみ殿が間者だったこと」
庄九郎は政右衛門を睨み付けた。いくら屋敷の敷地内に入ったからと言って、大声で話す内容ではない。
おや、と政右衛門がわざとらしく肩を竦めた。一睨みして、それきりの会話を禁じる。
(覚えていた。おふみが間者だということくらい、最初から)
身のこなしといい、珍しい輝きの髪色といい、間違いない。奇妙丸を襲撃した草の者に相違ない。
あの時、仕留め損なった自分を呪った。確実に弑していれば、こんなことで悩まずに済んだものを。
どこかで、別人であってくれれば良かったのに――そう思う気持ちも、嘘ではない。
「しかし、男だなんて信じられませんね。あのおふみ殿が。だって、どう見たって女人じゃないですか。……っと、見た目が女人、という人は、目の前にもいましたね」
「いい加減に黙れ。口の中に泥、突っ込まれたいか」
怖い怖い、と政右衛門が楽しそうに歩く。次に喋った暁には、鳥兜をすり潰して粉にしたものを飲ませてやろう、と庄九郎は決意した。
女子にしては背が高い。――男ならば、少し低いくらいだ。
女子にしては低い声。――少年ならば、まだ高い。声が変わる前なのかもしれない。
(何だかなぁ……)
胃の上の辺りがつきりと痛む。
屋敷に上がると、於泉の部屋の方が騒がしかった。
*
「兄様ー」
足音と衣擦れを立てて、鮎が駆け寄って来る。庄九郎は眉を顰めた。
「鮎。そんな風に足音を立てて走るのはやめなさい、と散々言っただろう」
「だってぇ」
鮎は目を丸く見開くと、庄九郎の陰に隠れた。
政右衛門は年の割に肩幅がある上、阿呆のごとく声が大きい。そのため、於泉以外の弟妹や、子飼い達からは若干の苦手意識を抱かれている節がある。
鮎は背伸びをして、庄九郎に纏わり付いた。
「今ね、姉様のお部屋にお客人がいらしているの」
「客人? 勝蔵か?」
今、長可は岐阜にいない。居城である金山に戻って来る。次に来るのは、もう少し先だと聞いていたのだが。
「すごく綺麗な人。お城の、奥方様にお仕えしている方だって」
庄九郎は鮎の手を振りほどいた。
(しまった!)
ふみとて、歴戦を潜り抜けている。庄九郎動揺、「裏」を知る猛者だ。
ふみは、於泉が庄九郎の
「於泉ッ!」
部屋の扉を吹き飛ばさん勢いで開いた。
「あら、兄上」
お帰りなさーい、と於泉はあっけらかんと言い放った。今朝、見送りに来た時同様、承和色に蝶の模様が走った小袖に蘭茶の帯を締めている。髪はいつも通り、赤い結布が揺れていた。
そして、その隣にはふみと柚乃がにこにこと笑いながら控えている。
「池田様、お邪魔しております。
「あ、いえ……」
変わり身の早さと、庄九郎と部屋の温度差に毒気が抜かれかけた。
「兄上ったら、すごい汗」
於泉は柚乃に手拭いを持って来てくれるよう命じた。
「そんなにおふみ殿にお会いしたかったの?」
「そんなんじゃないっ」
がおう、と庄九郎が吼えると、ふみが口元に袖を当ててくすくすと笑みを零した。何も知らない男が見たら確実に魅せられるだろう。しかし、庄九郎には高みの見物をする狼のようにしか見えなかった。
「斯様な恐ろしいことを申されますな、於泉様。そのようなことが万が一あった場合、私は、庄九郎様に想いを寄せる女子達から八つ裂きにされてしまいます」
(ど の 口 が 言 う か !)
ふみなら確実に返り討ちにできるだろう。城の女達は一通りの武芸を嗜んでいることが多い。しかし、あくまで護身用に過ぎない。実践には不向きだった。
「えー、おふみ殿のようなお綺麗な方なら、誰も何も言いませんよぅ。しかも、若の
「従姉妹と血の繋がりはございませぬ。私は御屋形様ではなく、奥方様の姪ですから」
(嘘吐け)
白々しいふみの言葉に眩暈がして来た。政右衛門が笑い転げそうになるのを思わず蹴り飛ばす。
視線を何気なく下ろすと、於泉の足元から薬草の臭いがする。足首には包帯が巻かれていた。
「怪我、したのか」
「あ、そうなの」
於泉が痛た、と大袈裟に組んだ足を解いた。はしたない、と叱り付けてもしれっとしている。すらりと伸びた足首には、少しだけ血が滲んでいた。
「若のところに行っていたんだけど、帰りに躓いて転んじゃった。鼻緒が切れてしまって……。困っていたところに、おふみ殿が偶然通り掛かって、処置をしてくださったのよ」
「お役に立てて、よかったです。傷口を毎日洗って薬を塗って、当て布も毎晩変えてください」
「おふみ殿、手持ちの薬草であっという間に手当てしてくださったのよ。すごいと思わない? わたし、笹くらいしか知らなかったのに」
於泉が褒め称えると、ふみは照れたように頬を染めた。
「亡き母から教わりました。覚えておくと、便利だから、と」
「おふみ殿の母御前様は、博識な方だったんですね。母御前様が奥方様の妹姫様なんでしょう?」
「於泉」
まだ喋りたがる於泉とふみの間に割って入る。
於泉は目に見えて膨れた顔をしたが、気が付かないふりをした。
「おふみ殿、ちょうど――」
侍女が文箱を携えて御簾を潜った。
「おふみ殿は、奥方様からの文を届けにいらしたのだろう。返事が書きあがったようだ。お持ちせねば」
「えー、もう?」
於泉が寂しそうに眉根を寄せてから、ふみに近づいた。
「おふみ殿。またいらしてくれますか?」
「於泉」
「だって兄上。わたし、とっても楽しかったの。おふみ殿、手当てをしてくださってありがとうございました」
ふみは、顔をくしゃりと歪めた。
「いいえ……当たり前のことをしたまでのこと。痕が残らないと良いのですが」
城まで送ると言うと、ふみは抵抗しなかった。が、於泉に向けていたような慈愛の深い笑顔は一瞬で消え失せた。庄九郎もまた、妹達に気取られないように殺意を纏わせて歩く。
*
城までの道――を逸れて進む。
人がいなくなるに連れ、徐々に双方が放つ殺気は濃いものへと際立って行った。
「まるで役者か何かかと思った。於泉も、お前がまさか草などとは思わないだろう」
基本、於泉は誰に対しても分け隔てなく接し、人見知りもしない。手当てしてくれた美女が他国からの草などと、それも奇妙丸を殺そうとした男だとは思うまい。
――ましてや、自分に怪我を負わせた犯人であるなどと。
於泉の草履は、鼻緒が切れやすいように細工が施してあった。奇妙丸の屋敷に上がる際に脱いだ隙を狙ったのだろう。
「読みやすい御方ですね」
ふみが目を細めた。
「一見すると、年よりも大人びて見える――なのに、於泉様はとても純粋な御心の持ち主なのですね。――あなたと違って」
ふみの双眸が青白く光った。
庄九郎の瞳が赤に近い蘇芳色なので、絡み合うと、月と太陽が反発しあうように思える。
浮かぶ時間は昼と夜。双方が決して混じり合うことはなかった。
「……
「え?」
「私の主がくださった名」
庄九郎は鼻を鳴らした。趣味が良いとは、おおよそ言い難い名だった。生け簀の中で飼い慣らされていることにすら、目の前の者は気が付いていないのだろう。
「昼間にした約束をお預け願いたく、馳せ参じました」
「逃げる気か」
庄九郎の挑発にも、ふみは乗って来ない。静かに頭を振るだけだ。
「逃げません。水の中でしか生きられない鯉が、どこに行くと言うのです? ――もうすぐ、若殿主催の茶会が催されます。あなた様は若殿のお気に入り。その麗しき
白い指が庄九郎の頬を擽った。
ふみの髪が風に翻った。月の精のような妖艶な瞳に囚われてしまいそうになる。
「確かにな。俺がお前の体に傷をつけても、外聞が悪い。お前も都合が悪いだろう」
「ええ。折角、可愛いと褒めていただいておりますので」
「女子として振る舞う以上、体に必要以上傷があるわけにはいかないだろう」
「……振る舞う?」
ふみの顔から表情がまた消えた。
庄九郎はそのことを気にも留めないまま、話を進める。
「茶会は来月。それ以降だな。武士に二言はない。男同士の約束だ」
「……お待ちを」
ふみの手がぷるぷると震えた。
「今、何と?」
わざわざ作ったであろう女声での怒りも、自然なものだった。
「だから、二言はないと」
「その前ですっ!」
「茶会は再来月」
「その間!」
「……分かった分かった、隠さないでもいい」
もう、庄九郎は気付いているのだ。
「そなたが男であることは」
「……ッ!!!!」
ふみの頬が真っ赤に染まった。初めて、ふみの素を見たかもしれない――などと感傷に浸る間もない。右の掌が庄九郎の頬をひっ捕らえた。
「だ、誰が男ですか!! 私はれっきとした女子にございますッ!!!」
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