忍ぶれど……【拾弐】
*
笑い声が人を変えながら振って来る。庄九郎はむっつりとしたまま、職務に精を出していた。
まず、起きて早々政右衛門に大笑いされた。通りすがった柚乃は遠慮がちに俯きながら、肩を震わせていた。弟妹には一通り馬鹿にされて通られた。
奇妙丸にも「たわけめ」と叱責されたが、声も肩も静かに震えていた。
そして今、一番会いたくなかった長可からしつこく付き纏われている。
眉間に皺を寄せる庄九郎の頬は、桃のように丸く腫れ上がっている。明らかに女子の物と分かる掌の痕まで付いて。
「無理やり迫ったのか? なあ」
「うるさい」
「相手はあれだろ。奥方様の侍女の」
「答えん!」
(言えるか! 女装していると思っていたけど、間違うことなく女子だった、なんて!)
洗練された身のこなしと中世的な美貌、低めの声。それだけの要素で、勝手に男だと早合点した。事実、背丈や体付きなどは、男女両方にも見える。
何より、庄九郎自身、「御役目」の時には必要とあらば女の着物を身に付けたり紅を差したりすることがある。だからこそ、ふみも同じだろうと思ったのだった。
年の割には胸も腫れていなかったから――などと言ったら、無礼の上塗りをするだけだし、於泉からも蹴られそうなので口には出さなかったが。
(謝り……に行った方がよいのだろうか)
しかし、庄九郎の頬は城内に知れ渡ってしまっている。今ふみに会いに行ったら、頬の相手がふみだと公言しに行っているようなものだ。痴情の縺れと噂されたら、ふみにますます恥をかかせることになる。
嘆息すると、長可が「……あ」と声を漏らしながら、肩を揺さぶって来た。
「来てるぞ、お前の想い人」
「は?」
苛立ちを隠さずに振り返ると、びくっ、と月光の精が居竦んだ。
長可はにやりと笑うと、ぽん、と庄九郎の方を叩いた。「頑張れよ」と鬱陶しい囁きを残して。
ふみのいる場所に駆け寄ると、ふみが困ったように眉根を寄せた。
「あの……痛いですか……?」
「ああ、それはもう。どこぞのどなたかが、無遠慮に引っ叩いてくだされたものですから」
つっけんどんな物言いになってしまったのは否めない。ふみは困ったように俯き、手を擦り合わせた。
「だ、だって……まさか男と間違われるなどと思わなくて……そりゃ、私は胸も薄いし、背も高いし……声だって他の女子に比べれば低いですけど……」
徐々にふみの声が低くなり、最後の方はしっかり聴こうとしなければ聞き取れないほどか細かった。
「……それについてはすまぬことをした」
この一件に関しては、庄九郎はひたすら謝ることしかできない。
「でも……あの時点では殺す気はなかったんです。本当ですよ」
頬を吹き飛ばさん勢いで叩き飛ばされ、庄九郎は意識を飛ばした。目を覚ました時に最初に映ったのは、見慣れた天井と朝日、そして笑いを堪える気もない政右衛門の腹立たしい顔だった。
鮎は「一晩目覚めなかったから死んだのかと思いました!」とあっけらかんと言い放ったので、庄九郎はがくりと肩を落とした。簡単に殺されてたまるかとは思いつつ、危うく死にかけたのは事実でもあった。
ふみが庄九郎の頬に手を伸ばして来た。ぴりり、と軽い痺れが訪れる。ふみの指先が離れると同時に、薬草の匂いが広がった。
「
「……臭い」
「失礼な方への仕返しと思って、大人しくお使いください」
ふみは庄九郎の掌に貝殻を乗せた。中には適量の塗り薬が載せてある。
「あの時の傷は、癒えたか」
ふみの目が一瞬泳いだ。
「……いいえ。あの傷は、もう癒えることはありません。きっと、この先もずっと残り続けます」
「そうか。……それは、」
「謝っていただかなくて、結構です」
ふみが拒絶するように視線を反らした。
「私にとって、私の主からいただくご命令は、命なぞより遥かに大切なものです。あなた様にとっても、同じことでしょう。若殿のためなら、命を捨てても構わないと思えるほど――」
ふみの言うとおりだった。奇妙丸のためなら、庄九郎はその身を捨てることも厭わない。
あの目を二度と曇らせないためなら、庄九郎は何でもする。
「仮にもし、逆の立場であったのなら、私は、あなたの弟妹のどなたかを――……」
ふみが睫毛を伏せた。小姓達の声が遠くで響いた。
ふみは頭を軽く下げると、また人好きのする笑みを浮かべた。
――庄九郎の、好きではない顔。
「池田様、ご無礼致しました。私はこれにて、失礼致します」
衣擦れと、床板を踏み締める音が鳴り響く。
庄九郎は流れる黒髪に見惚れながら、男とも言えぬ思いで掌の貝殻を見つめた。
貝殻の表面には、夕顔の白い花が描かれていた。
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