5-3

 事態は深刻だけれど、私は日に日に元気というか、頑丈になっていっている。

 ――極端に変わったということは無いのだけれど、病院でのリハビリがてらに続けていた運動がどうにも功を奏しているらしい。

 だからなのか、鍋島さんから受ける護身術の手ほどきにもどうにかついて行けている。まあこれは、鍋島さんの加減が上手だというのが大部分を占めていると思う。


 鍋島さんとの訓練が多くなった一方、椎名さんとの道術の修練の時間はかなり少なくなった。武術と違って道術は、基礎の部分が分かれば教本だけでもそれなりに習得が可能なのだという。実際、椎名さんに貰った教本にあるお札や宿星図の書き方を真似るだけでもある程度の体重道具は作れた。

 それだけでも充分なぐらいなのに、椎名さんは定期的に連絡を入れてくれる。お互いスマホを持っていたので、テレビ電話に切り替えて道具のできを見てもらえるのはありがたかった。


 そうやって一週間ほどを忙しく過ごした。訓練は順調だったけれど、獣祓いの見回りは成果が無かった。獣が見つからないのは良いことだなのだが、不安は拭えない。

 一つ吉報があるとすれば、見回りの間に被害者と思われていた二人の女の子が見つかったことだ。一人は単に家出をしていただけだったが、もう一人は、残念ながら遺体として見つかった。獣化の兆候が見られない遺体は警察の手で家族に引き渡され、一般的な形式で荼毘だびに付されて埋葬されるらしい。

「……この調子で、他の子たちも見つかればいいのですが」

 事務所の居間で、テレビを見ながら鍋島さんはそう呟いた。見回りと訓練を終えた後のことだ。テレビでは夕方のニュースをやっていた。遺体が見つかったこと、そして容疑者の男が被疑者死亡のまま起訴されたことが報道されていた。

「後は、証拠から余罪がつまびらかに明かされることを願うばかりですね……」

「これで本件は、獣事件としてだけではなく、一般の事件としても捜査の手が入るんですね。これを機に、一気に捜査が進展するんでしょうか……」

「そうだと、いいのですけどね。ただ……堀さんの話では、捜査が少し難航しているらしくて」

「難航?」

 鍋島さんはひとつ頷き、小さく溜め息を吐いた。

「どうやらご家族の方が、捜査に非協力的らしいです。特にお母様の方が、息子はそんなことをするような子じゃないの一点張りで……事情聴取でも捜査をかく乱させるようなことばかりを言ったり、容疑者の私物を隠したりということがあったそうです」

「……どんな人でも、我が子は我が子なんでしょうね」

「そうですね。少し……羨ましいですね」

 殊更小さく吐かれた言葉に首を傾げる。羨ましい? 過保護なお母さんが? ――そういえば、鍋島さんの家族のことなんて一つも知らないな。プライベートなことなので深く突っ込んで聞くつもりも無いけれど……にしても本当に、プライベートなことはほとんど知らないな。音楽や食の趣味だったりはたまに話したりするのだけれど。まあ、職場の上司と部下みたいなものだし、そういうものか。


 十分ほど休憩してから、その日は帰宅した。いつもなら望月さんや、日によっては椎名さんも交えて一緒に夕食を食べるのだけれど、今日はそうもいかなかった。外では風が唸り、窓ががたがたと音を立てて揺れている。台風が来ていた。



 彼岸の手前に日本列島を直撃した台風は、各地に相当な爪痕を残していった。ただ、この辺りはやや強い風が吹いた程度で大した被害も出なかった。事務所の方も、河原が飛んだり窓が割れたりといったことも無かったようだ。台風一過の翌日は暑かったものの二、三日もすれば気温はぐっとさがり、涼しい風が吹く快適な温度になった。

 毎朝、退院後からの密かな日課になっていたランニングをしていると、川の土手に彼岸花が咲いているのが見えた。もう秋だ。時の流れが速く感じるけれど、私が獣祓い師になると決めてから――そして両親の命日から、半年どころかまだ三ヶ月も経っていないのだった。


 獣祓い師として私は、新米どころか試用期間もいいところだ。というより、まだ見習いの三文字すら消えていない。正式な獣祓い師ではないのだが。

 見習いだろうが何だろうが、時運の巡り合わせがそうさせるのなら、分不相応の事件にぶつかることもある。


 獣災。――ある地区ごと封鎖、住民を避難させた後に獣祓いをしなければならない程に獣が大量発生する事件。


「……できることなら、明星さんには待機していてほしいんです。いかに適性が高くとも、まだ明星さんは見習いという立場ですから」


 そう言った鍋島さんは、ハンドルを握り車を走らせていた。運転中だから当然視線は合わない。前を見つめる目は険しく、そして苦渋に満ちているように見えた。

「けれどもう、そうも言ってられません。椎名さんも手伝ってくれていますが、お一人では祭器で大規模結界を張り、獣の活動をある程度抑制するのが限度です。二人がかりで結界を強化してもらうことも考えていましたが……」

「すみません、私がまだ……そういうことができるほどじゃない、未熟者なせいで」

「未熟者だなんて! 本当に未熟でしか無いのなら、獣災祓いに駆り出したりしませんよ。獣の索敵と足止めは、祭器を二人がかりで使うより現地に一人特化した人が来る方が何倍も効果がありますし、その効果を引き出せるほどには、明星さんは力を付けていますよ」

 弱気は厳禁のようだ。当たり前かもしれない。仕事をするにあたって『その仕事ができるほどの力はありません』なんて、何をしに来たんだという話になってしまう。

「鍋島さん、私……頑張ります」

「はい。なるべく無茶はしないで……獣を祓う役割は僕が担います。明星さんはサポートに徹してください」

「分かりました」

 話している内に、車は道路を走り抜けて住宅街へと入っていった。一戸建ての新居が並んでいる、いわゆるニュータウンというやつだった。緩やかな上り坂を昇っていくと、道にロープが張られ、車の通行を遮っていた。警察が使うような規制線かと思いきや、それはロープだった。先に来た椎名さんが施したものだろう。規制線の手前の道には、警察車両が二台ほど止まっていた。鍋島さんも同じ路地に縦列駐車をする。

 車から降りると、警察車両のうちの一台のドアが開いた。車には見覚えがあった。

「堀さん。お疲れさまです」

「鍋島さん、明星さん。いえ、疲れるほどのことはしていませんよ」

 そこにいたのは堀さんだった。本当によく働いている、というか他に人材はいないのだろうか――かと思いきや、

「住民の避難誘導は完了しています。私は現状連絡役としてここで待機してますが、他数名は封鎖区域にて警らを敢行。逃げ遅れた住民、他迷い込んだ人などがいないか見回っているところです」

「分かりました。ただ、これから本格的な獣祓いに移行します。獣祓い師の資格を持たれていない方については退避していただいた方が良いかと」

「そのように通達しましょう」

 対獣課には獣祓い師の資格を持った人もいる、というのは入院中に警察の原田さんから聞いたことだ。聞いてもいないのに一方的に喋り倒し、後から来た椎名さんに追い払われてたっけ。キャンプ場であれほど大騒ぎしていたのに、自分も獣祓い師になって対獣課に入りたいと言っていたのだから驚きだ。

 ――ところで椎名さんはというと、車中ですでに連絡が付いていた。

『あー、私いま結構獣災のど真ん中にいるから。獣道遮断する形で居座って結界張ってるから、私の心配はしなくていいんだけどさー。呼んだ応援がこっちくるまで一時間弱かかりそうだから、無理しない程度にやっちゃって?』

 とのことだ。心配はしなくてもいいと言うが、鍋島さんと打ち合わせた結果まずはそちらとの合流を優先しよう、ということになっていた。

「私はこちらで待機しています。何かありましたらご連絡ください」

「分かりました。万が一獣が結界の外に出た場合は、封印区域外に住んでいる方の避難誘導もお願いします」

「お任せ下さい。鍋島さん、明星さん……ご武運を」

 はい、と声を合わせて答える。そして、鍋島さんの後について、しめ縄をまたいで封印区域の中に入った。

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