五章『三十路女、獣災を知る』
5-1
車が向かった先にあったのは河原だった。事務所から川沿いに北上したところにある河原で、近くにはガソリンスタンドやチェーン店の牛丼屋などがあるが、土手から下った先はそれらの店の光がほとんど届かず真っ暗だった。
鍋島さんはというと、かつてはおそらく飲食店があったのだろう廃屋の裏手に、背中を預けて立っていた。
「鍋島さん……!」
潰れた店の敷地に勝手に車を止めて鍋島さんに駆け寄る。脇腹を手で押さえていた鍋島さんは、はっとして顔を上げ、驚いたように目を見開いた。
「明星さん、どうして……まだ怪我が治っていないのに」
「私が一緒に行く? って聞いて、はいって二つ返事で言った、だから連れてきた。文句はある?」
「ありますよ! 獣祓いに成功したとはいえ、まだ周辺に別の個体がいないとは限らないんですよ? 明星さんが巻き込まれでもしたら……」
「巻き込まれる? 覚悟の上でしょ?」
椎名さんに言われ、ただ首肯する。はい、と遅れて声が出た。戦い抜く意思ではなく、死んでしまってもしょうがない――そんな思いが覚悟なのかは分からないけれど、ともかく、この仕事に負傷や死の危険があることなど百も承知だった。
「私に意見できるようになるなんて、肝が据わってきていいことだとは思うけどね? そんなことより車に乗る! 傷の手当てするから」
「分かりました。ただ、周囲の警戒はまだしておいた方がいいかと……あの獣が人を襲っていたら、それがまた新しい獣になっているかもしれませんし」
「あ、じゃあそれ、私がやります」
鍋島さんは負傷しているし、椎名さんはそれを治さないといけない。必然的に、それは私がやる仕事だった。しかし、明星さんは口を閉ざし、視線を泳がせていた。……新人には任せておけない、みたいな感じだろうか――と想像を働かせかけたものの。よく考えたら、私は見張り一つろくにできずに負傷したということを思い出せなかった。そりゃ鍋島さんからすれば任せたくは無いだろう。
「あの……今度はちゃんと、見付けたらすぐに知らせます。あの時は……すみませんでした」
「え……? あっ、ち、違う、違うんです明星さん、僕は――」
「はいもうそこまで! そういうの、全部落ち着いてからにしなよ? 美夏ちゃん、偵察おねがいね。それとついでに、対獣課にここに出た獣の報告もしといて」
「あ、はい……分かりました」
僕は、のその先が気になったものの、確かにそれは落ち着いた後で話した方がいいことだ。いまは安全確認の方が先だった。
鍋島さんは、椎名さんに肩を借りて車へと向かっていった。椎名さんの車に乗せるのかと思いきや、鍋島さんの車に放り込まれている。ああ、スポーツカーだと狭いし……と、そんなことは気にしなくていい。
駐車場を離れて土手の方へと向かう。道路が一本通っており、電柱に取り付けられた街灯が光を放っている。ただ、やはり街灯の光は河原には届いていない。懐中電灯をバッグから出し、ざっと眺めたが見える範囲には動くものは無く、そもそも夜の暗さと生い茂る雑草のせいで見えない場所の方が多い。直に目視で獣を警戒するのはやはり無理がある。道術を使って対処した方が良いだろう。
懐中電灯を右手に持ったまま、もう片方の手でバッグを開けて手を中に突っ込む。以前と大して持ってきている物は変わっていない。銀のケースをもう一個増やして、そっちは式神のお札が入れてある。そっちのケースから一枚取り出して空に放つ。お札は空中で姿を変え、紙でできたカラスの形になった。前に椎名さんに教えてもらった、ヤタガラスのお札だ。紙のカラスは高く飛び上がると河原の方へと飛び、空き地の中で一度旋回したものの、すぐにその場を離れてまた高く浮かび上がった。そして、大きく弧を描きながら空を飛ぶ。周囲百メートルほどの哨戒。これで充分か分からないので、もう一枚範囲を拡張したヤタガラスのお札を使う。そういえば、椎名さんはあの水盆を持ち出さなかったな……あれはかなり広い範囲を捜索するものだし、獣に襲撃された人の獣化を警戒するならそれよりも狭い効果範囲の道術で充分、という判断なのだろう。
魔素をまとい、夜の空を飛ぶ式神は戻ってくる気配を見せない。どうやら獣の反応は無い様子だ。式神が正常に動いていることを願いつつ、対獣課に電話をかけることにする。電話帳にある番号にかけると、すぐ電話が繋がった。
『はい、こちら対獣課です』
電話に出たのは堀さんだった。あまり私から電話をかけたことはないが、いつも堀さんが出ているような気がする。
「明星です、堀さん」
『ああ、明星さん。どうされましたか?』
「鍋島さんが追っていた獣のことについてなんですが――」
手短に状況を報告する。言うことはあまり多くなかった。鍋島さんが獣を祓ったものの負傷したという程度のことだ。どう報告するにしろ、あとで報告書を提出することになっているので現状での報告はこの程度でいいらしい。
『ご報告ありがとうございます。ところで、その件について捜査したところ、分かってきたことがありまして……』
「分かってきたこと、ですか?」
『後で書面でも提出する予定なのですが、さらなる獣被害を抑えるためにも取り急ぎご報告しますね。今回の獣を含め、複数の獣について、ある連続殺人の被害者である可能性が濃厚となってきました』
「連続殺人……」
『しかもこの件は……被害者が全員女児なのです。ここ数日で鍋島さんが祓った獣を含め、誘拐や行方不明として届け出られたものです。……あのキャンプ場での事件とも繋がっています』
ああ、と思わず声が出た。二体出た獣のうち一体が、未成年者に対する淫行での逮捕歴があったという話だった。余罪は捜査中らしいけれど――
「あの獣化した人によって生まれた被害者が、獣になっている可能性が高い……ということですか」
『はい。とはいえ……犯罪による精神的苦痛を軽視するわけではないのですが、それだけですぐ獣になってしまう、ということではありません。強い思いを抱いたまま死ぬ……証拠はほとんど残されていませんが、状況証拠から、性的暴行の末殺害されるか自殺してしまった被害者なのではないかと』
聞いているだけで胸糞悪くなる話だった。さらに詳しく話を聞くと、私が怪我で休んでる間に鍋島さんが祓った獣のうち、殺害や死体遺棄の現場が見つかっているものがあることも分かった。
『こうなると、この犯人である男が接触した可能性のある、ここ数年の間に行方が分からなくなっている女児は全て獣化の危険性があることになります。十人以下にまで絞れてはいますが……』
「その十人が全員、獣になっている可能性もある、と……」
人が獣になるのと、獣が人を襲うまでの時間は、結構なラグがある。死後数年経った死者が獣となることもあり得るし、人を襲った獣が実は数ヶ月もの間、人を襲わなかったという事例もある、らしい。とはいえ十人もの人が被害に遭っている可能性を考えると、楽観視は一切できない状況だった。
何よりも嫌だと思ったのは、被害者でしかない人が、否応なく加害者に回る可能性があることだった。嫌悪、というより、ただやるせなかった。
一通り情報を交換し終え、電話を切った。二羽の式神は、夜の闇に溶け込んでほとんど姿が見えなかった。何かを見付けた様子は無い。この周辺に、被害者となり、そして加害者になるかもしれない人はいない。その事実が少しだけ、気分を軽くさせた。
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