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 その後も、道術の習得は続いた。椎名さんは予定通り顔を見せてくれる一方、鍋島さんは事務所を開けることが多くなった。基本的に、療養に専念するということになっているので私が事務所に行くのは椎名さんが来る時だけで、鍋島さんと顔を合わせられたのは一度か二度しか無かった。その時も、椎名さんと何かを話し込んで入る様子で、横から口を挟めるような雰囲気では無かった。

 ただ、会話が全く無かったわけではない。

「明星さん、お加減はどうですか? 腕、大丈夫ですか?」

 事務所に顔を出して早々、玄関先でのことだった。いまから出る予定だったのだろう、鍋島さんは右手に杖を持っていた。

「大丈夫っぽいです……骨はほぼくっついてるって、お医者さんも言ってましたし。椎名さんも治療を施してくれましたし」

「そうでしたか! やっぱり椎名さんの道術は凄いですね」

「おっ、どうした師弟よ? 褒めても何も出ないぞー?」

 鍋島さんの背後からひょっこりと椎名さんが顔を出した。鍋島さんは小さく笑って「褒めるというか、事実じゃないですか」と言う。しかし椎名さんは手を軽く顔の前で振って、

「いやー褒めてるでしょ? 褒めるためじゃないのに事実として道術の腕前の話なんてしないって」

「う……それは、そうですね」

「ま、賞賛したくなる腕と経験があるとは思ってるけど、あくまで私は研究職。現場でどう戦うか、教えたり指示するのは一葉だからね」

 いきなり話題の方向性が変わって、鍋島さんは少し驚いたような、動揺したような様子で固まってしまった。それから、少し苦く笑って、

「そうですね。僕は明星さんの、上師なんですよね」

 と言った。そして私の方を向き直る。苦笑はもう浮かべていなかった。

「明星さん。腕が治ったら、戦い方というか……護身術程度ですが、教えようと思います。道術中心の動きになる明星さんに、どこまで適切に教えられるか分かりませんが……」

「こら、自信なさげに言わない。こいつ大丈夫か? って思われちゃうでしょー?」

「あ、いえ……そんなことないですよ。予防線、張りたくなっちゃいますよね」

「はは……自信が無い、わけじゃないつもりなんですけどね。なにぶん初めてすることですから」

 ああ、分かる。というか、初めてのことじゃなくても私だってそうなることがある。でも本当は分かっているのだ。予防線を張っても張らなくても、失敗したら相手から失望されることには変わりないんだって。

「それじゃ、行ってきます。椎名さん、明星さんを頼みます」

「任せといてよ。期待の星の美夏ちゃんには、片足突っ込んだ道術の沼にふかーく沈んでもらわないといけないんだから。ふふふふふ……あ、ゆっくり帰ってきてくれていいよ」

「……あの、出て行きにくいんですが。ほんと、勘弁してくださいよ……師匠に叱られるのは慣れたもんですけど、明星さんに何かあったら本当にいたたまれないんで」

「ちょっと! まるで私が美夏ちゃんにアヤシイことするみたいな言い草じゃない!」

「しないんですか?」

 横から尋ねてみる。言った後で、自分がこうもすんなり会話に混じれることに少し驚いた。が、そんなことはすぐどうでも良くなった。

「し、しないしないしない」

「……本当に?」

「ああっ! 信用されてない! 一葉、もーどうしてくれんの! 信用を損ねちゃったことについて責任感じたりしない?」

「こういうことで責任感じるのにも慣れました」

「慣れるなー!」

 怒る素振りを見せる椎名さんをスルーして、鍋島さんは事務所を出て行った。容赦が無い。本当に、慣れ親しんだ仲なのだろう。……それだけに、私に支えてほしいと椎名さんが言うのが不思議だった。

 まあたぶん、椎名さんは弟子への教育や研究といったことで忙しいから、弟子として身近にいることになる私に頼んだというだけなのだろう。けど身近、というのなら事務所を提供した上で共同生活をしているらしい、宮司の望月さんだっているわけだし……特に何かしなくてもいいと言っていたのだから、一応見といて、ぐらいのニュアンスなのだろう。



 その日も一日、道術の修練に明け暮れた。途中、昼になると望月さんを交えて食事を取るのももう慣れたものだった。料理は基本的に望月さんが作ってくれていた。望月さんにやらせるのはなんだか気が引けるのだけれど、私は左腕骨折で手伝いしかできず、椎名さんの料理は少し刺激が強すぎる。椎名さんの料理が不味いというわけじゃない。ただ、大抵は香辛料が多くて口か鼻をやられながら食事を取る羽目になるのだ。


 そして昼食だけではなく、時には夕食まで相伴に預かる。給料をもらってる上、昼と夕の二回分の食事もとなると宮司さんや鍋島さんにたかってるような気がして申し訳無いのだが、事務所を置くだけで補助金が出ているのだから気にしなくて言いと言われている。――前々から思ってたけど、国からの支援が手厚いというか、警察とか消防とかの組織と獣祓い師は、同じくらい重要な組織なんじゃないか、と感じてしまう。

 大したことしてない自分なんかが、お国から給料もらって良いんだろうか、と思ってしまう。けど、生きてそういう役職に就いている以上、受け取らないわけにもいかなかった。


 さて、その日も夕食を作ることになった。いつもそうだというわけではない。椎名さんが予定通りの時間で切り上げて帰るときは、まるでそれが合図のように私も事務所を出ている。今日はまだ鍋島さんが帰ってきてないので三人での夕食だったが、作るのはいつも四人前だ。食卓を囲む間、無言でもなく、かといって話すことを強制される雰囲気もなく、おおむね椎名さんが喋り倒している間に食べ終わっている。大抵は他愛も無い話なのだが――そういえば、

「椎名さん、獣の話はあんまり食事時にしないですよね」

 ふと思い付いたことを口にしていた。椎名さんは、いままでに現れた獣の特徴や、そこから見える獣そのものの特性をよく語ってくれるのだが、食事の席ではそういうことはほとんど無い。意図したような世間話が多くなる、というのに口に出して言った後に気付いた。

「あーそれ? いやさ、望月さんは獣祓い師じゃないし、自分の知らない話題で盛り上がられても困るじゃん?」

「おや、そういうことを気にされていましたか。私のことはお気になさらずともよいのですよ」

「そういうわけにもいきませんよー、せっかくの食卓でしょ? 楽しくお話ししながら食べたいし、何より一葉の話が聞けるし。……あれ、美夏ちゃん? どしたのびっくりして」

「あ……顔に出てましたか」

 普段あまり感情が顔に出ないタイプだ、と親に言われてたので、そこまで分かりやすく変化していたのに自分で驚いてしまった。

「もしかして、望月さんも獣祓い関係だと思ってた?」

「まあ、ぶっちゃけ、はい」

「当たらずとも遠からずだけれどねー。親戚がどうとかって話でしたっけ」

「ええ。鍋島さんの縁故でして……お仕事について詳しくは存じ上げないのですが、元より獣祓いが神社庁の管轄ということもあって事務所開設の申請も通りやすいという話でしたし、それならばと。お独り立ちの助力をいたしました」

 経緯はともかく、共同生活をしているのだからそれなりに内情を知っているものだと思っていたのだけれど、どうやらそうでも無いらしい。

「まーでも、仕事のことほとんど知らないってのは私も意外だったかな。ちょっとぐらい話してると思ったんだけど……」

「もちろん、仕事の内容であったり、獣のことであったりということは聞き及んでますよ。鍋島さんがみだりにお仕事のことを話されないのは、きっとそれが、彼にとっての弔いだからでしょう」

「弔い? 話さないことが、ですか?」

「一度、鍋島さんが話されていたことを聞きました。『獣になった者は、好き好んでああなったのでは無い』のだと。好ましくない己の姿を伝聞に広げられては、その御霊も安らげないでしょう。心の中にしまい込み、ただ一人で悼むことで、鍋島さんは祓った獣を弔っているのでしょう」

 そういえば、私の事件についても初めのうちは口をつぐんでいた。あれは守秘義務とかそういうものの絡みだけだと思っていたけれど、もしかしたら別の、鍋島さんの感情が絡む意味もあったのかもしれない。

「そういうとこあんだよねー、一葉は。最初のうちは結構大変だったわ、そういや。初めての獣祓いの時なんか、泣きながら帰ってきて、泣き止んだと思ったら一門でご飯食べてる時にまた泣き出して、一日中泣いてたっけ。いまはどう? あの子まだ泣いてない?」

「泣いては無いですね。でも、獣に対する姿勢は真摯だと思います」

「そりゃ良かった。いつまでもあの時のままだと、獣に肩入れしすぎて映りやすくなりかねないし……っと、獣くさい話はここでおしまい!」

 そう言うと、椎名さんは話題を変えるため、最近のドラマの話をし始めた。残念ながら獣の話よりもついていけない。が、望月さんは意外とついて行けている様子だった。途中で私が話しについて行けてないと悟ったのか、さらに椎名さんは話題を変え、食卓での会話の内容はコロコロと二転三転する。いつものことだった。


 そうして時間が過ぎ、食事は終わり、食器を片付けてそろそろお暇しようという時間になった。


 椎名さんと二人で玄関まで出たところで、電話が鳴る音がした。椎名さんのだった。椎名さんが電話に出る。

「一葉? ……あー、分かった。すぐ行く」

 電話はすぐに切られた。椎名さんがスマホをしまって私の方に顔を向けた。

「一葉がちょっと怪我したってさ」

「鍋島さんが?」

「応急処置して怪我はそんな酷くないけど、車の運転できそうに無いから来てってさ」

 しばし呆然としてしまった。当たり前だがぼんやりとしている場合じゃない。負傷しているとはいえ自分は獣祓い師であり、もっと言えば鍋島さんの弟子なのだから。

「一緒にいこっか?」

「あ……はい!」

 恥ずかしいことに、そう言われるまで本当に呆然としていた。プロ意識が死んでる。そのことは恥じるべきだろう。が、そんなことをは後でもできる。というか移動しながらでもできる。


 神社の境内に止めてある、椎名さんの車に飛び乗った。黒いスポーツカーの少し狭い助手席に座ると、椎名さんは車を出した。

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