4-5

 椎名さんの道術の授業は、スタンスそのものは鍋島さんとそう変わりないものだった。ともかく実戦で使う物を優先する――ずぶの素人を即戦力に育て上げるとなると、必然的にそうなるのだろう。

 ただし、教えてもらうものの内容は、獣祓い師の実情を知らない私でも明らかにハイレベルだと分かるものだった。まず、獣の追尾からして質が違った。

「式神って知ってる? じゃ、今日はそれやるから」

 驚く暇も無かった。というより、式神が驚くべきものだという発想すら無かった。単語としては聞いたことはあっても、獣祓いにおける式神がどういうものか何て知らなかったのだから、当たり前だけど。

「式神っていうのはね、簡単に言うと魔素でできたロボットみたいなもんかな? 簡単な命令を与えられた式神は、貯蔵魔素が尽きるまで命令を実行してくれるって寸法。で、これがそれ」

 椎名さんが見せてくれたのは一枚の紙だった。白い和紙に黒々とした筆致で、カラスのようにな鳥が描かれていた。ただ、足が三本ある。ヤタガラスだった。ヤタガラスは神の使いであり、神武天皇を熊野から大和へと導いた伝承があるらしい。だからこそ、その絵図には導きの力が宿るのだ。

「これはこの札単体じゃあ動かなくてね。ここにGOサインを出すことで動くってわけ。サインの出し方は術者によって様々だけど、一番簡単なのは動作ね。魔素を流しながら、お札の上で……こういう感じに指を動かす、と」

 左手でお札を持ち、右手の指を上から下にさっと払う感じで椎名さんは和紙に触れた。すると、和紙がぼんやりと光を帯び、その姿を消したかと思うと、同じような光をまとった三本足のカラスが宙に浮かび上がった。カラスは椎名さんの頭上を二度ほど旋回して、またお札の姿に戻った。

「いまのは二回回って消える、っていう命令を組み込んだ動きねー。動きの指定は絵や文字を書いてやるんだよ。慣れてきたら自分で考えて書けるようになるけど、まあ最初のうちは丸暗記の方が安定するかなー。それ用の資料渡しとくからさ、分かんなかったら見ながら書いてもいいよ」

 ――と、まあこういった感じで、基本はやはり暗記と反復練習だった。行程自体は鍋島さんに教わった時とほとんど変わらない。ただ、私の魔素量が多いからやれることの幅が広いだけだった。


 黙々と練習を重ねる時間は多く、入院生活は苦にならなかった。椎名さんが病室に来たのは三回ほどで、滞在時間もあまり多くなかった。やはり仕事で忙しいらしい。自分のような人間に時間を割かせるていいのだろうかと思うことはあったが、学ぶことが多いせいで、そういうことを考える暇はほとんど無かった。


 退院までの一週間は、あっという間に過ぎた。


 退院までの間に一度、鍋島さんが見舞いに来てくれた。獣の事件についての話はほとんどしなかった。お互いの体調を挨拶代わりに尋ね、それから、退院後の道術の授業について聞かされた。

「椎名さんは三日に一回、事務所に顔を出してくれるそうです。本当は滞在する気満々だったみたいですけど……も、もしずっといたいとか言い出しても、お弟子さんが困るって言って断っておいてくださいね」

 頼まれてしまった。あんまり人に意見するのは得意じゃないんだけれどな。でも鍋島さんの頼みならしょうがない。……それにたぶん、鍋島さんが嫌だからという話でなく、椎名さんがスケジュールを空けると困る人が多くいるのだろう。鍋島さんが言うには、

「椎名さん、お弟子さんの数こそ少ないですけど、関係者各所に引っ張りだこなんですよ。お弟子さんも含めて、滅多にいない獣研究に従事してる人なんで……そっちの仕事をサボるのを見過ごすと、僕も一緒くたに師匠に怒られちゃうんですよね……」

 ははは、と渇いた笑いを鍋島さんは上げた。専門家なんて替えが聞かない人が仕事しなかったら確かに困るだろう。しかし、そんなことになってる一因は私にもある。世間様に対しても申し訳無くて、初めのうちにすっぱりと断ってしまった方が良かったのではと思ってしまう。

 しかし、いまさら『やっぱり止めます』と言って、椎名さんが大人しくなるとも思えなかった。



 ――いや、止めますと言おうが言うまいが、あの人は大人しくはしていなかったのだが。



 退院後すぐ、事務所から近所の河川敷へと連れ出された。住宅地から少し下流にある、草が刈り込まれて広場のようになった場所だった。周囲に人の気配は無く、椎名さんと二人きりだった。

「今日はね、ちょっと大規模な道術を見せようかなーって思います!」

「大規模な道術……ですか?」

「そ。一般には儀式って呼ばれてるんだけどねー。強力な道具――祭器を使ったり、複数人が協力したりして大量の魔素を消費する道術が儀式。利点としては、普通よりも強い、あるいは集団の獣を封じ込めたりとか。他には、その土地の獣素濃度が濃い時に、一気に浄化するために使ったりとか、だね。いまからやるのはその中でもそこまで強力じゃないものだけどさ」

 椎名さんの説明はいつも簡素で、それを説明するとすぐに行動に移る。まず式神を呼び出した。直立したツルのような式神の体には、文字が書き連ねている。空き地の四方にそれが飛ぶと、ふっと空き地の空気が陰ったような気がした。どうやら結界を張ったらしい。一般人を寄せ付けないためなんだろうけど、勝手にこんなことしていいんだろうか? まあ、どっちみち周囲に人はいないから問題は無いだろうけれど……。

「で、これが祭器ね」

 次にスポーツバッグから椎名さんが取り出したのは、三脚と大きめの皿のようなものだった。銀色に光る皿、いやお盆かな……は、結構な厚みがある。そのお盆に、500㎜ペットボトルほどの大きさの緑色の瓶に入っていた液体を注ぎ入れる。

「これ、魔素入りの水ね。結構高濃度だからまあ、取り扱いには気ぃつけてね」

「あの、」

「こういうの安易に使ってだいじょーぶ? っていう話だけど、結界に魔素が外に出ない効果を書き記してるからさ。多少はへーきへーき」

 本当に信用していいか不安になるほど気の抜けた言い草だったものの、鍋島さんから聞いた限りで椎名さんはかなりの実力者だ。わざわざ疑う必要なんて無いだろう。

「でー、これの中にこれやらこれやらこれやらを入れて……っと」

 ぼちゃんぼちゃんと音がする。お盆の中に石のようなものが放り投げられていた。椎名さんに手招きされてお盆のすぐ側に立ち、中を覗き込む。透明な水の中に置かれていたのは丸い石だった。よく見ると、白と黒の層が見える。まるで目玉のような模様だった。

「これはね、天眼石って言うんだよ。かなり強いパワーストーンでね……魔除けに使ったりもするけど、一番はやっぱり『目』の効果ね。ソナー、ってかレーダー的な?」

「もしかして、獣の位置が分かるんですか?」

「もっちろん、そのための祭器だからね。じゃ、実演するから見ててね」

 椎名さんがお盆に両手をかざした。すると、お盆の水が微かな光を帯びた。いや、光っているのは水ではない。水の中に沈む天眼石がほのかな光を放っていた。

「これをやると強い獣素を検知できるってわけ。縄張りによって不可視化していても、縄張り自体は獣素でできているから。まーでも、欠点があってね? 何か分かる?」

「えっ? ええ、と……強い獣素を検知できるってことは……弱い獣素は見過ごしてしまう?」

「正解! 獣素は自然界の魔素と反応して、ちょっとずつ消えてくの。獣本体や、獣がついさっきいたような場所を探すのには仕えるけどねー。時間が経った縄張り跡、獣道なんかはやっぱ見付けられないのよね。だからまあ、一応ダウジングも……効果が無いってわけじゃあないけど」

「……そういえば、どうしてダウジングは効果が薄いんですか?」

 鍋島さんの魔素自体の問題、というより、道具そのものに対して椎名さんは力不足だと思っているように見えた。――実際、ダウジングはそこまでの効果を発揮しないのだという。

「道術や対獣道具がどのくらいの力を発揮するか、っていうのは色んな要素が絡み合うんだけどね。何度も言うように、思いの力が結構作用するわけ。もちろん魔素が高い人はダウジングでもそれなりの効果を引き出せるんだけど、他のもの――例えば式神であったり、占星術であったりというものよりは弱くなっちゃうのよ。

 前言ったことの補足になるけどね? 横軸の『世界がいまそれを信じる力』と、縦軸の『世界がいままでそれを信じてきた力』の二つの軸によって『個人の思い』が支えられ、補強される。これが道術の正体よ」

 言いながら、椎名さんはお盆の上から手を引いた。

「……横軸はまだ何となく分かりますけど……縦軸の、いままでの思い、ですか?」

「言い換えれば、歴史ね。ある物、たとえば宗教でも魔術でも、いまこの世にあって私たちが触れられるものは、全部『誰かが残してくれた、残そうとしてくれた』からでしょ? 歴史が長いものは、それが残ってほしいっていう思いが詰まってるってことね。こうなると、ダウジングは比較的歴史が浅い方だから……」

「宗教に関連するものより、弱くなる、と」

 縦軸も横軸も、もしかしたら、あるものを大切に思う気持ちなのかもしれない。確かにそれなら宗教に関連する物は強くなる。それが生むエネルギーの強さは知っている――なんて偉そうに言える立場でも無い。ただ地球のどこかで起こっている、紛争だとかテロだとかのニュースをテレビでぼーっと見てるだけの身分だ。

「まーこうは言ったけど、結局は使いやすい道具や道術を使いこなすのが一番よねー。最初に手にして馴染まないと思った道具って、結局何年経っても使いにくいのよ。それに、使ってる道具への愛着だって立派な思念だし? 強力だからーって身の丈に合わない道術で自滅する人だっているし、ともかく使ってて負担にならないのをチョイスすればいいかなー」

「分かりました。考えながら、やってみます」

「返事がお堅いねー、美夏ちゃんは。でもま、一葉もそうだったし。無理に柔らかくなろうとはしなくてもいいからね。……よし! じゃ、美夏ちゃんもこれ使ってみようか」

 頷いて、お盆の前に立った。腕のギプスはまだ取れていなかったので、片手をお盆の上に掲げた。鍋島さんとの研修はまだ一ヶ月も経っていないぐらいだったけれど、それでもこの『放出』の段階は、集中すればできるようになっていた。差し出した右手、そしてお盆をしっかりと見つめて意識を集中させる。すると、椎名さんがやった時と同じように天眼石に光が灯った。

「あんまり魔素を込めなくてもだいじょーぶだからねー。あくまで魔素水と天眼石の反応を促してるだけだから。このままちょっと維持してやってみようか? れんしゅーれんしゅー」

「わ、分かりました」

「ああそうだ、これ屋外でやってる理由だけどね。天の眼の名の通り、空が見えているところでやる方が思念の力が働きやすいのよ。こういう、シンボルの力っていうのも重要よ。実は石なら基本何でも天眼石の代わりにはできるけど、適してない素材や環境を利用するとその分、思念の力が必要になるからねー。魔素の浪費って感じ? ほら、たとえば同じ燃料でも、薪と油じゃ油の方が火が点きやすいでしょ?」

 なるほど、分かりやすい。椎名さんはそれから、水晶や翡翠と言った他のパワーストーンなら、純度によっては天眼石に近い効果を得られることも教えてくれた。

 そして、話を聞き終わり、「そろそろかなー」と練習を打ち切ろうとした……その時だった。

「あっ……」

「ん? ……あ、光ってるね。出ちゃったか……」

 出ちゃった、ということは、獣の反応だろう。また、獣だ。同県でこんなに、立て続けに出るなんてあり得るんだろうか? 増えていると言ったって、こうも獣だらけになってしまったら、安心して出歩くこともできないだろう。もちろん、そのために獣祓い師という職があるのだけれど、それにしても多すぎる気がする。

「椎名さん、あの」

「一応一葉には連絡入れておこうかね。って言ってもたぶん、もう追ってるだろうけど。最近追ってた獲物みたいだしね」

「そうなんですか?」

「そうみたいだよ?」

 聞いてなかった。確かに最近、鍋島さんは事務所を開けることが多かった。考えてみれば当たり前のことだ。鍋島さんが動くということは、それは獣に関連する事で何かあったということだ。

「じゃ、帰ろうか、美夏ちゃん」

「えっ……あ、はい。でも、これは……」

「それは一葉に任せときゃ大丈夫でしょ。万が一無理なら私に電話かけてくるでしょーし。もしかして行きたいと思ってる?」

 聞かれてから、鍋島さんを助けに行こうとしている自分を認識した。頭の中には当然のように『助力した方がいい』という意識があった。片腕がこれなのに、だ。そんなことをしても、自分の身を守れないどころか鍋島さんに迷惑がかかってしまうだろう。

「……行かない方がいいですよね」

「行けるなら行ってあげた方が喜ぶでしょーけどね。助けるのは腕治ってから幾らでもできるよ。支えるって前言ったけどさ、あれってゲームの……あ、美夏ちゃんゲームする?」

「わりとします」

「じゃあバフ分かる? ああいうさ、敵の足止めとか傷の手当てとか、タゲ取りとか、そういうことしてくれたらいいなってことじゃなくて……精神的な面ね。あ、面倒くさいって思った?」

「え、いえ……」

 本当に、別にそんなことは思っていなかった。そもそも具体的に何をしろという話でも無い。面倒くさがるって言ったって、何が面倒なのかも分からないのだし。

「思って無いならそれはそれでいいんだけどさ。どっちにしろ、何かしてほしいことがあるんじゃないのよねー。基本あの子、他人に寄らないっていうかさ。良く言っても我が身を省みないっていうか、悪く言ってしまえば死に急いでる感? 戦い方、見ても分かるでしょ?」

「まあ……でも、道術より武術派なら、そういう戦い方になるのも無理は……」

「逆なのよーそれ。いや、逆って程じゃないけど。ただ、銃や弓でも戦える素養があったのに、ずっと師匠譲りの仕込み杖で戦い続けてるってことはさ、覚えておいてあげてね。覚えとくだけでいいからさ」

 好んで近距離で戦っている、ということらしい。まさか、鍋島さんも死にたがりなのだろうか――そう思いかけたのは一瞬のことだ。どうにも、鍋島さんはそういう風には見えない。鍋島さん自身が言っていた、獣と向き合うための姿勢の一種なのかもしれない。

 ともかく、覚えているだけでいいというのなら頭の中には置いておこう。死にたがっている私が、死に急いでいるとも言えるような人を止められるとは思えないけれど。

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