4-3

 獣素を抜く作業は、結局五分程度で終わった。珠のいくつかが黒く染まった水晶の数珠を椎名さんは私の腕から取り外すと、それをお札でぐるぐる巻きにした上で銀の小箱に突っ込んで鞄の中に放り込んだ。ちょっと雑っぽい扱いに見えるけれど、大丈夫だと思いたい。

「ふー、終わった終わったー。あ、ついでにちょっと傷の治りが早くなる道術も施しておくねー」

「そんなものがあるんですか?」

「興味出てきたでしょー? 魔法みたいに一瞬で傷が治るーなんてことはないけど。魔素を集中させると細胞が活性化されるのよ。アンチエイジングにだって使えちゃう。明星さん、私の年いくつに見える? どう見ても二十代でしょ」

 年を聞いて自分から予測されうる年を言ってくる人を初めて見た。でも本当にそのぐらいの年だと思っていたので、大人しく首肯する。

「そーでしょそーでしょー? でも残念ながらハズレー。私はこれでも四十三歳!」

「よ、四十三……!?」

 そうは見えない。四十から上は美人だとか化粧だとかで誤魔化されるような年じゃない。小じわの一本でもできるような年だ。が、どう見ても椎名さんは二十代半ばにしか見えなかった。

「わっはっは、驚いた? 魔素と人の体の因果関係は面白くってね、道術医や獣祓い師よりも、どっちかって言うと研究畑の人間なのよ。指導マニュアルの体系立てにもちょっと噛んでたり?」

「凄い……」

「凄いでしょ? 凄いのよー私」

 話ながら、椎名さんは鞄からまた別の道具を出している。五色に色分けされた、縦長の布と太極図が描かれた布が一枚ずつ。太極図の方をギプスの上に巻いて、さらにその上から五色の布を巻き、最後にまち針のようなピンで留めていく。ピンはどうやら布地の固定だけが目的じゃないらしく、十数という数のピンが刺さっていた。

「はい、これで完成。陰陽五行図と宿星図で、内丹を活性させるって感じ」

「しゅくせいず……?」

「宿星は中国版の星座とか、星座早見盤的な感じのやつね。空をある星を基準にして区切った図は二十八宿、基準になる星を宿星と言ったりするのよ。これも五行に対応してたりして、一緒に使うと相性が良いってわけね」

 星座と言われると何となく分からないでもない。布に押されたピンの頭の部分には丸い珠の飾りがついていて、珠は色分けされていた。大半が透明に近い白だったけれど、たまに赤や青が混ざっているのだ。

「これ、宿星の表ね。このギプスの上に留めたピンの配列も書いてあるから、暇な時に読んでみてね」

「あ、はい。ありがとうございます」

「って言っても、私が暇にさせないつもりなんだけどねー、ふふふふふ」

 じわじわと変態じみてきている気がする。いや、まだ。まだ普通……普通か? まあいいや。椎名さんがどういう人だろうと、どうせ傷が治るまでは毎日暇なんだし。暇じゃなくさせてくれる、というのならその温情は受けるべきだろう。

 ――と思ったのだが。

「……あれ、なんか鳴ってません?」

「えー? あら、本当。全くもう、病院は携帯禁止だってーのに」

 そう思うなら電源を切れば良いのではないでしょうか。とは思うのだけれど、そういえば個人の病室はどうなんだろう。やっぱり駄目なんだっけ? 後で聞いておこう。

「……げっ」

 ……それはそれとして。椎名さんの顔が渋面になっているのはどうしたことなのだろうか。

「どうしたんですか?」

「あ、あー、いや、なんでもない、なんでもないのよ。なんでもないんだけどー……ち、ちょっと他の弟子からね? あっ浮気とかじゃないのよ! いまの私は美夏ちゃん一筋だから!」

「……あの、もしかして、帰ってこいとか言われてたり……」

「そっそそそ、そんな、そんなことないよ!」

 そんな分かりやすい動揺がありますか。わざとなんだろうか。わざとじゃないないならないでちょっとオーバーリアクションにも程があるというか。別に不快じゃないからいいんだけど、ただ……。

「と、取りあえず……帰ってあげた方がいいんじゃないでしょうか」

「えー!」

「あの、私別に逃げたりしませんから、大丈夫です、待ってますから」

「本当? ほんとにほんと? うー……じゃあしょうがないな……本当は治療と称して三日三晩でも泊まり込んで語り明かしたいところだったんだけれど……ごめんねー」

 危ない。三日三晩寝かせてもらえないところだった。椎名さんの話は面白そうだけれど、流石に合間合間には寝たい。これでも重傷者だし。

「それじゃ、名残惜しいけど……また来るからね! それまで待っててね美夏ちゃん! さらば!」

 椎名さんは鞄をひっつかむと、慌ただしく出て行ってしまった。……変態とまで言っていいかは別として、インパクトの強い人だった。



 こうしてまた一人になったものの、一人でいる時間はそう長くはなかった。疲れに身を任せて少し横になり、昼頃にまた起きて椎名さんが置いていった宿星図を読みながら午後を過ごして夜になると、鍋島さんが病室に来てくれた。……何故かおまけ付きで。

「鍋島さん、と……原田さん?」

「明星さん! お見舞いに来ました!」

 本当に見舞いのつもりなのだろう、花束を持ってきている。活ける花瓶が無いが取りあえず受け取っておく。にしても、何故ここに。いやお見舞いって言うんだから何故も何も無いか。

「いや、ほんと無事で良かったですよ! だから言ったじゃないですか、獣なんて危ないものと戦うなんて無理だって」

「はあ、まあそうですね。ところで、獣のことについて何か分かりましたか?」

 別にそこまで気になったわけじゃないけれど、過剰に心配され続けても困るだけだと話題を無理矢理切り替えた。と、どうやらそっちの要件も兼ねての見舞いだったらしい。原田さんは「その件ですが!」と身を乗り出すようにして話し出した。

「あの後、周辺の山を捜索したところ失踪した男のものと見られる衣服の切れっ端が見つかりました。あの男が獣になったと見て間違いないでしょう。ですよね、鍋島さん!」

「あ、ええ、そうですね。そう見る他無い状況ですね」

 鍋島さんは原田さんのペースに飲まれてるのか、原田さんの二、三歩後ろで困ったような笑みを浮かべていた。が、これで話の主導権を握り返したらしく、原田さんの隣に並んで口を開いた。

「同じ場所から女の子の物らしいスマホや衣服も見つかりました。それと、血痕も……恐らく状況から、先に女の子が獣化し、その後に獣化したその子に男が殺されて獣化したんだと思います」

「……そうでしたか。すみませんでした、鍋島さん。事後の処理を任せてしまって」

「いえいえ、良いんですよ! 確かに報告については同行してほしいなとは思ってましたけど……それは、今後も部署の方々と連携を取るので顔合わせを含めて、という意味の方が強いですし。また今度、所用がある時に一緒に行きましょう」

「はい……」

「そう気を落とさなくてもいいじゃないですか、明星さん! 誰にでも失敗ぐらいありますって。それに警察との連携なら、俺に任せてくださいって」

 さっきまでは獣祓い師の仕事を辞めてほしいような言いようだった気がするんだけれど、原田さんはどうしたいのか。その場の勢いで全てを話していないだろうか。うちの親の惨殺死体を見た時の気落ちしきった原田さんは幻覚だったんだろうか。それか双子の兄弟か。あり得る。瓜二つだがあの時とは雰囲気が違うような気がする。あの時は名前も聞いていなかったし、本当に双子かもしれない。

「ところで明星さん!」

「……は、はい?」

 どうでもいいことをつらつら考えていたせいで、返答がワンテンポ遅れた。

「そのギプス、どうしたんですか? 何かデコられてますけど」

「で、でこ……ええと、あれです。獣祓い師の治療の一環というか」

「えっ、これが! へぇー! 凄い!」

 何を凄いと感じての凄いなのか。まあいいや。

「椎名さんが来てたんですね。……何か変なことされたり、言われたりしませんでしたか?」

「大丈夫でしたよ。個性的な人でしたけど、良い人でした」

「そう言ってもらえると助かります。指導の話はされましたか? あの、勢いに押し負けてイエスって言ってしまっても、あれでしたら僕に言ってくれれば大丈夫ですから。その、全力で、命がけでも止めますから……」

 命をかけなければ止められないほど情熱的な人らしい。悪い人で無いことは確かなのだけれど、しかし原田さんは何を勘違いしたのか

「不審者ですか!? 危険人物ですか! 何かあったら警察、ってか俺を頼ってくださいよ明星さん!」

 と言い出す。大丈夫です。

「指導の話、私は受けようと思います。ただ、あの人にも他の仕事があるでしょうし……急に見習いになった私に合わせてもらうのも、悪い気がしますが」

「あー、気にしなくていいと思いますよ。割を食うのはあの人じゃないので……」

 たぶんお弟子さんが割を食うんだろうなぁ。どっちにしろちょっと申し訳無い。

「その辺の調整も大丈夫ですよ。一門の間でも人材の融通は利きますし、あの人の挙動を制御できた試しも無いので備えは万全です。ただ、流石に人事的な話ですから。あの人だって自分が思うほど自由な身分ではないのだし、実際に予定を擦り合わせてから指導が始まるのは、一週間後くらいかもしれませんね」

 あの勢いなら、一週間と待たず一日で全ての準備を終わらせそうだ――と思ったけれど。鍋島さんの言ったとおり、椎名さんの道術指導は一週間後に始まったのだった。

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