3-2

 幸いにして誰ともすれ違うことなく、キャンプ場沿いの道を歩くこと十分ほど。周囲からは完全に人気が無くなり、遊歩道として整備された登山道に入り込む道に差しかかった。

「……強い反応はありませんね。本当に見間違い、だったんでしょうか」

「うーん……だったらいいんですけどねぇ」

 二人行方不明者が出ている、というのが引っかかるけれど、何も無いに越したことはない。流石に夜の登山道に突っ込むわけにも行かないだろう、と一旦キャンプ場に戻ることになった。

 と……その道すがら。

「……サイレン聞こえますね」

「え? ああ、本当だ」

 遠くから聞こえるサイレンの音は、パトカーのものだろう。何か事件か、もしかしてこっちの方は外れで、入れ違いに獣がキャンプ場に向かっていったのでは……という悪い想像が働いたが、どうやらそういうわけではないらしい。

 キャンプ場の駐車場にパトカーが止まっていて、駐車場に止まっている別の車の前に立ってなにやらやっている。よく見ると、警察らしき人の他にもう一人、一般人らしい人影があった。車の中にも人影が見える。

「……何でしょうね、あれ」

「さあ……」

 鍋島さんの問いに肩を竦める。車両事故のようにも見えない。よく分からないがこっちからあっちに触れる理由は無い。それよりも重要なのは、これからどう動くのかだった。

「どうしましょう、鍋島さん。一旦下山しますか?」

「そうですねぇ。焦って出てきちゃったのはちょっと失敗でしたかね、ははは……ああ、どうしよう。コテージが借りられればいいんですけど」

「この時間、夏休みシーズン……空いてなさそうですね」

 実際、管理棟に行って確認したら空いていなかった。これはしょうがない、と駐車場に戻り、手近なところにビジネスホテルでもないかと検索しようとスマホを取り出したところで、

「すいません、ちょっとお話を……」

 警察の人が近寄ってきた。服装を見ると制服じゃなくて私服、というかスーツ姿だ。私服警官、いや刑事か。……あれ。

「あっ……あ? あの、もしかして……明星さん?」

 どこかで見た顔だった。確か、両親が死んだ時に一度、事情聴取の時に会った若い刑事の人だった。名前は覚えていない。そもそも名乗られた記憶も無い気がする。

「あの、覚えてますか? 俺、いや自分、原田です。以前、明星さんの事件で……」

「ええ……覚えてますよ」

「そ、そうでしたか! あの、明星さんはどうしてこちらに? キャンプですか?」

 そもそも何故あなたは私に話しかけてきたのか。要件がすっぽ抜けているように見える。まあいいけど。

「まあ……仕事、ですかね。泊まる予定はないんでいまから帰りますが。あ、こちらが私の師匠……師匠でいいんですかね」

「僕の時も師匠をそう紹介してましたから、師匠でいいとは思いますが……いや、でもちょっと気恥ずかしいですね」

「は、はあ……師匠、さんですか。……ちなみに明星さん、何のお仕事をなされているので……?」

「職業ですか……?」

 ああ、この質問が来てしまった。これは言ってもいいんだろうか。警察と協力関係にあるとはいえ、原田さんは獣祓い師のことを知ってるんだろうか。迷っていたら鍋島さんが答えてくれた。

「僕たちは獣祓い師です」

 直球だった。いいのか、と思ったら、街灯の白い明かりの下に照らされた原田さんの顔がさっと曇った。

「……せ、先日の事件でのことですか」

「あれとは別件です」

 どうやら原田さんは知っていたらしい。親が殺されたあの事件、その後の顛末は警察ではなく鍋島さんに聞いていたので警察の内部でどう扱われていたのかは知らなかったのだけれど……どうやら原田さんも教えられていたらしい。

「獣祓い師として……ということは、明星さんも?」

「ええ、まあ。見習いですが」

「そんな! 危ないですよ、化け物相手に……明星さんみたいな女性が戦うなんて! こ、こういうことは本業の方に任せた方がいいですって」

「その本業に私はなったんですが……」

「いやいやいやいや! 駄目でしょうそんな、か弱い女性が。鍋島さんも何で止めなかったんですか!? 命が危険があるのに……仇討ちとか無謀ですよ!」

 ……何故だろう。論点はそこじゃないと言いたくなるような点があっちこっちにある。か弱い? は、まあそうかもしれないけど。女性がなれない職でもないし、屈強だろうが殴られれば死ぬだろうし。命の危険は百も承知でむしろ半分それ目的だし。そして、仇討ちってなに。

「仇討ちのつもりじゃあ無いんですけど」

「犠牲になった親御さんを殺した獣と戦うなんて、そんなことするもんじゃないですって。もし明星さんみたいな人を減らせたとしても、それで明星さんに何かあったら意味ないじゃないですか!」

「私は自分のためにやって――」

「大丈夫ですよ! いつか、こんなことをしなくても、心の傷は時間が癒やしてくれますって!」

 何をそれっぽい言葉を並べ立ててるんだか。いやぁ、順調に勘違いしてってるな。……めんどっくさい。

「まあそうかもしれませんね。ところで、原田さんはどうしてこちらに? 何かのお仕事ですか」

「ああ、そうだった! ここでですね、集団心中の生配信をやろうって不届き者がいまして……それ先日の模倣のつもりらしいんですけどね」

「模倣?」

「そうなんですよ。このキャンプ場の駐車場に車止めて、練炭で自殺だそうです。あ、前の事件の話ですけどね。ただ、途中で怖じ気づいたやつが二人いて、車から逃げて外に出て戻ってきたところで、中にいたもう二人がそこからいなくなってたみたいで。その二人、家族から失踪届を――」

「原田ぁ!」

 原田さんの言葉を、背後からの怒声が叩き潰した。驚いた原田さんの体がびくっと跳ねる。キャンプ場の方から一人、刑事らしいスーツ姿の男の人が歩いてきていた。

「お前、民間人相手に何やっとる! キャンプ客から話は聞いたのか!?」

「あっ……そ、その、いまからやるところでして。ただ、山の方から戻って来た人がいたんで、念のため声をかけていたんです……」

「おうそうかい、余計なこと話して無かっただろうな?」

「だっ大丈夫です」

 大丈夫じゃないです。しかし、この刑事さんも見たことがあるな。この声の大きさといい、原田さんと一緒に私の事件を担当した人だったか。こっちは、名字だけは覚えている。確か、大峠おおとうげさんだったか。

「って、こりゃあ……鍋島さんじゃないですか。先日の件はどうも……あー、今回も例の、あれですか」

「ええ……ただ、まだ目撃情報止まりです。もしかしたら、ここであった失踪事件……元は集団自殺未遂でしたか。それに繋がってる話かもしれません」

「そうですかい。そっちの仕事は正直言って私らにゃあ分からん話ですが、気になることがあったら言ってください。知ってることなら答えますよ」

「ありがとうございます。……では、先日の集団自殺未遂についてお聞かせ願えますか?」

 大峠さんは頷き、口を開きかけたものの、何かに気付いて顔をあらぬ方へと向けた。課を向けられた原田さんがまたびくっと跳ねる。

「原田! お前なにぼけーっと突っ立っとる! いいからキャンプ場の方に行ってこい!」

「は、はいぃ!」

「……ったく。いや、うちの若いのがすみませんね。どうにも獣だの何だのという話を聞いてから、前にも増して落ち着きが無くなっちまって。ああ、鍋島さん。万が一あれが獣祓い師になりたい! とか言って弟子入り志願してきたら、門前払いしてやってくださいよ。単なるミーハー心で言ってんですから」

「ええと、はい……善処します」

 鍋島さんとしては、ミーハーだろうが好奇心だろうが人手がほしいところなのだろう。言葉を濁す感じでそう答えた。

「それで……話し始める前に、ちょっといいですかい。明星さん、でしたかね。なんでまた、鍋島さんとここに?」

「それが……獣祓い師の見習いになりまして」

「……ま、それも明星さんの人生でしょうから、あれやこれやと言うつもりはありませんがね。あの馬鹿に何か言われませんでしたか」

「いえ、特には」

「ならいいんです。まあ命あっての物種とか言います、無理はされんように」

 大峠さんはそれで話を切った。ちょっとほっとする。原田さんのようにその話題でしつこく言われても、困る。

「……で、この前の事件でしたか。その件の管轄は私らじゃあ無かったんですがね。ただ、妙な事件だったと署内でも噂になってますよ。ワンボックスに面識が無い四人が乗り込み、練炭自殺――そこまでは、言っちゃあなんですがそれなりに聞くような話です。ネットで志願者を募るってのも含めてね。

 問題はこっからです。集まったのは四人。そのうち二人が怖じ気づいて車の外に出て、二人が自殺。しかし自殺したはずの二人は、忽然と車の中から姿を消していた。これが生き残った二人の証言です」

「そのお二人の行方は……?」

「不明ですな、現在も。失踪した側に一人未成年者がいた、ということも含めて、普通の失踪とは違う案件になりまして……」

 違う案件。警察は、部署事に取り扱う案件が違うんだっけ。私の事件を扱った大峠さんと原田さんは、刑事部……の、一課だったはずだ。つまり、

「もしかしてその失踪した二人は……殺人とか誘拐とか、そういう案件絡みなんですか?」

「そうなりますな。不確定要素も多いんですが……ただ、失踪した方の身元が不穏でしてね。一人は十五歳の女児、もう一人は三十二歳の男なんですがね。……男の方は逮捕歴があります。未成年者淫行で」

「……それは」

「自殺と称して子供を集めたにしちゃあ回りくどい。けど、車内に残されたのは女の子とその男だけだ。そして二人が席を外した……考えたくもないですがね。本気で死のうとするほど精神が追い込まれてる奴ほど、何しでかすもんか分かったもんじゃない。……女性にお聞かせするような話じゃあありませんでしたな」

 首を横に振って、大丈夫だと伝える。実際のところ、想像が現実にあったなら胸糞悪いことこの上ないけれど、それ以上に問題なのは獣だ。

 何か、強い感情を持った人が死ぬと、獣が生まれる。

 強い感情ならば何でもいいのだという。愛情でも憎悪でも。そしてそれは――恐らく性欲でも、恐怖でもだ。

「その線で調べてたんで、念のために車内も調べたんですが争った形跡はほとんど見られませんでした。ただ……逃げた二人が車に戻った時、ドアが開いてたそうです。自発的に出た、ってとこまでは間違いないでしょうが。そこから先はまだ進展無しですね」

「そうでしたか……大変参考になりました」

「……参考になりましたか。それは……」

 よかった、という言葉を大峠さんは飲み込んだように見えた。獣になった、ということは、死んだということであり、骨すらも残らないということだ。……獣になった人に家族がいたとすれば、お骨すら返せないのだ。

「今日はその、失踪者の身元と顔が割れたんで元からここに来る予定だったんですがね。ここに来る途中で、どこでこんなこと知ったのか、馬鹿が模倣まがいの映像作りをしようって話が来ましてね」

「模倣まがいの……映像ですか?」

 困惑した鍋島さんが聞き返すと、大峠さんはふんと鼻を鳴らして答えた。

「配信だとか何だとかで、まあ一発屋の芸人みたいなもんでしょう。そういう連中が集まって、ここであった自殺未遂を完成させるだのなんだのと言って、それっぽい映像を撮ろうってのをネットで流したんですよ。生配信とかで、事前に告知もしてて……ネットの上じゃちょっとした騒ぎになってましてね。うちのネット犯罪課もちょっと目ぇ光らせてた件でして。

 まあ告知なんてしてたもんですから、ここの従業員だって動向を見守ってたわけで、動画が始まってから通報ですわな。ま、違法駐車どころか業務妨害ですから逮捕しましたがね。そっちの件で私は動いてなかったんですが、一応手錠かけて、応援のに預けてまた捜査再開って意気込んでたわけですよ」

 なるほど。警察車両が無いのに何で刑事さんがいたのかと思えば、よく考えれば刑事さんはパトカーじゃなくて覆面パトカーに乗ってたんだろう。先に来てたかほぼ同時に来たか、ともかく普通のパトカーに乗った警察の人と一緒に事に当たって、それでいまに至る、と。

「というわけで、まあ模倣犯の方はただのチンピラみたいなもんですわな」

「そのようですね。となれば……僕たちが追うのはその、失踪した人たちになりますね」

「鍋島さん、堀さんのとこに電話しときますか?」

「お願いします。この場での連携は大峠さんがいらっしゃいますが、対獣課にも連絡を入れて、署の資料を洗ってもらいましょう。もっとも、最近の話みたいですし、資料を基に探すよりかは山狩りをした方が――」

 鍋島さんの話の途中で、何かが聞こえたような気がして気が逸れた。思わず音のした方に顔を向けてしまう。「明星さん?」と問いかけられ、すみません、と謝る。

「何かが聞こえた気がして。サイレンみたいな……パトカーとはちょっと違うんですが」

「……救急車とかですか?」

「いえ、なんかこう……ボイラーとかがあるじゃないですか。こう、ぼーって感じの、低い音が……」

 ……もしかして聞こえてるのは私だけなんだろうか。それともただの耳鳴りかもしれない。ともかく、言っているうちにどんどん自信が無くなってきた。聞こえてるといえば聞こえてるが、そんな音はしないと言われればそういう気がしてくる。

「どっちから聞こえますか?」

「えー……あっち?」

 キャンプ場の方を指差すが、自信は無い。全く無い。というか、キャンプ場の方なら何らかの施設や人の声がそう聞こえるだけなんじゃないかという気がしてきた。

 しかし、鍋島さんはそうは思わなかったらしい。ロッドを取り出すとそれを握る。二本のロッドはゆらゆらと動いてキャンプ場の方へと先端を向けた。

「これは、」

 そう言った途端、

 ジリリリリリッ!

 けたたましい音が鳴った。驚いて、さっきの原田さんみたいにびくっと体が跳ねる。「失礼、電話が」と言ったのは大峠さんだった。大峠さんが電話を取る。と、ちょっと離れてるのに大声が電話から聞こえてきた。

『けっ、警部ゥー! クマ! クマが出ました! あああ、クマですクマ!』

「クマぁ!? こんな時間にクマか! というかお前いまどこだ! キャンプ場にいんのか!? 一般人の誘導はどうした!」

『ゆ、誘導、しようとしてるんですけど……わあああああ!?』

 悲鳴と共に、ガツンと音がした。そのまま通信がぶつんと切れる。「おい原田!? おい!」と大峠さんが叫んでいた。

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