2-5
道術の基礎はまず、体から魔素を放出することから始まる。とはいえそればかりを習得しようとすると時間がかかるので、同時並行で、私は鍋島さんから『対獣道具』の作り方を教えてもらうことになった。
作り方と言っても、難しいことはほとんど無い。どちらかというと、道具を作るための道具をどう使うかという話だ。つまり、普通の職場で言うところの、パソコンやプリンターの使い方みたいなものだった。
一番初めに教わった、墨に魔素を落とし込む作業なんかはもう、三日もあれば手慣れたものだった。なにせ難しいことは一切無く、文様が彫り込まれた試験管のようなガラスの管に指輪を入れ、それを墨壺の中に突っ込むと言うだけのものだったのだから。注意点と言えば、壺から引き抜いた時に落ちる墨で周りを汚さないことぐらいか。聞いていたのに見事にちゃぶ台に墨が溢れてしまったが、鍋島さんも似たような感じで墨を溢していたのでよくあることなのだろう。
もちろん、魔素入りの墨を使って対獣道具を作ることも教わった。
最初に作ったのは、お札だった。
「――まず、これが僕の作ったお札なんですけど……」
そう言って鍋島さんがちゃぶ台の上に並べたのは、長方形の和紙に何やら文字が書き付けてあるものだった。字形は太く、一部潰れていて、良く言えば力強く見える感じだったが微妙に何を書いているのかが分からない。いや、一枚は分かる。字形が単純というのもあるけれど。
「
「あっ、よく読めましたね! 僕の字、汚いってよく言われるんですよ。師匠からも他の兄弟弟子からも、何書いてるか分からないって総ツッコミで……よかった、一枚ぐらい読んでもらえるものがあって」
それでいいのかと言いたいが、言えない。何せ私も悪筆です、鍋島さん。……小学生の頃、書道教室に通ってたはずなんだけど。どうして下手なのか。謎だ。
「こうやって、魔素を含んだ墨で神様の御名前を書くことでその力を引き出すんですよ。できれば自分が知ってる神様の方がいいですね。そっちの方が、作り手の意思の分効力が高まると言われてますから」
「意思とか知識が、お札の出来にかかわってくるんですか」
「そうみたいですね。でも、よく知らずに普通に書くだけでも結構な効果が出るんですよ。どうやら、その神様が信仰されているってことが重要みたいで……多くの人がそれについて信じている、っていうのが力の強さや発動条件、効果に影響を及ぼしてるみたいです。詳しい理論を僕が話そうとすると、たぶん一週間はかかると思いますが……」
「……ともかく、やればできるってことが大切だと思います」
理論なんて知らなくとも道具は使える。もちろん理論を知ってれば有用に使えて、しかも自作も可能なんだろうとは思うけど。ソフトやアプリの自作とかその辺の感覚だろうか。プログラミングの知識が無くとも、アプリをダウンロードして使うことはできるのだ。
「そう、それで……これが天照大御神で、こっちが
天照大御神は、その空間の魔素の増強。
伊邪那岐命は、獣の移動ルート――獣道の遮断。
天鈿女命は、強固に閉じられた獣の縄張りを破って侵入可能にする。
っていう感じですね」
どうやら元の神様から連想できる能力らしい。……ところで、
「獣道っていうのは……」
「ああ、獣は一定のルートを徘徊する性質があるみたいなんですよ。不定期かつ不規則にさまよい続ける、という事例も無くは無いですが……獣は元々人ですから、獣が人だった頃に馴染みのある場所を移動するという説が有力ですね」
「そういうことでしたか……だとしたら、誰が獣になってしまったのかを分かれば、逃がさないようにこのイザナギのお札を貼って置くこともできるんですね」
「おお……鋭いですね、明星さんは。その通りです。獣の基となった人間が誰だったのか、分かれば有効な対抗手段や移動経路の割り出しが可能になります。だからこそ他の機関……特に警察との連携が重要になりますね」
そのうち、私も警察とお話しすることになるんだろうか。親切な人は親切なんだけど、全体的に妙な威圧感というか迫力があるせいで、警察は苦手だった。……でも、鍋島さんと親しそうな様子だった堀さんは、良い人そうだったな。もし次に獣の事件が発生してしまったら、連携する相手は是非あの人が良いな。
「こうしてお札に神の御名を書いて、張りつけた後に改めて魔素を当てると効果が発揮されます。魔素を照射するのも道具で代用できますよ。できればここで試したいんですけど……あんまり使うとそれはそれで危険なので」
「魔素、有害だったりします?」
「人体には別に有害じゃないんですよ。知らない間に溜め込まれてるものですし。ただ……人体とか物体とかに封じられてない、魔素が露出してる状態で高濃度になると、どうしてか獣がおびき寄せられてしまうみたいなんです。この辺りで獣の目撃情報は出てませんが、万が一と言うこともあります。……周辺住民に被害が出るのは避けなければなりませんからね」
「獣が……魔素で寄ってくる?」
「この辺りのことも、よく分かってはいないんですよ。ただ、放置してたお札から魔素が勝手に放出されて、獣祓い師が獣に襲撃を食らうという事例も過去に何回かあったみたいです」
不思議なことこの上ない相関だった。が、そこは深く考えないことにした。鍋島さんの様子から理論が分かってないことは見て取れるし、もし理論があったとしても私が聞いて理解できるとは思えなかった。
ただ――分からないことを教えられるのは苦痛だけれど、分かることを次々に教えられ、しかも自分で教えられたことを実践できるとなれば、知識の吸収は楽しいものだった。
久しぶりだったかもしれない。人と接して楽しいと感じたのは。それまでは、ゲームをやるか小説を読むかぐらいが楽しみで、最近ではその両方すらも何だかめんどくさくなってきている始末だった。何が楽しくて生きているのかと聞かれれば、何となく楽しいようなそうでないような感じでいると一日が終わっている、としか返しようがない感じだった。
いまは、楽しかった。楽しい間は死ぬことを考えないのだ。
家に帰ってそう思う。家族三人で済むには、2LDKは狭すぎた。しかし一人で住むには広すぎた。収入も無いのだし、だらだらとここに住まずに引っ越した方が良いことは分かっているのだが。なにせ死ぬつもりだったのだから引っ越し先も考えていなかった。
楽しいことに逃避して、死ぬことから逃げているのではないだろうか?
――分かっている。そんな発想は正常な考えではないのだろう。楽しくて死ねないのならそれは、世間の常識としては良いことなのだろう。
けれど、楽な方に楽な方にと逃げ続けて三十年、特に何も無く生きて死を待つだけだった。楽して生きたい。けれど、苦しくても生きていけない人も世の中にはいる。自分は親を筆頭に他人に甘えて生きてただけなのだ。そして、生きていくのが苦しくなると、それから逃げるために死のうと思った。自堕落さと逃避癖、優柔不断さがいい加減嫌になってくるのだ。
しかし、死はやはり遠かった。
私が死ねば鍋島さんは悲しむだろう。それは他人への優しさなのか、それとも自己愛なのか。考えてるうちに眠くなってきた。そのまま寝てしまえば、翌日にはそんなことを考えていたことも忘れたように、また北地神社の事務所へと自転車を走らせるのだった。
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