2-4

 一週間の勉強期間が終わり、いよいよ私は鍋島さんの弟子になった。考えてみればハチャメチャなことになっていると、自分の家で一人、親の遺影を前にして思う。仏壇も神棚も無いので親の遺影は、父の部屋の、横に長いローチェストの上に置いてあった。

 親が死んでから、まだ喪すら開けてない……はずだ。四十九日だったっけ。真剣に日数を数えていないから分からないが。

 たった一ヶ月ちょっとの時間。それで、親が死に、自分も二度死にかけ、その元凶と同種のものを倒す職に就こうとしている。波乱が過ぎる人生だ。おりんで無意味に四拍子を刻みながら、ヤバいことになってるな、と親ではなく自分自身に語りかけ、最後に線香を消して立ち上がる。

 今日から本格的に、弟子として、鍋島さんに教えを請うことになるのだった。



 もはや通勤路と化した北地神社への道を自転車で走り抜け、境内に自転車を止めて事務所に入った。毎日同じ時間に来るせいか、呼び鈴を鳴らすとまるで玄関で待ち構えてるように鍋島さんが出迎えてくれた。挨拶を交わして、中へ。

 今日から師匠と弟子。正確には、上師と見習いらしい。そのせいなのか、鍋島さんはちょっと緊張してるみたいだった。いつものようにちゃぶ台を囲み、氷の入った麦茶をお互い飲み、無言。話が切り出せない。こっちだってよろしくお願いしますの一言でも言えばいいのだが、その言葉が出てこなくて自分も実は緊張していたことに気付く。

「……いよいよ今日からですね」

「あっ、はい。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 三十秒は経ったかもしれない。体感だから実際は十秒しか経ってないのかもしれないけれど。やっと話に入れた。

「えっと、昨日お伝えしたように、明星さんと僕との師弟申請が通りました。それでですね、こちらが確認の書類なんですけど……」

 クリアファイルごと書類を渡される。どうやら契約書の類いらしい。保管しとかなきゃいけない書類が一枚と、もう一つ。カードのようなものがあった。カードの裏には、QRコードもある。

「……このカードは?」

「証明書みたいなものですね。運転免許証とか、保険証とおんなじ感じです。ああでも、個人証明としては使えないですね……」

「猟銃所持許可証みたいな感じですか?」

「あ、そっちの方が近いかもしれません。警察とか病院とか、獣関連の仕事で会う時に見せる感じですね」

 猟銃所持の許可証にたとえたものの、警察手帳に近いものなのかもしれない。どちらにしろ、ピンポイントで提示を求められる事態になりそうなので財布に入れておく。

「さて、これで書類とか契約とかそういうことをはたぶん済んだはずですし……いよいよ実習に入りましょうか」

 はい、と言って背筋を正す。鍋島さんは、自分の座布団の横に置いてあった箱から何かを取り出し、ちゃぶ台の上に置いた。

 ……なんと言えばいいのだろう。一言で言えば『医療器具っぽい』になる。ここに手の平を置いてくださいと言わんばかりに手のマークが書かれたプラスチックの板(実際にプラスチックは分からない)が中心にあり、その下に切れ込みが見える。小さなプリンターにも見える。が、どちらかというと温泉宿やちょっと大きめのドラッグストアに置いてあるような、血圧とか脈を測るような機械の親戚に見える。かなり大雑把なたとえだけど。

「これはですね、魔素に関連する数値の計測系です」

「魔素の?」

「この前の検査の時にも数値が出てましたけど、こっちのは血中濃度だけじゃなくて、現在どの程度、明星さんの体に魔素があって、上限はどの程度だとか。それと、魔素によっては使う術に向き不向きがありますから、その傾向も分かったりします」

「へえ……結構高性能なんですね」

「最近は便利になりましたよ。僕はあんまり使わないんですけど、道術偏重型の人はほぼ必須の道具ですね。魔素が欠乏した状態だと、術が使えないので……」

 言いながら鍋島さんは機械の電源を入れた。促されるままに手を置いてみる。計測はそんなに時間がかからなかった三十秒ぐらいだろうか。ジー……という音を立てながら、機械下部の切れ込みから紙が出てくる。紙には幾つかの項目に分かれて数値が書かれていた。

「全体量一万五千……うわあ、これは凄いですね」

「そ、そんなにですか?」

「僕の倍とかそういうレベルじゃ無いです。十倍以上ありますよ。一般的な獣祓い師から比べたってちょっと高めですね。三倍強程度ですかね? 何が凄いって、これでまだ容量一杯じゃないんですよ。最大容量が現状二万二千なんでもうちょっと入ります。道術型一択ですね、これ。武術なんて教えようもんなら僕が師匠にぶっ飛ばされます」

 とても早口で話している。もしかしたら凄いことになってるのだろうか。何かの数値が平均よりも高いとか言われたのは生まれて初めてかもしれない。流石にちょっと嬉しいと思った。もちろん道具も力も使い用だし、どんなに凄い力があっても要領良く使えなければ無いも同然だというのは身に染みて分かっているのだが。

「他の数値も申し分ないですね。刻印型、放出型、受容型、どれ教えて問題無い感じですね」

「この前教えてもらった系統とは別に、型があるんですか?」

「はい。刻印型は文字を書いたり刻んだりして物に力を与える型ですし、放出型は呪文や歌などを用いて術者から対象や空間に直接影響を及ぼす型です。受容型は放出型とは逆に、魔素や獣素を取り込んだりするものなんです。

 僕が使ってるダウジングは、受容型ですね。スマホが電波を受ける感じで、ロッドに獣素を受け取って獣を探してるんです」

「はあ……なるほど」

 辛うじて、まだ頭に入ってくる。刻印、放出、受容。この前聞いた聖歌はたぶん、放出型に入るんだろう。この中のどれでも使うことができる。どれでも……選択肢が多いと言うことは、覚えることが多い、ということでもある。たぶん一番勉強したのは小学生の頃だ。小学生以来の勉強量。人として響きがとても駄目な感じがする。

「まあ……明星さんとしては色々できることはありますけど、師が僕なんで教えられる術は本当に基礎的なことだけになっちゃうんですけどね……」

「あ、そうなんですか。ちょっと……ほっとしました」

「え? ほっとするですか?」

「いや、できることが沢山あると、何していいか分からなくなりそうで……」

「あー……ちょっと分かります。僕の師匠もわりと大雑把な人で、倉庫にずらっとある武器を見せて『どれでもいいから手に取れ』って」

「それは……確かに大雑把ですねぇ」

 武器がずらっとある倉庫、というのも物騒なことこの上ないが獣祓い師は武器の携行が認められてる職らしい。もしかして、そういう物を持ち歩いてるときに職質を受けたらあの証明書を見せればいいのだろうか。そうでもしないと、真剣付きの仕込み杖なんて持ち歩けないだろう。

「そういう意味では、初心者向けの術しか使えない僕は適任かもしれませんね。ともかく使いやすさ重視ですし。基礎ができてきたら、知人に頼んで使えそうな術を見てみたりするのもいいかもしれませんね。色々できると、便利で楽そうですし」

 知らない人とは余りかかわりたくないというのが本音だが、便利で楽になるし、何より術を覚えるというゲームでしかあり得ないようなことに、結構興味を引かれていたことは事実だった。「その時はお願いします」と頭を下げ、ようやく術の伝授に入る。

 鍋島さんは計測器を箱の中に入れると、今度は別のものを箱から出した。

 指輪だった。古ぼけた、くすんだ金の指輪だった。指輪の表面には何か文字のような物が掘ってあり、台座には琥珀っぽい茶色い宝石が鎮座していた。指輪の文字は日本語っぽいが、ちょっと読み取れなかった。

「これはですね、魔素を強制的に体から引っ張り出す指輪なんです」

「強制的に?」

「はい。どの系統の道術を使うにしろ、まずは魔素を体から放出する感覚を掴まないといけません。慣れれば深呼吸するみたいに、意識すれば簡単にできるようになるんですけどね。ああ、こういう感覚なのか――ってなるまでは、道具を使って魔素を放つ感覚を掴んでもらいます」

 体で覚えろ、ということなんだろう。ちょっと苦手な話だが、できなければもうできませんでしたとすっぱり言って首を括ればいい。ともかくやるしかないのだ。

 鍋島さんから指輪を受け取り、そっと指にはめる。どの指が良いと師事はされなかったので、はまりそうな右手の中指に突っ込んだ。

 すると、右手が微かに冷えるような感覚がまずあった。そして、指輪をはめたところだけがじんわりと温かくなる。そして、中指から何かがスーッと抜け出ていくような感覚に襲われる。

「……これ……意識して、できるようになる、ものなんですか?」

 とてもこれを意図的にできるとは思えないのだけれど、鍋島さんは笑って答えた。

「できるようになるまで、時間がかかる人もいますね。僕も大概には遅い方でした。あんまりにも遅いんで、同時進行で教えてもらった武術一本で、獣との戦いに駆り出されたこともあります」

「す、スパルタですね……」

「あの頃はちょっと、まだ人手が足りてなくて。僕の師匠の性格もあると思いますけど……ああ、でもいまはそこまで切羽詰まってませんし、明星さんのペースで覚えていけばいいと思いますよ。普通の会社だって試用期間や研修期間ぐらいありますし。最悪、道術や武術が無理でも、事務方だって人手は足りてませんから。獣のことを知っている人は、必然的に限られますからね……」

「やっぱり、獣の存在は一般的には秘匿されてるんですね」

 鍋島さんは一つ頷き、それから私がはめている指輪に視線をやって目を丸くした。

「あ、魔素の絶対量が多いとやっぱり溜まるのも早いですね……」

「溜まる?」

「ここに琥珀がはめ込まれてるでしょう。放出された魔素は、ここに溜め込まれるんですよ。出しっぱなしにしてると、知らないうちにはめてる人の魔素が空っぽになっちゃいますからね」

 そういえば、指を通して何かが流れ出すような感覚がいつの間にか止まっていた。タイマー機能みたいなものらしい。指輪を外してもいいと言われたので、外してそっとちゃぶ台の上に置く。心なしか、指輪の琥珀がさっきよりも輝いて見えた。

「それに、魔素の放出が上手くできなくても、こうやって抽出する道具に頼れば、そこからまた別の道具を作ることもできますし。魔素の絶対量が多いのはそれだけで特性ですよ」

「そう、なんですか。……あるに越したことはないですよね」

「ですねぇ。無くて困る人はいても、あって困る人はいませんから。じゃあ、次はこの指輪に溜めた魔素を、墨に落とし込みましょうか」

 鍋島さんは箱から、墨を取り出す。箱から何でも出てくるなぁ。いや、それだけ用意がいい人なのだろう。……いや、前の時には名刺や資料が無いとおろおろしていた気もする。もしかしたら、そのせいでやたらと用意しているのかもしれなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る